2023年01月21日

斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』を読む

【「学び捨てる」「共事者」として/斎藤幸平著『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)】

長いタイトルからすぐに連想したのは、3年前に出た『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(J・ブラッドワース、光文社)だ。英国のジャーナリストが最底辺労働の現場に入り、働く者の尊厳を奪う「ギグ・エコノミー」の実態に迫った傑作ルポルタージュだった。

本書も、ベストセラー『人新世の「資本論」』を著した気鋭の経済思想家が研究室を飛び出して日本各地の現場を訪ね、そこで体験したことを綴った一種のルポルタージュといえる。だが、一つ大きな違いがある。「ぼく」が主語になっていること、現場の実践に触れて気づき、学び、変わっていった著者自らをドキュメントの対象にし、その歩みを記録していることだ。

書籍化のもとになったのは、毎日新聞に2020年4月から22年3月まで連載された「斎藤幸平の分岐点ニッポン」。月1回のペースで著者が訪れた現場は、持続可能な林業を目指す兵庫・豊岡の労働者協同組合だったり、昆虫食の材料となるコオロギを飼育する徳島・鳴門の養殖場だったり、寮を追い出された外国人技能実習生が身を寄せる岐阜・羽島のシェルターだったり、多岐にわたる。

現場に入る著者の構えは一貫している。理論を振りかざすとか教え諭すといった偉ぶった態度はみじんもとらない。それどころか、それまで見えていなかったことに気づかされ、自分の問題として捉えてこなかった想像力の不足を思い知らされ、と反省しきりだ。阪神大震災の被災者が住む団地のすぐそばに巨大な石炭火力発電所があることも、勤務していた大阪市立大学の真横に差別や貧困と闘い続ける部落が存在した歴史も、知らなかったと率直に述べている。刊行記念イベントで自らいわく、本書は「私の学びの本」なのだ。

謙虚な姿勢は何から生まれるのか。「知のもつ権力性を内省する」ことだと著者は言う。「いまだに左派の中では、経典みたいなものの力を利用して自分たちの活動を正当化する。『マルクスがこう言ってるからこうでしょ』となりかねず、非常に危険。そこを反省し、学ぶ場所に自分を意識的に置くことが新しい知への誘(いざな)い、きっかけになる」と上記イベントでも話していた。

知の権力性を脱却するためのキイワードが、著者自身の造語ではないが、二つある。

一つは、ポストコロニアル研究者スピヴァクが提唱する「学び捨てる(unlearn)」こと。新たな社会の可能性を見出すために、特権を捨て、他者と出会い、別の視点を一から学び直す必要がある。そのことが新しい人びととのつながりと新しい価値観を生み、もう少し生きやすい社会を作ることにつながっていく。

もう一つは、福島・いわき在住の地域活動家、小松理虔(りけん)さんが提案する「共事者(きょうじしゃ)」という考え方。語ることを真の当事者だけに限定すると、大多数の人は考えることもしなくなる。「事を共にする」ゆるい関わりに根ざし、みんなが「共事者」として当事者に思いを馳せ、さまざまな違いを超えて声を上げ、暮らしと命と地球のために変革に向けた新しい発想を紡ぎ出すのだ。

著者は、資本主義に取って代わる新たな社会の構想を提示することも忘れない。民主的で公正な富の管理を行うこと、〈コモン〉型社会としての「コミュニズム」である。そして、それは「基盤的コミュニズム」として、今の資本主義社会にもすでに部分的・潜在的に存在しているという。本書のテーマは、そうした日本における〈コモン〉の実践との出会いにほかならない。

読み終えて、政治新聞の編集者である私にとっても「現場」は汲めども尽きぬ「学び捨てる」機会だと思いを新たにした。今後も、できれば「共事者」として(まかり間違っても「前衛」などとしてではなく)現場に赴きたいと願っている。

(東京・週刊MDS編集部 浅井健治)

[平和と生活をむすぶ会ニュースレター『むすぶ』2022年11・12月号より同会の了承を得て転載させていただきました]

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2022年09月25日

9・23気候アクション「気候危機は世界のすべての人の問題」「私たちが変われば未来を守れる」

9月23日、「世界気候アクション」の日。日本でも「気候危機はいのちの問題」をスローガンに各地で行動が取り組まれました。

東京では、渋谷の国連大学前広場を出発点に「気候マーチ」。参加者の多くは若い世代です。「進み続ける気候危機/それ止めるのは今しかない」「未来守るのはわたしたち/必要なのは気候正義」「What do you want?(求めるものは?)/Climate justice!(気候正義!)」「When do you want it?(それをいつ?)/Now!(今すぐ!))」とコールしながら、同じ若者たちでにぎわう青山通り→表参道→明治通り→ハチ公前を通って国連大学前に戻るコースを元気よく歩きました。

マーチに先立つオープニングでの4人の発言を以下、紹介します。

−司会あいさつ ここから−

Fridays For Futureはスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリの活動をきっかけに世界に広まったムーブメントです。本日の世界気候アクションは私たちFridays For Futureだけでなく、多くの活動団体のみなさんとともに企画したアクションです。気候危機以外のさまざまな分野で社会問題に対し声を上げている方が集まり、現在加速し続ける気候危機を肌で感じる私たちがこのマーチに集結した。

きょう私たちが訴えることは性別・人種・取り上げる社会問題といったすべての違いを超える。今回のテーマは「気候危機はいのちの問題」。私たちの世界は現在、危機に直面している。本日のアクションはすべての違いを超えて、私たちとその未来のいのちを守るため、一つとなって声を上げることを目的としている。

このアクションでは、あらゆる差別・暴力・戦争に反対し、科学に基づいて声を上げる。

−司会 ここまで−

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−オーガナイザー発言その1 ここから−

はじめまして。Fridays For Future Tokyoで活動しているXXです。私はこの6月からFridays For Future Tokyoの仲間になった。

私が活動を始めたきっかけは、私の15年という短い人生の中で比べても、小さい頃と比べて夏がすごい暑くなったなと感じる。また、小さい頃は毎日ここ日本では雪が降っていたと思うが、最近だと定期的に雪が降ることがなくなったように感じる。台風や豪雨など大きな災害の報道が不自然に増えていることも、気候変動を感じたきっかけです。

何が起きているかは分かっていたけど、忙しいからとなかなか大きなアクションに踏み出せていなかった。でも、実際にFridays For Futureのアクションをしている同じ年ぐらいの仲間たちの姿を見て、「私にもできるんだな」と感じて、Fridays For Futureの仲間になった。

FFFに入ったら、気候変動は私が感じていたり知っているよりもずっと深刻であることが分かった。例えば、温室効果ガスの半分以上を先進国の人びとが排出していながら、気候変動の影響を強く受けるのは途上国とか社会的弱者と呼ばれる人たちです。

でも私は、気候変動を止めるにはまだ間に合うと思うから、活動している。しかし、1・5度のタイムリミットがもう7年を切った中で、個人だけの小さなアクションではもう間に合わないとも同時に感じている。企業や政府の大きな変化が必要です。じゃぁどうやったら企業や政府を変えられるのかといったら、より多くの市民が変わる必要があると思う。私たちが変われば企業や政府を変えることができて、世界を変えることができる。

もっと多くの人びとに日本の、いや世界の気候が危機的状況にあることを他人事ではないと知ってほしい。知らないことが悪いんじゃなくて、知ったらアクションをしてみんなに伝えていけばいいと思う。声を上げることに少し緊張することもあるけれど、私たちが変われば世界が変わるから、未来を守れるから、きょうも声を上げていこう。そのことを伝えるために、きょうマーチをする。

−その1 ここまで−

−オーガナイザー発言その2 ここから−

Fridays For Future TokyoのYYと申します。高校2年生です。もともと交通分野に興味があって、そこから気候危機に関心を持って、いま解決をめざしてみなさんと一緒に活動している。

9月になって少し落ち着いてきたとは思うが、今年の夏ってすごい暑かったですよね。昔より暑くなった、みたいな話ってよく僕も耳にする。一方で、人はすぐにその暑さに慣れてしまう。しかし、気候危機は知らぬ間に進行する。例えば、現在パキスタンの国土の3分の1が水に浸かる大洪水が起きている。この原因の一つには、温暖化による氷河の融解が挙げられている。こんな状況を、みなさん予測していただろうか。

気候危機は知らぬ間に進行する。このまま気候変動が進んでしまうと、多くの人が知らぬ間に問題が発生し、みんなが予測できない大災害が発生してしまうかもしれない。気候危機は誰かの問題ではなく、世界中のすべての人にとっての問題なのです。お金持ちでも逃れることはできない。リミットは2030年と言われている。

想像してみてください。2030年の気温上昇を1・5度以下にするために、気候危機に対してともに動き出す各国政府、企業、そして世界−それはどんなに素晴らしいことだろうか。きょうのマーチが、人びとが気候問題に苦しむことなく生きられる社会への布石となることを願ってやまない。2022年9月23日、きょうを時代の曲がり角に。動くなら今しかありません。

−その2 ここまで−

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−『人新世の「資本論」』の斎藤幸平さん ここから−

気候変動は待ったなしなので、この資本主義の中心である表参道において、私はきょう、"Socialism or Extinction(社会主義か絶滅か)"ということで、システムを抜本的に変えていかなければ、エコバッグとか地球のために節水しましょうみたいな話じゃなくて、地球を破壊することによって大金を儲けている化石産業であるとか、電力がひっ迫して人びとが苦しい思いをしているにもかかわらずお金を儲けている電力産業であるとかに対して、私たちは変化を求めていかなければいけないし、そうしないと、このあいだのパキスタンも含めてどんどんどんどん被害がひどくなってしまう。

私たちが大きな声を上げて、気が付かないで歩いている人たちにもしっかりこの問題を知ってもらって関心を持ってもらえるように頑張りましょう。

−斎藤さん ここまで−

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(編集部 浅井健治)
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2022年09月17日

ウクライナ軍"反転攻勢"で平和は来るのか−ウクライナ平和主義運動ユーリー・シェリアジェンコさんの訴え

ウクライナ軍の「反転攻勢」が伝えられています。ハルキウ州「全域解放」が間近とも。しかし、それでウクライナに平和は来るのでしょうか。

DSA(アメリカ民主主義的社会主義者)国際委員会は8月28日、「ウクライナ戦争、影響と展望:女性、労働者、グローバル・サウス」と題するオンライン・セミナーを開きました(反戦団体CODEPINK、World BEYOND War<戦争に打ち勝つ世界>共催)。以下は、パネリストの一人、「ウクライナ平和主義運動」事務局長ユーリー・シェリアジェンコさんの発言です。

ユーリーさんはウクライナ、ロシア両国で強まる反戦運動・良心的兵役拒否運動への弾圧を批判し、「非暴力の社会、戦争・軍隊・国境のないよりよい世界を構築する闘い」の必要性を熱を込めて訴えています。

(ユーチューブの自動生成字幕をグーグル翻訳アプリにかけた日本語訳をベースにしました。人名・地名などは字幕自体、不正確です。それらを含め、多々あるであろう誤訳・不適訳、何とぞご容赦・ご指摘くださるようお願いいたします)

同セミナーは以下で視聴することができます。ユーリーさんの発言は18分50秒あたりから。
https://international.dsausa.org/ukraine/

−ここから−

[司会 次はユーリーがウクライナから軍国主義反対について語る。 ユーリー・シェリアジェンコはウクライナを拠点とし、World BEYOND Warの理事、ウクライナ平和主義運動の事務局長、良心的兵役拒否ヨーロッパ事務所の理事を務めている。平和運動への参加に加え、キエフのXX大学で法学博士号と仲裁・紛争管理修士号を取得した。ジャーナリスト、ブロガー、人権擁護者、法律学者、学術出版物の著者、歴史における法理論の講師でもある。]

親愛なる友人のみなさん、ウクライナの果てしない戦争について議論する機会を与えてくれてありがとう。この戦争は、暴力的な資本主義の不当な栄光と利益を助長し、女性の不安定さを増大させ、労働者を意志に反して兵士に変え、グローバル・サウスの飢えた人びとに食料を供給する道を閉ざしている。いかなる戦争も、抑圧された階級の苦しみを深刻化させる。戦争の真の犠牲者は戦争する政府ではなく、交戦諸国によって殺害され、苦しめられ、生活手段を奪われた、あらゆる場にいる平和を愛する市民たちだ。

ロシアとウクライナの戦争は、世界で進行中の武力紛争の10倍に上るとされる最大の資金が提供された戦争であり、地政学的支配をめぐる多面的な大国間の争いのカギとなる戦場であり続けている。東西対立の深化とともに状況は悪化し、数万人が死亡し、数百万人が難民や国内避難民となり、多くの住宅や重要なインフラが破壊された。ロシアによる侵略の後、ウクライナ経済は混沌へと沈み込んでいる。ロシア経済は西側の制裁によって深刻な打撃を受けている。両国でインフレは所得の5分の1を食い尽くしている。

NATOと米国は今も軍事支援を中心に置いている。米国の兵器産業のマーケティング部門は、ロシア・中国との戦略的ライバル関係を宣言し、核の小競り合いとウクライナへの武器供給を続け、流血を無限に引き延ばしている。ロシアは、NATO が核のエスカレーションへの準備を示すことで核再軍備に向けた西側諸国のより多くの支出を誘発している中で、単独で戦っているようだ。すべての核保有国が核兵器禁止条約をばかばかしく中傷し、署名を拒否したのは恥ずべきことだ。

数年間にわたる無意味で無分別な戦争における流血の末、ロシアとウクライナが互いに極端に弱体化したことが交渉につながる可能性はあった。しかし、それは墓地における平和であり、常識や平和運動の勝利でも、唯一実行可能なウィンウィンの(双方にプラスになる)選択肢でもなかっただろう。撃ち合いをやめて話し合いを始めるのが早ければ早いほど、国連は頑固な好戦主義者との間でグローバル・サウスへの食糧供給開始という奇跡を首尾よく起こすことができたはずだ。しかし、30億ドルの予算を持つ国連はウクライナでの戦争をほとんど止められず、この戦争には西側だけですでに400億ドル以上の資金が提供された。他の進行中の戦争に全世界で2兆円もの予算がつぎ込まれていることは言うまでもない。常軌を逸した莫大な公的資金が軍事支出に浪費されている。

米国とヨーロッパ諸国では、インフレが急速に進んでいる。インフレのこの普遍的なマイナスの影響は、すべての経済が相互に依存しており、これ以上悪い制裁はなく、敵対的な政策が世界経済をライバル同士に分割しかねないことを示している。世界中が、従来の経済構造の軍事化と社会における暴力の過剰生産に苦しんでいるが、これは主にこの構造的な問題が原因であり、軍国主義プロパガンダによって悪魔化されたある種とてつもなく邪悪な敵のせいではない。したがって、非行を犯した者、すべての交戦当事者の犯罪行為の不公平な扱いは適切ではなく、犯罪者はもちろん責任を負わなければならないが、国連の人権機関やアムネスティ・インターナショナルなどの市民団体の報告に見られるように、この戦争の当事者双方において戦争犯罪と深刻な人権侵害が行われていると指摘することは重要だ。

例えば、ザポリージャ?原発周辺の戦闘では双方がいかに無謀な行動をとっているかが分かる。ロシア軍が同原発を制圧し、標的に変えると、ウクライナ軍が同原発を攻撃。原発を非武装地帯にするという国連の提案は、何をすべきかの最良の考えだが、両交戦当事者ともこの民間施設に対する軍事的支配の野望を放棄するつもりはない。

ウクライナ平和主義運動のメンバーで、プロ水泳選手・良心的兵役拒否者のアレクサ・フィオニックは、数十年前ソビエト軍への入隊を拒否し、海を泳いで渡ってソ連から逃れようとした。現在はニプラ川岸、アンエルハダルの対岸のマルハニッツ市に住んでいる。彼はこの戦闘のあらゆる恐ろしい物音を聞き、法律に基づいて居住地を離れる許可を求めた。許可なしに合法的に生活することはできない。しかし、軍当局は彼に許可を与えることを拒否した。今のところ軍隊で必要とされていないため、軍は彼を動員しようとは強く主張しなかった。軍隊は社会を動員し、戦争機械に従属させる。それは農奴制とも呼ばれる。農奴制と奴隷制という公式用語は用意された現実のものだ。軍隊は、徴兵のために、また塹壕を掘るなどの強制的作業のために、いわゆる予備役を必要とする。多くの人びとは、ウクライナが長期にわたる災害に陥っていることを理解している。

男性の海外渡航を許可するよう求めるゼレンスキー大統領宛ての2つのオンライン署名は、数万筆を集めた。大統領はこれらの請願に拒絶と軽蔑をもって応えた。ウクライナ国家国境警備隊は6000人以上の男性、いわゆる軍事動員忌避者を国境で足止めし、徴兵センターに送り込んだ。多くの人が西側の大学に入学許可されているが、国境警備隊は法律に反して彼らのウクライナ出国を認めなかった。10月には、医療従事者や技術者などの一部の職業の女性、さらにはすべての女性に対して、兵役と旅行制限がより積極的に拡大される可能性がある。女性の強制的な軍登録に反対して一般市民が請願を行ったが、政府は教育を受けた専門職の女性を抑圧するこの政策を引き続き強化しようとしている。主婦は今のところ対象外だが、いずれ影響を受けることもあり得る。

現行法では国際人権基準に反して軍務に対する良心的兵役拒否が認められていないため、状況はとくに問題だ。平和主義者や福音主義のキリスト教徒を含む何人かの拒否者は、法廷で懲役と保護観察を言い渡された。軍事動員の忌避は3年から5年の懲役によって処罰される。アムネスティ・インターナショナルが良心の囚人と認定した友人のルスラン・カサブは、軍の動員のボイコットを呼びかけるビデオを流したため、524日の間投獄された後、釈放されたが、再び圧力を受け、数回暴行されたあげく、再審にかけられた。彼は依然この恥ずべき再審を受けている。私のもう一人の友人シャリアンカは、軍務への良心的兵役拒否と和平交渉を呼びかけるビデオを撮ったため、軍の脅迫にさらされた。エルヴィラという名の若い女子学生は、人生で初めてインスタグラムに反戦の投稿をしたため、誹謗中傷を受け、XX大学から追放された。

ロシアでは、勇気ある反戦活動家と良心的兵役拒否者が同様の攻撃と弾圧に直面している。軍は、戦争は絶対的なものであり、良心は好戦性に従属すべきだと考えている。正気の沙汰ではない。平和を準備するのではなく戦争を準備するために、外交の10倍の公的資金を軍に費やしている。その代償として私たちが流血を強いられたのも不思議ではない。私たちは、いわゆる「敵」との和平交渉は不可能とする軍事戦略を信頼することはできないし、信頼すべきではない。ウソに満ちた覇権的な西側帝国についてのロシアのおとぎ話や、狂った独裁者が世界を支配しているという西側のおとぎ話を聞いたなら、人びとの常識に反して戦争を繰り広げ、そのようなナンセンスの拡散をメディアに促す軍事化された普遍的な経済構造から誰が利益を得ているのかを尋ねてみてほしい。戦争をさらに推し進める物語と政策を押し戻すために、「敵」というイメージを解体し、平和教育を発展させ、あらゆる側のすべての交戦国による人権侵害の真実を広めるべきだ。十分な資金を備えた戦争挑発の主流に対して芸術的・哲学的・宗教的に応じることは多くの場合、批判的思考に慣れている人びとにとって十分に満足できるものではない。

非暴力的な生活様式への普遍的な移行は、科学的な平和主義、証拠に基づく意思決定および大衆のリテラシーと目覚めに基づくべきだと私は強く信じる。戦争を終わらせ、平和と社会的および環境的正義、人権の実現に向けた積極的な運動を含む平和の文化を発展させるために、非暴力的な解決策を模索し提唱する学術的基盤が必要だ。好戦勢力は現在、彼らの好戦性への構造的および状況的なインセンティブを持っている。これらのインセンティブは取り除くか、損失の恐れよりも利益への希望に訴える和平プロセスへの積極的なインセンティブに置き換えるべきだ。主権国家とその兵器産業、いわゆる暴力の独占による絶対的な領土支配をめぐり競合する軍隊など恐るべき形態の資本主義企業による武器と暴力の過剰生産の危機に対処するため、戦争経済は脅威や苦痛に対する寛容のレベルを高めてしまった。

私たちは、これが現在の世界経済の構造的な問題であり、ウクライナ戦争を含む世界における現在の数十の戦争をすべて止めるには構造的な変化が必要であることを理解している。国家の主な目的は暴力を生み出すことだという考えを見直す必要がある。私たちは非暴力の社会、戦争・軍隊・国境のないよりよい世界を構築する必要がある。そこではウクライナ人とロシア人双方が、共通の土地である母なる地球をよき領土として保全し分かち合うすべての人間の大家族の幸せな一員になる。キエフ、クリミア、ドネツク、ルハンシクは、人びとに優しい非暴力の調和によって支配される一つの惑星上で団結する。ロシアとウクライナ、東と西の間に非暴力の関係を構築する包括的ですべての人を受け入れる世界規模の和平プロセスが必要だ。軍事化された主権国家間、とくにいわゆる大国間の世界分割は、解決策でも勝利でも降伏でも体制変革でもない。大きな構造的変革が必要だ。私たちは、この惑星上のすべての生命を殺すことができる国家核備蓄の誇り高き所有者の暴力的な資本主義によって引き起こされる戦争の地球規模のエスカレーションを避けるために、あらゆる人びとに害や抑圧を与えることなく福祉の成長を促進する非暴力的な統治を必要としている。世界中の市民社会は、平和運動の発展と構造的な経済変革の提唱を通じて、戦争による不当な利益を抑制し、社会生活の平和的な組織化を推進すべきだ。

非暴力の生活をめざすよく知られた政治的技術はたくさんあり、私たちはそれらをどんどん考案することができるだろう。平和を支持する人びとの合理的な選択を妨げるものは何もなく、世界中の人びとが1980年代のように大きな声で共同してそのことを言うべきだ。80年代には何百万もの人びとが世界中で街頭に繰り出し、核戦争を防ぎ、それに代わって軍縮を前進させた。私たちがこの惑星に暮らす一つの市民として、一つの家族の地球規模の平和運動として行動したとき、人類が最も必要とする要求に従い、核備蓄の80%が廃棄された。ウクライナ戦争を止め、世界のすべての戦争を止め、平和を築くために、私たちは再びそのことを行えるだろうし、行う必要がある。多くの非暴力の活動が待ち受けている。希望と勇気を持って一緒に進めていこう。

−ここまで−

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(編集部 浅井健治)
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2022年02月26日

ウトロ放火事件「放火犯より社会の無反応が怖い」

2月24日、衆院第2議員会館で「今こそ国によるヘイトクライム対策の実現を求める院内集会」が開かれ、昨年8月放火事件が起きた京都の在日コリアン集住地区ウトロ出身の弁護士、具良ト(ク・リャンオク)さんが発言しました。以下はその発言を文字起こししたものです。聞き取り間違い、聞き取り漏れが多々あると思いますが、ご容赦を。

−ここから−

私は弁護士ではあるが、本日はウトロ出身者として、またヘイトの事件に関わりながら、経験してきた思い等を述べたい。

私は19xx年にウトロで生まれ、育った。物心ついた頃からニンニクやトウガラシが干してあるウトロの景色を見て育った。ウトロの子どもたちと毎日、日が暮れるまで遊んだ。どこからか七輪で焼き肉をする匂いにつられてそのそばを通ると、「きょうは焼き肉だよ、食べていきな」と呼ばれたり、またある時は「塩貸して」とお隣さんがやって来たりした。

大雨の降った日は大変だった。ウトロにだけ洪水が起こった。すぐにみな外に出てきて「大丈夫か」と互いに声をかけ合って、雨水の汲みだしを助け合ったりした。晴れの日でもウトロは下水の臭いがした。洪水も下水の臭いも自前の脆弱なインフラのためであったことを私は後に知ることとなった。

歴史的な痛みを背負ってきたウトロの人びとは子育ても暮らしも仕事も軒を連ねて共に助け合って暮らしていた。ウトロから一歩出れば、日本社会からは「貧しい危ない場所」「近づいてはいけない場所」と敬遠されていたウトロだったが、実際は家に鍵をかけなくてよいほど安全なコミュニティでもあった。ウトロは朝鮮学校教師として忙しかった両親に代わって私たち兄弟を育ててくれた温かいコミュニティだった。

私が小学校1年生に上がる頃、ウトロ土地裁判が始まった。私は成長するにつれ、どうやらウトロから出ていけという裁判を起こされているということを理解するようになった。ふと疑問が起こった。私たちはなぜ訴えられなければならないのか、つまり被告なのかという疑問だった。戦争と植民地支配の被害者として原告であるべきなのに、何か悪いことをしたのか。当時、委任状にハンコをもらいに来たウトロの住民側弁護士に私は幼い疑問を託した。

私が高校3年生の頃、ウトロ土地裁判で住民敗訴が確定した。多くのウトロ住民はその前にすでにウトロを去って別の場所に引っ越した後だった。私たち家族もその中にいた。ウトロ土地裁判は私に弁護士になる動機を与えた。

私は小学校から高校まで京都の朝鮮学校に通った。朝鮮半島情勢が緊迫したりネガティブな報道が続くたびに、朝鮮学校生徒への暴言や暴力事件、女子生徒の制服チマ・チョゴリがカッターナイフで切りつけられるといった事件が起こった。中学3年生の時、通学路で電車に乗ろうとした私は後ろから「朝鮮人のくせに先乗んな」と言われ、髪の毛を引っ張られたことがあった。その他にも、通学中に「帰れ」「何で日本にいんの」といった言葉を投げかけられたり舌打ちをされたりといったことがあった。

私はこれらの出来事をほんの数年前まで誰にも言うことがなかった。「私はたまたま運が悪かったのだ」「こんなことは取るに足りないものなのだから」と心に蓋をするようになっていた。朝鮮学校に通いながら受けた差別は弁護士になるという動機を一層強くした。私を突き動かしたのは、なぜ在日コリアンはこのように生きていくしかないのか、きっと何かがおかしい、素朴な疑問だった。

2009年、私はそれまでの夢であった弁護士になった。気分も晴れやかで、毎日わくわくした気分だった。しかし、弁護士登録をしたその月に在特会らによる京都朝鮮第一初級学校襲撃事件が起こった。運命のいたずらか、襲撃されたこの学校は私の母校だった。私は保護者から1通のメールを受け取り、事件を知ることとなった。心臓がバクバクした。とっさにそのメールに記載してあったリンクを押し、あわてて動画を再生した。

見慣れた校舎、見慣れた先生たちの姿とともに、大音量で漏れ出る怒号。すぐに私は再生をやめた。とてつもないことが起こってしまったと直感した。私はその日、両親が寝静まった後、深夜そっと一人パソコンを開き、先ほどのリンクを押して再生した。「開けんかい、こら」。校門を開けるように彼らの一人が叫んだ。「ここは学校ですからね」。これが唯一学校側が発した言葉だ。覆いかぶせるように怒号が続いた。「朝鮮学校、こんなものは学校ではない」「スパイ養成機関」「ろくでなしの朝鮮学校、日本から叩き出せ」「出ていけ」「何が子どもじゃ」。彼らは拡声器を使って耳をつんざくような大声で怒鳴り続けた。駆けつけた警察官は彼らを逮捕することはおろか傍観するだけだった。

すると彼らはますますエスカレートした。学校が設置したスピーカーの線を切断したり、朝礼台を移動して校門にぶつけたりし始めた。事件が起こったのは2009年12月4日午後1時。当時校舎の中では小学校1年生から6年生の子どもたちが給食を食べたり他校と交流会をしていた最中だった。子どもたちは恐怖と不安に怯え、泣き出す子もいた。

私はこの時、この動画を何度も再生しては止め、再生しては止めを繰り返しながら、最後まで見た。手は震え、徐々に涙で視界は曇った。それでも私は音声ボリュームを上げ、彼らが何を言っているのか必死で聞き取ろうとした。「人ではない」「学校ではない」「帰れ」。こういった言葉は、思い返せば私がそれまでにも浴びてきた言葉でもあった。大人になろうと弁護士になろうと、どれだけ努力をしようと私は結局ここから逃れられない。私は両手で顔を覆ってむせび泣いた。

夢だった弁護士になった途端、また過去の自分に引き戻されたようだった。「ウトロから出ていけ」と言われ、「朝鮮学校も出ていけ」と言われ、チマ・チョゴリを着ると暴力を受けたり「帰れ」と言われる。そのたびに「運が悪かった」「たまたまだった」、そのように自分に言い聞かせようとしてきた。しかし、在特会による母校の襲撃は、私の過去の経験が「たまたま」でも「運が悪かった」のでもなく、自分はこのような攻撃や差別を受ける存在であり、そこから一生逃れられないという現実を確信させるに十分なものだった。

私はそれまで、ウトロ出身であること、朝鮮学校出身であることをできるだけ隠そうとしていた。日本社会ではどこか恥ずかしいことだと感じるようになっていた。ウトロも朝鮮学校も私にとってはかけがえのないふるさとだけれど、それが大切なものであればあるほど日本社会の反応に直面するのが怖いというふうになった。情けないことに私は「もう関わりたくない」「逃げたい」という徒労感のほうが強かったのだ。

一方で、当時校舎にいた子どもたちのことを考えると、いたたまれない気持ちになった。泣き出したりおねしょをしたり、「朝鮮人って悪い言葉なの」「私たちは何か悪いことをしたの」と疑問を親に投げかける子もいた。まさに私が幼い頃から抱いていた疑問でもあった。いつになったらここから自由になれるのか、私はいてもたってもいられず、弁護団に加わることにした。

私たちは警察・行政への支援要請、告訴、民事仮処分などさまざまな手段を準備してきた。しかし、行政や警察は被害者に対して決して協力的な態度ではなかった。結局、在特会らによるヘイト街宣は3度学校前で行われ、その様子を収録した動画はネットで世界中に拡散された。3度目は裁判所の街宣禁止仮処分命令を無視して行われたものだった。被害当事者は自分たちには人権もないと絶望した。

警察は犯罪行為を目の当たりにしても傍観するのみ。検察も告訴状受理を拒み、在特会らは仮処分命令を無視する。残すは民事訴訟の提起があった。ところが、民事裁判は時間がかかる上に主張立証のために被害の痛みを繰り返し思い出さなければならず、当事者に大変な苦痛を強いるものだった。さらに、在日コリアンに対する差別事案について日本の裁判所が正しく判断するのか、といった司法への不信もあった。私自身も、ウトロ土地裁判でウトロ住民敗訴を言い渡した日本の裁判所への個人的な不信があった。

また、幼い頃を振り返ってみると、学校の前にあった児童公園も学校が運動場として使ってきたことが気にかかっていた。後の裁判の中で、地元自治体・京都市・学校との合意に基づいて公園を使っていたことが明らかとなった。しかし私は、在特会がこの公園を「学校から取り返す」「ただす」と叫んでいるのを聞き、なぜ公園を使ったのだろう、公園さえ使わなければ、と自分を責める気持ちになっていたのも事実だ。在特会はウトロにもやって来て「不法占拠」と叫ぶヘイト街宣を行っていた。公園さえ使わなければ。ウトロにさえ住まわなければ。

その時、弁護団のうちの一人が発した言葉で私はふと我に返った。「具さん、これは公園の話じゃない。差別の話なんだよ」。私は頭が打たれたようだった。私はそれまで受けてきた理不尽すぎる差別と攻撃の中でいつしか自分の中にその原因があると考えようとしていたことに気づいた。そしてそのような考えは突き詰めていけば、在日コリアンとして生まれなければ、という考えにつながっていく危険でもあるのだ。「そうだ、私が悪いのではない。これは許されない差別との闘いなんだ」。そう気づかされた瞬間だった。

ヘイト京都事件では当事者が「これ以上理不尽な差別を許すことはできない」と涙の中で立ち上がり、2010年6月、京都地裁に民事訴訟を提起した。私たちの主張の柱は二つだった。ヘイトクライムであること。民族教育権の侵害であること。約5年の裁判闘争の末、勝訴した。私はウトロ裁判で住民敗訴を言い渡した京都地裁・大阪高裁・最高裁がヘイト京都事件ではいずれも勝訴を言い渡したことに、弁護士としても当事者的な立場としてもようやく一筋の光を見るような感覚になった。

判決文のうち、「在特会らの活動が在日朝鮮人という民族的出身に基づく排除であって、在日朝鮮人の平等の立場の人権および基本的自由の享有を妨げる目的を有する」というくだりに私たちは涙が止まらなかった。ここまで本当に長かった。けれど少しずつ変わっていける。そう思えた瞬間だった。

しかし、そう思うのもつかの間、この1件の勝訴をもってしては食い止められないくらいヘイトのパワーは増大していった。レイシストによる攻撃はその後、朝鮮学校だけではなくコリアタウン、ヘイトに共闘する日本人支援者や弁護士にまで広がり、今や在日外国人との交流のための市民施設、韓国民団、韓国学校、ウトロという一見成り立ちの背景が異なる対象さえもがヘイトクライムの標的となっている。被害者は朝鮮半島出身者、その一点だけが共通している。そして加害の態様も、過激な罵詈雑言から直接の脅迫や有形力の行使、さらには火を放つという抹殺を意図する象徴的行為に及び、激しさを増している。私たちは生きていてはいけない存在なのだろうか。

2016年6月、ウトロを訪問した。いよいよ建物の取り壊しが始まると聞き、最後にウトロの原風景をこの目に焼き付けたかったからだ。裁判では負けたけれど、世界中の市民の良心の結集により何とか都市計画の中で「ウトロ平和祈念館」が残る。公営住宅にウトロ住民も入居することができる。最悪の事態は免れることができたのだと自身を納得させようとした。

その後、再度ウトロを訪ねてみると、私たちの住んでいた家は跡形もなく消えていた。私がいなくなったようだった。ヘイト京都事件では勝訴こそしたが、京都第一初級学校は廃校となり、すでに取り壊された。私がいなくなったようだった。

そして今回、ウトロが放火された。放火犯はたくさんの看板を燃やした。看板はウトロの生きた歴史だ。私はあの看板がウトロのどこにかかっていたかさえ記憶している。ウトロ裁判が始まった頃、陸上自衛隊大久保駐屯地との境界にかかった看板「ウトロエソサラワッコ、ウトロエソチュグニダ(ウトロで生きてきてウトロで死ぬのだ)」というウトロ・コミュニティに対する切実な思い、裁判の中盤に差しかかった時に出てきた「オモニの歌」「ウトロに愛を」、そして世界市民の良心に勇気を得て掲げられた世界人権宣言の看板、それから国連特別報告者ドゥドゥ・ディエン氏訪問に前後して掲げられたイラスト看板。国内での敗訴確定にもかかわらず、国連社会権規約委員会は日本政府に対し、ウトロ住民のコミュニティを壊してはならないと勧告した。ドゥドゥ・ディエン報告者は「植民地時代、日本国の戦争遂行のために労働に駆り出されてこの土地に住まわされた事実に照らし、またそこに住むことを60年間認められてきたことを考慮し、日本政府はウトロに住み続ける権利を認める措置をとるべきだ」とした。

国内で届かなかったウトロ住民の痛みが国際社会に届いたのだ。ウトロ・コミュニティにパワーを与えた。「強制退去断固反対、死んでも退かない」と訴え続けた看板は国際社会との連帯メッセージを伴うようになった。地球規模での連帯を訴える看板はその証しだった。私は放火によりそれら看板が焼失したと聞き、私の体が燃やされたようだった。看板はウトロ住民がそこに生き、闘った証しなのだ。何とか守ってきた歴史資料さえ灰となった。

今回この院内集会で発言することになった。私たちの声は届くのだろうか。さまざまな感情がよぎり、眠れなくなった。放火事件が起こってからというもの、明け方に突然ウトロのことを考えながら目が覚め、気づけば涙が頬を伝っていた。ウトロでの楽しい記憶とともに、変わっていったウトロの様子、隠していた自分、そして家がなくなった様子、最後に放火により燃えることで頭がいっぱいになった。

また、ある時はふと夜中に目が覚めて、京都朝鮮学校襲撃事件のことを考える。初めは友人らと校舎で遊んでいた記憶、次に在特会が叫んだ暴言、そして勝訴こそしたものの廃校となった学校跡地に思いが及び、眠れなくなることがある。

私たちが何か悪いことをしたのか、なぜいつも私たちなのか。私はヘイト京都事件の勝訴にしがみついていた。しかし、それさえも揺らいでいる。当事者が苦しく大変な思いをして何とか提訴し、ようやく勝ちとった一つのともしびさえ、それよりもとてつもなく大きな強いパワーによって押し潰されそうになっていると感じる。その大きなパワーとはヘイトだ。私たちを人間扱いしないものだ。官民問わずだ。ウトロと京都第一初級学校という二つのふるさとがなくなった。なくなっただけでは足りず、燃やされ灰とされてしまった。次は一体何がなくなるのだろう。

私にはウトロ放火事件が被疑者だけの問題には思えない。氷山の一角だ。これまでにも在日コリアン生徒に向けた暴力事件はじめ多くのヘイトクライムが起こってきたが、きちんと社会問題として認知されてはこなかった。起こるべくして起こった社会的背景をもった犯罪だと感じる。放火犯にもまして怖いのは社会の無反応、権力側の沈黙だ。

2017年にヘイトのことを研究しようとアメリカに留学した。滞在中にバージニア州シャーロッツビルにおけるヘイトクライム事件が発生した。事件後すぐに州知事・市長が激しく非難する抗議声明を、大統領も非難声明を発表した。市民社会は怒りをあらわにした。私は日本との違いに愕然とした。

また私は、ヘイト京都事件や在日コリアンへの差別問題についてニューヨーク大学ロースクール等で講演をした。世界金融とビジネスの中心地で私の話に涙を流し、悲しみ、または怒り、激しい反応があったことに衝撃を受けた。国際人権を学ぶために渡ったイギリスでも、日本のヘイトについての私の話に日本のそれとは比較にならないほどの激しい反応があった。在日コリアンが感じてきた痛みと苦しみは取るに足りないものではなかったのだ。私はそれまでの傷が癒されるようだった。

もちろん日本でもヘイトに対処するための様々な動きがあることは確かだ。しかし今の日本の状況では、社会の沈黙・権力の沈黙によりヘイトの勢いに歯止めが利かなくなる。私たちはおよそ100年近い間、3世代4世代5世代にわたってこの国に住み続け、日本人と同等の義務と責任を負ってきた。のみならず、一層強い管理と監視の対象に置かれてきた。遠い外国で起こった人権侵害について国際協力に乗り出す日本が、なぜ最も身近にいる、国内にいる在日コリアンへの人権侵害にはだんまりを決め込むのだろうか。私たちの痛みは取るに足りないものなのだろうか。

お願いがある。私自身の決意でもある。ヘイト犯罪と同時に、いやそれ以上にそのような卑劣な行為に反対する強いパワーがあるのだということを、ウトロ住民にそして在日コリアンに知らせてください。一番怖いのは社会の、そして権力の無反応だ。どうかみなさん、それぞれの立ち位置と場所でこの問題に関心を持っていただきたい。ヘイトクライムの被害実態に目を向け、ヘイトを許さないという強いメッセージを日本社会で享有し、この問題に対処する抜本的な一歩を踏み出すきっかけになることを願う。

−ここまで−
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リモートで発言する具良トさん

(編集部 浅井健治)
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2022年02月04日

「明日のコメがない」「人として認められる権利」

第1回「共同テーブル」大討論集会(1月20日・衆院第2議員会館)でとくに印象に残った竹信三恵子さん、前田朗さんの発言を文字起こししました。社民党を中心にした新たな政治勢力の形成をめざす「共同テーブル」の趣旨にはさまざまな意見があるでしょうが、この集会で交わされた議論は、岸田改憲&「新しい資本主義」に対抗する市民の共同行動の深化拡大に向けて大いに示唆に富むものでした。

共同テーブル:
https://www.kyodotable.com/

◎「共同テーブル」発起人 竹信三恵子さん(ジャーナリスト・和光大学名誉教授)

先ほどから選挙の結果が「意外だった」「がっかりした」というお話があったが、申し訳ないが私は全く普通というか当然だろうと思っている。熱が全く感じられないし、何がいけなかったということは、私は野党共闘をほんとに歓迎したし、共同テーブルでも言っている「命の安全保障」をつくる核がやっと政治的にも出来た、政党をまたいで出来たと感じたので、そのこと自体は非常に評価した。

しかし、一体それが誰のために何をどのようにやるかがほとんど語られないまま、何となく選挙区での共闘で誰を通すかという話だけやっていた。そういうことだ。

今コロナの女性相談会を私も参加してやってきたが、とってもそんな話じゃなくて、それをしない状況だ、はっきり言って。明日のカネがない、明日のコメがない、子どもどうしてくれる、家賃が払えないがどうしたらいいんだ、いつになったら助成金が来るのか、あと1日2日たったらなくなって生きていけない、とか普通の顔をして冷静に女性たちが子ども連れてきたりしている。テントの中で言っている。

そこで、悪いが、安全保障だとかいきなり言っても、大事だが、でもいきなり言っても何のこと?って、私あしたのコメなんですけど、っていうような状況になっているのに、永田町の中ではみんなそういう話ばっかりしていて、しらける、はっきり言って。

こないだ日経新聞か何かで、前回の選挙を女性だけでやった場合は野党圧勝、大幅に勝つ。高齢者だけでやっても勝つ。働き盛りの男性でやったら向こう側が大勝ち、っていう結果を出していて面白いなと思った。これ要するに、今の話の文脈で言うと、女性は再分配とか現物サービス、保育園とかをやってもらわないと困るので、そういう発話のあるところに一応期待をかけているんじゃないか、と考えられて、高齢者ももう現金の収入がなくなるから年金とか老後の再分配に期待をかける。それはそうだ。

じゃぁ働き盛りの男性がどうかと言うと、この人たちにも実は男性のジェンダーバイアスが働いていて、男は稼がないと家族にばかにされる。だから、とにかく俺たちが稼げる産業ってどこにあるんだ、何やってもカネは稼げない。ほんとにそうだと思う。若い人たちに聞けば分かる。すごく頑張ってるけど、みんな若い男性は家族を養うなんてカネは稼げない。かなりよく見える仕事でも結構そうだ、よっぽど目端の利いた人以外は、あと大手企業にくっついている人たち以外は。そういう状況になっている。

ところが、今回のいろんなものを見ていてもせっかく命の安全保障と言っているのに、そういったことについて正面から答えるような政策がちっとも出てこなかったと私は考えている。

例えば再分配するためには財源が必要で、そのために消費税減らすとか言っていたが、消費税をちょこっと減らしたからって大きい目で見たら解決にならないではないか。そうすると当然ながら富裕層からとるとらないという議論が出てくるが、それだけはなくて、そういうものを増やしていくための新しい産業政策、原発とか軍事じゃないような、みんなが雇用があってそこそこは食べられて、そして汚くない、いい意味でのモラルのある産業政策、グリーン・ニューディールとよく言われているものはその一つのパターンだと思うが、そういったものと絡めながら財源とか雇用とか考えていかなきゃいけない時期に来ていて、それを説得力をもって打ち出せれば、ずっとましなことがあったはずだ。

ところが、そういう議論がなぜかもう、とにかく数を増やすんだという方向に、まぁ選挙なんでしょうがないが、そういう方向に行ってしまい、なかなかその基本的な話ができないから有権者も「何か言ってるなぁ」ということだ。

その文脈でさらに言うと、9条ってすごく大事だ。私が共同テーブルに参加したのはこの問題をまじめに、根幹だと言ってくれる人たちがあまりいなかった、ここは比較的それでやると言ってくれてたので、ここで何か言わなきゃいけないんだろうなって思った。9条は何かって言うと、人のためにカネを使え、人の生活のためにカネを使え、軍備にカネを使うな、そういう話だと思う。そういう発話をして、あなたがたもし9条とっていったら代わりにどうやって軍備を抑制するのかっていうことだ。そしたら社会保障や再分配に来ると思うか。こういう話に当然なってくる。

しかし、そういう議論がなかなか出てこなくて「9条守れ」と言ってるだけ。これって言ってみたら、本丸が外堀をどんどん破られていって、私のさっき言った本(『賃金破壊』)も労働権、憲法28条の解釈改憲だと書いているが、9条だけじゃない、解釈改憲は。至るところで換骨奪胎の解釈改憲がされていて、労働権も使えない、何も使えない。コッソリやられている。でもいま私たちが言っていることって、本丸の9条は一生懸命言うけど、外堀がどう埋められてるかっていう議論もないし社会運動もないではないか。だからみんな分かんない、何が起きているんだか。

9条って抽象的に言われても、憲法って抽象的に言われても、それがどれだけ使いでがあってそれがなくなったらどういう目に遭うのかということを生き生きと語れてないし、じゃぁそのためにどういう政策、さっき言った食える産業を起こせとかいったような運動も起きてきていない。それを起こすような活動を明日からでもいいからやり、そのための基本的な草の根ネットワークを地味でも大変でも一からつくっていくということを意識してやっていかないと、選挙で何人通った話をいくらしていても、まぁ当面必要なんだが、大きい目で見たらダメだし、有権者はそれほどアホではないのでわりとそういうことが分かって諦観しているような気がする。

そのような動きを明日から一人一人が、じゃぁ自分とこで何しようか、どうしようか、政治家の方たちも数だけはなくてそういう政策はどういうふうに何をやればいいのか。産業政策がない、貧困大変って言っているわりには。オルタナティブ産業政策がない。そういうようなことをまじめに一緒にいろんな陣営で考えていくということを提案したいと思う。それが命の安全保障であり、真の意味で9条を使い倒すことになる。

◎「共同テーブル」発起人 前田朗さん(東京造形大学名誉教授)

私は反差別とか人権とかいう市民運動には随分関わってきたが、生臭い政治のほうにはあまり関わらずにきた。今回この共同テーブルに加わらせてもらったが、それは出発点としては野党がなくなる危機ということを感じたのが最初の出発点だ。野党と称している党はいっぱいあるが、今や与党に癒着する野党なので「ゆ党」だ。もう野党がなくなるという感じがあるので、これはどうしたことかと思っているときに共同テーブルということで命の安全保障という文章に魅力を感じて、ここに参加させてもらっている。

命の安全保障との関わりで一つだけ問題提起をしようと思ってここに来た。国際人権法のキイワードを今ひとこと言う。たぶん何言ってんだと思われると思う。「人として認められる権利」。一体何言ってんだと思われるかもしれないが、これ国際人権法のキイワードだ。日本の法律家が決して口にしない言葉だ。

例えば去年名古屋入管でスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。私は殺されたと思っている。うなずいた方がたくさんいらっしゃる。同じように何人もの外国人、移住者たちが殺されていった。あるいは、在日の人びと、とりわけ在日朝鮮人に対する差別と抑圧とヘイトスピーチ。そういう中で、この国は彼らを人として認めているのか、ということを本当に考えなきゃいけない。

あるいは先住民族、アイヌ民族や琉球の人びとがいる。あるいはマイノリティではなくてもこの国の労働者や生活者や子どもたちや女性たち、二級市民として、あるいは二級人間として扱われている。そういう状況はずっと続いてはいるが、この10年、とりわけひどくなってきた。この国の政治は一人一人の人間を押し潰していく。そういう政治なわけだ。赤木ファイルも押し潰されて一人の人間が亡くなった残念な出来事だ。

この「人として認められる権利」、何を当たり前の、と思われるかもしれないが、パソコンやスマホをお持ちの方は「世界人権宣言」を検索してみてほしい。世界人権宣言の第6条に「何人も法の下に人として認められる権利を有する」とはっきりと書かれている。世界人権宣言だ。1948年の文書だ。ヨーロッパ人権条約やアフリカ人権憲章や東南アジア人権宣言にも「人として認められる権利」、はっきりと書いてある。なぜなら世界中各地で人が人として認められてこなかったからだ。それを認めるための権利が国際人権法でははっきりと書かれている。

日本国憲法に、ない。書かれていない。日本国憲法には13条「個人の尊重」とか14条「法の下の平等」とか25条「生存権」とか憲法前文「平和的生存権」、いろんな重要な言葉が書かれているが、その前提になる「人として認められる権利」が書かれていない。日本の法学部で使われている憲法の教科書、私20冊ほどチェックしたが、「人として認められる権利」という言葉は一切出てこない。福島党首は弁護士だが、多分「人として認められる権利」が人権法のキイワードだということはあまり考えてこられなかったんじゃないか。それは当然のことだとは思われるかもしれないが、そういう枠組みで考えてこなかったんじゃないかと思う。

これは本当に基礎の基礎、入門の入門、当たり前のことであるけれども、当たり前であるがゆえに見過ごされていて、この国では実は実現していない。半世紀ほど前に実存主義から構造主義に思想が転換したときにミシェル・フーコーという思想家は「人間は波打ち際の砂のように消えていく」という言葉を言った。この国では、人間はざるからこぼれる水のようにこぼれ落ちてしまって顧みられていないのではないか。ここを出発点にして考え直していく必要がある、という基礎の基礎をお話して私の問題提起とさせていただく。

(編集部 浅井健治)
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2021年08月12日

太平洋での米軍の犯罪に糾弾の声を上げよう

2016年9月3日、IUCN(国際自然保護連合)第6回世界自然保護会議が開催されていた米ハワイ州ホノルル市で「太平洋での米軍の犯罪に糾弾の声を上げよう」というタイトルの集会・デモが行われました。
【IUCN会議に新しい風/自然保護運動の変革促す市民の力/環境破壊の元凶はミリタリズム】
http://www.mdsweb.jp/doc/1446/1446_08a.html

以下は紙面の制約で掲載できなかった同集会・デモの写真です。

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集会のチラシ。「IUCN世界会議のテーマは『岐路に立つ地球』。持続可能性、気候変動、生物多様性などが議論される。しかし、太平洋の軍拡の恐怖について何も触れないのは、納得できない」とあります。

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集会開始前に並べられたポスター。「米軍モンスターはハワイから出ていけ」「真珠湾=毒物危険」「米軍は太平洋を汚染するのをやめろ」「この惑星を非軍事化しよう」「占領は自然保護ではない」など。

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元米陸軍大佐でイラク戦争に反対して外交官を辞め、何度も沖縄を訪れているアン・ライトさんも参加しました。

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先住民スタンディングロック・スー族の水源を壊す「ダコタ・アクセス・パイプラインNO」

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「パガン島を救え/テニアン島を救え/私たちの歴史/私たちのふるさと」「沖縄にもどこにも米軍基地が多すぎる」

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「米軍は太平洋を壊し、世界を壊す」「資本主義は地球を破壊している/まさに革命が必要だ」

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「自然保護? アイヌはそのことを知っている」

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「ハワイに爆弾を落とすな」

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太平洋・カリブ海の島々などの地名と各国語の「団結」で「米軍基地は出ていけ」のスローガンを囲っています。

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「米内務省の先住民支配にNO」。先住ハワイアンの民族自決権の認定が米内務省によって行われることに抗議する横断幕です。

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「ジュゴンの海に基地はいらない」「ハワイに爆弾を落とすな」。二つの横断幕が並びました。

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TMTはマウナケアに官民共同国際プロジェクトで建設される口径30m巨大望遠鏡です。

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レッド・ヒル・タンクはパールハーバー近くの米海軍ジェット燃料タンクで、大量の燃料が漏れ出しています。

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「ジュゴンは私たちに(または米国に)平和を教えている」

「基地・軍隊こそ環境破壊の元凶」は理屈ではなく現実の運動課題です。その運動は先住民の自己決定権回復の闘いと深くつながっています。

(編集部 浅井健治)
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2021年05月05日

いま何もしなければすべてが台無しになる:高校生@緊急気候アクション

2週間前の話ですが、今からでも遅くないと考え、投稿します。4月22日、気候変動サミットに合わせ、若者たちが経済産業省前で緊急アクションを行いました。以下は、最初にマイクを握った高校3年生、山本大貴さんの発言の概要です。

なお、アクションの全体像については次の報道があります。ご参照を。
◎気候変動を止めるため、若者らがハンガーストライキ。日本政府への抗議広がる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_608106bfe4b01e14f06d6032
◎もっと引き上げて!62%減必要! 政府が温室効果ガス「30年46%減」の新目標表明
https://www.tokyo-np.co.jp/article/99881?rct=national
◎経産省前で、温室効果ガス削減目標の大幅引き上げを求めてスタンディング!
http://www.labornetjp.org/news/2021/1619481040911staff01

−ここから−

きょう4月22日、東京では日比谷公園からマーチをする予定だったが、コロナの状況を見てソーシャルディスタンスをとってのスタンディングアクションに変更した。

僕はいま高校3年生。きょうは学校を休んでここに来た。本来であれば僕はいま学校で授業を受けていて、普通の高校生活を送っているはずだった。しかし、僕が大人になったころ、そして僕のさらに下の世代、子どもの世代が未来を保証されるとはいえない状況になっている。

何かというと、気候危機がいま始まっている。気候変動問題に対してこれまでいろんなところでいろんな人が声を上げて、みんなで対策をしていこうとしてきた。でも現状は、本質的なことは何も解決されないままどんどんと気温は上昇し、豪雨や熱波、豪雪、異常気象が毎年のように発生している。すでに緊急事態になっているのに、まだ政府は抜本的な政策の見直しを行おうと考えていない。

きょうは気候サミットが開かれる。その中で、僕たちが一番大事だと思っている2030年温室効果ガス削減目標、通称NDCが見直される。現行は2013年比26%とされているが、この数字では到底気候変動を解決することはできない。政府はいま45とか50%といった一見するとすごく大幅な引き上げと言っていて、数字を新しく出そうとしているが、僕たちは62%という数字を求めている。これはクライメート・アクション・トラッカーという国際NGOが出している数字。国際的に日本は62%という数字を排出国としての責任をもって出さなければいけないと言われているが、しかし、45とか50%といったところで妥協点を探そうとしている。このままでは未来を守ることができない。

この数字のままでは、もうタイムリミットが迫っている気候危機に対して有効な対策を行うことができない。この裏には具体的な政策、とくにエネルギーの問題がからんでいる。火力発電によって出されるCO2の量がとても多い。火力発電をやめて例えば再生可能エネルギーにしていく政策のためには、この数字が大前提になる。逆に言えば、エネルギーの問題を解決することが数字にも大きく影響を与える。

石炭火力発電やその他の火力発電もまだまだ延命させようという経済産業省の動きがある。しかし、そういった動きではこれからの新しい社会の中で気候危機を止めることはできない。

これからどういったことが必要か。タイムリミット、気候危機がパリ協定に基づけば2度、努力して1・5度に抑えようという中ですでに1度上昇しているいま、迅速に対応し排出を削減していかなければならない。エネルギーの問題を考えるときも、火力発電はすべて最終的にはなくす、ゼロにしていく。そして僕たちは原発に関してもゼロにしていくことを訴えている。再生可能エネルギー、自然エネルギーを普及させるには、ほかの発電にいつまでも頼っているようなことはしてはいけない。

エネルギーの問題が一番だが、ほかのすべての分野、すべての産業において気候変動に対する対策をすることがいま求められている。その対策というのは、一人ひとりが単にエコバッグを持てばいいとか、マイボトルを持てばいい、たしかにそれも一つのアクションではあるけれども、それが本質的な解決にならないことを訴えなければならない。

一人ひとり市民が声を上げて、政策決定にしっかりと自分の意思を表明していくことがとても重要だ。僕たち若い世代が声を上げている、この現状は本当はおかしいことだ。いまの大人たちがつくってしまったこの世界に対して責任を持っているのは本来であればいまの大人のはずだ。いま社会をつくっている人たちが若者のいまの声を聞いて、当たり前のように“やっぱり気候変動対策のために頑張っていかなければいけない”、それもちゃんと本質的に解決する、温度上昇をできる限り抑えることをちゃんと考えなければいけないのに、全然そういった本気の政策が進んでいない。僕はとてもそれが悲しいし、悔しい。

だから、きょう学校を休んでここに僕は立っている。おそらくこのNDCの数字は(聴取不能)ものにはならないと思う。しかし、きょうここで僕が声を上げた事実は変わらない。62%にしてほしいという思いは変わらない。これからも、具体的な政策が決まっていく中で、この本質的に問題を解決する、どこにも妥協点を探さずにちゃんとした数字を訴えることを僕はしたい。そして大人には、科学の声、若者の声を聞いて責任ある行動をとってほしい。すべての大人、大人だけではないが、すべての社会の人が自分の生きている中で、この問題に真剣に取り組もうと決意してほしい。それは、何かを捨て何かを犠牲にしてやっていくということではなくて、いま何もしなければすべてが台無しになってしまう、そういう危機感だ。みなさんにはそういう危機感でこの問題を見つめ直してほしい。いまがそのタイミングだと思っている。

コロナの危機もまだ続いているが、気候変動の問題はこれから何十年にもわたってずっと長いこと取り組んでいかなければいけない危機だ。すでにもうそれは始まっている。始まっている危機に対して対策をしない選択はないはずだ。これからどういった社会で僕たちがどういった幸せな生活を送っていけるかは、いま政府で話し合われているNDC、そしてその次にある具体的な政策、そこに大きくかかっていると一番伝えたい。学生としてできることはなかなかないと思っていたが、こうやって声を上げるだけでも多くの人に届いていくし、声を上げるだけでも何かが変わっていくと僕は信じている。みなさんで一緒に声を上げていきたい。

−ここまで−

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(編集部 浅井健治)
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2021年04月07日

ハンセン病を撮り続けた趙根在 写真展

先週末発行の『週刊MDS』最新号の7面「読者のひろば」欄に、編集者でありながら読者になりすまし、「K・T」のペンネームで以下の投稿をしました(編集者は一番最初の読者でもあるわけで、「なりすまし」は言い間違いですが)。なお、読者のひろば投稿はすべてウェブ版にはアップされません。

−ここから−

【ハンセン病の写真展/生の尊厳に向き合う】
 ハンセン病を撮り続けた在日朝鮮人写真家、趙根在(チョウ・グンジェ)さん(1933〜97)の写真展に出かけた。
 根在さんは20年以上にわたり、全国の療養所で入所者と寝食を共にしながら2万点に及ぶ写真を撮影。今回はその中から30点あまりが展示された。
 ひときわ胸に突き刺さったのは「舌読(ぜつどく)」とタイトルされた写真だ。キャプションには「指先に知覚麻痺のある視覚障がい者は唯一残る舌先や唇の感覚を使って点字を覚え、自分自身の力で本を読もうとした。舌読の習得には舌先、唇から文字通り血がにじむほどの努力が必要だった」とある。
 生前交流のあった入所者は根在さんの写真について「むきだしの命が、生きるためのたたかいが、血よりも濃いモノクロにより…現実から切り取られている」と語ったそうだ。
 命の尊厳、生への叫び−それと向き合うことなしに「差別はいけません」と何度繰り返しても、真の共生社会は訪れないだろう。
 貴重な機会を与えてくださった実行委員会のみなさんに心から感謝したい。
    (東京 K・T)

−ここまで−

この投稿は、しかし、もし報道記事だったら記事失格でしょう。“5W1H”のほとんどが欠けています。せめてここで補っておきたいと思います。

「趙根在写真展」は3月17〜22日、東京・北区赤羽文化センターで開催されました。主催したのは、赤羽で障がい者のための相談支援事業所を営む関口和幸さんや市民団体「風を紡ぐ会」代表の藤田越子さんらが立ち上げた「趙根在写真展実行委員会」。関口さんは「平和と民主主義をともにつくる会・東京」事務局メンバーでもあります。

展示された写真は、東京・東村山市にある国立ハンセン病資料館から提供されたものです。写真展を見逃してしまったという方は、同資料館で2014年秋・15年春に開催された企画展「この人たちに光を−写真家趙根在が伝えた入所者の姿−」の図録が刊行されていますので、ぜひご覧になってください(都の図書館統合検索で検索すると、都内では15市区町村の図書館に蔵書があります)。

私の投稿中の「生前交流のあった入所者」の言葉は、この図録に収められた多磨全生園入所者・大竹章さんの文章から引用させていただきました。当該の段落の全文は次の通りです。

−ここから−

 変形や奇形、怪異をもって迫力とするような作風と違い、趙さんの写真では、不自由な手足をどう使い、どういう生活をしているか。むきだしの命が、生きるためのたたかいが、血よりも濃いモノクロにより、幾つもの物語として現実から切り取られている。

−ここまで−

同資料館学芸員の金貴粉(キム・キブン)さんが『在日朝鮮人とハンセン病』という本を著しています(2019年3月、発行所:クレイン)。ぱらぱらとページをめくっていて、上記の写真「舌読」に捉えられた入所者が、群馬県の栗生楽泉園に暮らす金夏日(キム・ハイル)さん(1926年生まれ)であることを知りました。夏日さんは歌人としても広く知られているそうです。

点字舌読は1954年に始め、2年後からは朝鮮語の点字にも挑戦したとのこと。「舌読」が撮影されたのは1971年ですから、そこで夏日さんが舐めているのは朝鮮語の点字本に違いありません。こんな短歌も詠んでいます。

朝鮮語の点字学びて祖国の歌くちずさみつついつか眠りし
年どしに朝鮮の歴史点訳されわが本棚にふえゆく楽しさ

金貴粉さんは夏日さんが朝鮮語点字を学んだ理由を「自分自身が何者であるかを朝鮮語の習得によって確認し、祖国とつながることで自身の存在意義を自分自身で認め、自己肯定感を得たかったからではないだろうか」と説明しています。

写真「舌読」が映し出したもの−それは「命の尊厳」「生きることへの叫び」とともに、「奪われた祖国への思い」「民族の自己決定権への渇望」でもあるのでしょう。

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 20:25| 報道/活動報告

2021年03月16日

島々シンポジウム 要塞化する琉球弧の今 フルバージョン

週刊MDS第1666号4面に掲載した「島々シンポジウム 要塞化する琉球弧の今」のフルバージョンです。なお、2時間余にわたるシンポジウムの全容はYouTubeで視聴することができます。
https://www.youtube.com/watch?v=Bnvh5nQe6q0

【島々シンポジウム 要塞化する琉球弧の今/住民を犠牲にするミサイル戦争 許さない/宮古島の住民運動の現場から】

 琉球弧の日米軍事要塞化が進んでいる。その主要な担い手は日本の自衛隊だ。住民を犠牲にする「島しょ戦争」現実化の危険性を全国に伝えようと、オンラインによる「島々シンポジウム―要塞化する琉球弧の今」が始まった。主催は軍事ジャーナリストの小西誠さんが代表を務める実行委員会。
 3月7日第1回のテーマは「宮古島・保良(ぼら)ミサイル弾薬庫の開設=ミサイル戦争の始動を阻もう」。闘いの現場から4人のパネラーが発言した。

 1月の補選で投票総数の3分の1を上回る票を得て宮古島市議に当選した下地茜さん(ミサイル・弾薬庫反対!住民の会)は「なぜ反対するのか。集落に近すぎる。私の家は弾薬庫の入り口から160b。防衛省は他の自治体では何d火薬を置くと明らかにしているのに、宮古島では“防衛上の機密”を理由に答えない。ミサイル発射時のリスクも他の自治体では『敷地内に収める』と説明するが、宮古島では『気をつける』だけ」と批判する。
 防衛省があいまいなことしか言わないのはなぜか。「宮古島に配備されるミサイルは固定式ではなく、トラックの荷台に発射台を積んだ車載式。発射したら移動し、移動先で2発目3発目を撃つ。島じゅうを走り、軍事展開していく。それに伴うリスクを防衛省はきちんと説明していない」。安心して施設を受け入れられないのは当然だ。

 反対運動の経過と現状を報告したのは、茜さんの父で住民の会共同代表の下地博盛さん。「月曜から土曜までゲートで工事車両を40分程度止める活動を続けている。人数は5〜6人。基地建設をできるだけ遅らせる、基地機能を可能な限りダウンさせる、できれば無力化をめざす闘い方を模索したい」と話した。

 母親たちでつくる「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」の取り組みを共同代表の石嶺香織さん、楚南有香子さんが紹介。「2015年、安保法制と宮古島への配備が車の両輪のように整えられ、法が成立すればここがその運用の場所になると感じた。5年たって、危惧していたことがまさに目の前に。迷彩服の人たちや軍事車両が生活の中に現れている」(石嶺さん)「配備賛成の方がたとも議論し、『地下水は守るべきもの』と意見が一致。『俺たち戦争したいわけじゃない。平和が一番。子どもの未来は幸せに、と願う』と言われた。私は希望を持っている。全国のみなさんも、9条守れと言うのと同じぐらい、沖縄を捨て石にする作戦をやめろと世論を高めてほしい」(楚南さん)

 1月市長選では「オール沖縄」が推す座喜味(ざきみ)一幸候補が勝利した。石嶺さんは「配備に関して座喜味さんは『問題があれば国に説明を求める』が、自衛隊自体は容認。市民・県民が声を上げ、自治体を動かさなければ。ただ、今まで振り回されきた賛成・反対の分断から少し解放された気がして、ほっとした。平和が目的なのに島の人たちがいがみ合っていたら、つらい。島のためにどんな選択がいいか話し合おう、というスタートラインに立てた」と評価する。

◎基地周辺土地売買規制法案に警戒を

 小西さんが琉球弧要塞化の狙いを「中国封じ込めだけでなく、東シナ海の制海権・制空権を確保し、日米の軍事力で制圧するため」と解説。関連してパネラーから一様に懸念が示されたのが、自民党の部会で2月に了承され、今国会成立がもくろまれている基地周辺の土地売買の規制法案だ。重要な施設周辺を「特別注視区域」に指定し、土地売買時に個人情報や利用目的などの事前届け出を義務づける。違反者には懲役・罰金を科し、必要に応じて国が買い取れるようにする。小西さんは「戦前の要塞地帯法と同じ。売買も写真撮影も移動もすべて制限された」と警告した。

 司会の映画監督・三上智恵さんが最後に「日米の軍事政策が一体誰のためなのか、誰を犠牲にして誰が得をするのか、見えてきた。この問題を知ること、発言すること、子どもたちと話をすること―平和をつなぎとめるためのいろんな活動を、みなさん、していきましょう」と呼びかけた。

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下地茜さん

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楚南有香子さん(左)と石嶺香織さん

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 22:24| 報道/活動報告

2020年11月30日

沖縄ドローンプロジェクト防衛省交渉 フルバージョンで再録

きのうの神奈川集会から始まった「2020ZENKOスピーキングツアー」。奥間政則さんの報告のポイントの一つが、9月17日に行われた辺野古ドローン規制に関する防衛省交渉でした。同交渉については週刊MDSも取材し、記事にしています。

【辺野古のドローン禁止区域指定を撤回せよ/知る権利、報道の自由を侵すな 沖縄ドローンプロジェクトが防衛省交渉】
http://www.mdsweb.jp/doc/1643/1643_45d.html

ただ、この記事は紙面の都合で、出席国会議員の名前などを割愛した短縮版になっています。以下、フルバージョンを掲載しました。奥間さんの報告と合わせて読んでいただければ、ドローン規制の狙い、矛盾、奥間さんの思いなどがさらによく伝わるのではないかと思います。

−ここから−

【辺野古のドローン禁止区域指定を撤回せよ/沖縄ドローンプロジェクトが防衛省交渉/知る権利、報道の自由を侵すな】

 昨年6月施行の改正ドローン規制法により自衛隊基地27か所が飛行禁止区域に指定されたのに続き、今年8月の防衛省告示で新たに米軍基地15か所が指定され、上空での飛行が原則禁止となった。

 追加指定された施設の一つが、辺野古新基地の埋め立て工事区域をカバーする米軍への提供水域。ドローン飛行には米軍司令官の許可が必要とされるが、許可を得る手続きも、違反すれば科せられる刑事罰の構成要件も不明確だ。

 沖縄ドローンプロジェクト(藤本幸久代表)は「これまで濁り水が漏れだしていることなどをドローンで撮影し、沖縄防衛局を追及してきた。今回の指定でこうした活動が制約される。知る権利、報道の自由の侵害だ」として9月17日、衆院第1議員会館で防衛省交渉をもった。

 交渉には同プロジェクト分析担当責任者の奥間政則さん、沖縄選出の伊波洋一・赤嶺政賢・高良鉄美・屋良朝博各国会議員も参加。1時間半以上にわたって、「知る権利をどう配慮したか」「キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンについて飛行の同意を得る管理者は誰か」「直ちに刑罰の対象となるレッドゾーンと、警察官の退去命令に従わなければ刑罰の対象となるイエローゾーンとの境界線が不明。明確化せよ」など17項目について見解をただした。

 「米軍がすでに排他的に使用している水域なので指定した」とする防衛省側に対し、「埋め立てが始まる前は漁船も自由に航行できた。工事が始まるからということで制限区域が設けられた」「工事区域では軍事訓練もしていないし、ヘリも飛んでいない」「基地として機能していない実態を踏まえ、指定から外せ」と反論。

 奥間さんは「自分は犯罪者になりたくない。1年以下の懲役、50万円以下の罰金―そこまで犯して趣味で飛ばしているのではない。環境を破壊するような工事を監視するのが目的だ。法を犯さない飛ばし方をするために位置情報を明示してほしい」「これは公共工事。辺野古でも高江でも湯水のごとく税金を使っている。コロナで苦しんでいる人を支援する態勢もとらないで無駄な工事をやる。公共工事に携わってきた自分は怒りでいっぱいだ」と迫った。

 防衛省側は答えに詰まり、最後は「本日は貴重なご意見をいただいたので、中で十分検討させていただく」と言わざるを得なかった。

−ここまで−

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(編集部 浅井健治)
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