2018年02月15日

雨以外に何も落ちてこない平和な空を:保育園園長の訴え

2月13日、衆院第二議員会館で「『なんでおそらからおちてくるの?』子どもたちの空を守る父母会院内集会」が開かれました。沖縄選出の野党国会議員でつくる「うりずんの会」などの主催です。昨年12月、米軍ヘリのものと見られる部品が落下した宜野湾市の保育園の園長とお母さん6人が政府要請行動を終えて参加し、発言しました。

以下は、神谷武宏さん(普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園園長、牧師=下の写真一番左)の発言のあらましです。パワーポイントで写真を示しながらの訴えでした。

なお、院内集会で参加者の一人が「本土の私たちが何をしたらいいか」と質問したのに対し、神谷園長は「それはどうぞご自分で考えてください。そういうことを質問すること自体おかしい。こういう現状を見てもそういう質問が出るというのはほんとに情けない。申し訳ないが、そういうふうにしか答えられない」と応じていました。

−ここから−

 緑ヶ丘保育園は普天間バプテスト教会付属保育園として1964年4月に開園した。開園のきっかけはこの地域に保育園がなかったこと。近くに基地があり、どちらかというと貧しい地域で、子どもたちのために、お母さん方のためにと教会の庭を使って保育園が始まった。
 園庭は保育園に欠かせない。園庭で安全に、子どもたちがのびのびと遊ぶ。遊びを通していろんなことを学んでいく。まず園庭を100坪確保した。

 園庭ではいろんなことをして遊ぶ。運転棒、夏にはセミとり。子どもたちは水遊びが大好き。遊びすぎてびしょ濡れになるが、全身が水に濡れたってへっちゃら。シャボン玉で遊びながら泡風呂まで。子どもの笑顔ってすてきですよね。子どもの笑顔に私たちは癒される。園庭を思いっきり駆け回る子どもたち。
 沖縄は夏が長く、よくプールで水遊びをする。最後は、水をむだにしないためにみんなでウォータースライダー。われ一番にここを滑りたいという子どもたち。
 園庭では泥遊びをする。団子を作ったり、思い思いに土と戯れる。泥んこ遊びがエスカレートし、最後は泥まみれに。でも、本当に楽しそうに子どもたちは遊んでいる。
 園庭では運動会が毎年行われる。昨年10月、53回目の運動会を行った。待ちに待った運動会。親に見てほしいという思いを精いっぱい体を使って伝える。親御さんにとっても子どもの成長を垣間見るときでもある。
 他の保育園にあるだろうか、私たちの保育園では雨の日も園庭に出て、雨の中で遊ぶ。子どもたちは思い思いに雨と戯れ、雨を全身に感じながら、雨の恵みを感じとっていく。土砂降りに濡れている子どもたちのすてきな笑顔を見てください。

 昨年12月7日(木)午前10時20分頃、雨ではないものが降ってきた。空から雨以外が降るなんて誰も想定しない。筒状の透明なガラスのようなもので、長さ9・5センチ、直径7・5センチ、厚さ8ミリ、重さ213グラム。ドーンと激しい音を立てて落ちてきた。人と比べると大きさが分かると思う。トタン屋根にこれだけの凹みができるほどの圧力がかかっている。どれだけの高い上空から落ちてきたのか。どれだけの勢いをもって落ちてきたのか。
 当時、園庭には2歳児・3歳児クラスの園児たちが20〜30名ぐらいで遊んでいた。4歳・5歳児クラスの園児たちは園舎の中で、1週間後に迫るクリスマスの準備をしていた。生誕劇の役をみんなで相談して、「今度だれがマリアする?」「だれがヨセフさんする?」「だれが博士する?」「だれが羊飼いする?」「だれが天使する?」と話し合って「じゃあ私がマリア」と決めていく。みんなが楽しみにするクリスマスの準備をしているさなかに、その楽しみを踏みにじるように、この事故が起きた。
 落下物が落ちた屋根の下には1歳児クラスの園児が8人、先生方が2人いた。これから園庭に出て遊ぼうとしていたときだ。ドーンという激しい音に子どもたちも先生方もとても驚き、わぁーっと声を上げた。1人の先生は、同時にヘリの音が聞こえていたので、すぐにヘリから何かが落ちたと感じ、「とてつもない大きなものが落ちてきた。最初ヘリのプロペラが落ちてきたと思うほどの衝撃を感じた」という。激しい音がしたときに、園庭にいた先生が振り向くと、物体が大きく跳ね上がっていた。隣のゲートボール場にいたおじいちゃんたちも、この大きく跳ね上がる物体を見ている。
 この日は朝早くから保育園の上空をオスプレイやCH53などのヘリが飛んでいた。「きょうも朝早くからうるさい日だなぁ」と私も2階にいて感じながら仕事していた。園庭までわずか50センチしか離れていない屋根の上で物体が止まっていた。下には子どもたちがいた。一歩間違えれば、子どもたちや先生方が大変なことになっていた。いつもより早めにお迎えに来ていただくよう連絡したが、仕事されているご父兄がほとんどだから、私たちが園舎の中で子どもたちを預かった。

 先生から「ヘリから何かが落ちました」と声をかけられて私はすぐ屋根の上を見た。赤い何かが落ちている。降りていって写真を撮ろうとして1bぐらいまで近づいた。もわーっとする、熱を帯びた、油のような、エンジンの焦げたような臭いがした。とっさに、これは危険なもの、触ってはいけないものだと察知した。
 まず宜野湾市基地渉外課に電話し、対応を確認。警察への通報とメディアへの連絡。警察にはしっかりと調査するように、メディアにもしっかりと事実を報道するように、と話した。今もメディアに対しては、左も右も関係ない、できるだけ全国の方にこの沖縄の実情を知っていただきたい、そんな思いで対応している。

 報道されていないことがある。警察が調査を終えて帰った後、落下物は米軍大型ヘリCH53Eのプロペラの根元にあるストロンチウム90の放射線を抑制するカバーだと分かった。このことは報道されたが、そのカバーは放射線を含み、周辺に放射するおそれはないか。園長として子どもたちの命を預かっているから、何とかしなければならないと思った。午後から園庭に出て遊ぶことは中止にした。昼寝の後は、子どもたちを園で大事に預からせてもらった。同時に、琉球大学の物理学者である矢ヶ崎(克馬)先生に連絡し、このCH53のストロンチウム90のカバーについて尋ねた。矢ヶ崎先生は、このカバーに放射線が付着し放出するおそれはほぼないだろう、と。私は「ほぼない」では納得ができず不安で、先生と相談しながら、知人を通して測定していただくことになった。丁寧に時間をかけて測定していただいた結果、全く通常の値であることが分かった。周りにいたメディアの方がたと相談し、このことに関しては報道してくれるな、と規制をかけた。風評被害のおそれがあると思ったからだ。測定の結果を受けて翌日の保育園の開園を決めた。

 米軍は翌8日に、落下物自体はCH53大型輸送ヘリの部品であることを認めた。しかし、飛行中の機体から落下した可能性は低い、と説明した。この言葉に私はびっくりした。あのドーンという、トタンが凹むほどの衝撃。大きく跳ね上がる物体を見たという証言がいくつもある。もわーっとする熱を帯びたエンジンの焦げた臭い。米軍は「カバーは全部揃っているからちゃんと回収している」と述べ、「だから落としたはずがない」と答えた。そのことに対して政府は「ああ、そうですか」というような感じですよ。

 この米軍発表があってから誹謗中傷の電話・メールが保育園と教会に来るようになった。これ(パワーポイントの画像)は教会に来た誹謗中傷メールのほんの一部だ。メールは見なければたいしたことない。でも電話はほんとに困る。朝忙しいときに電話が鳴り、受話器をとる。すると、どなるようにして誹謗中傷を言われる。「あなた方の園は基地がある前からあったのか」「あなた方が『ヘリは飛ぶな』と言ったら誰が日本を守るんだ」。そんなことをどなるように、ずーっとしゃべっている。そういうことが12月いっぱいまで続いた。私たちの対応としては(ナンバー)ディプレイの設置とか留守電にするとか。留守電にもいくつか入っていた。今年になっても無言電話が少し入る。これは一つの流行みたいなものか。そんなふうに考えてしまう。
 私たち当事者が米軍からと思われる被害を受け、そしてまたこの誹謗中傷という二重の被害を受けるということが起きている。米軍が事故だと認めないのであれば、これはもう“事件”だ。私たちは事件として扱ってくれと警察に訴えている。これは殺人未遂事件だ。米軍が認めないなら、警察はそういう態度をもってあたるべきだろう。

 事故の翌日、子どもたちはいつものようにほぼ全員元気に登園してくれた。園側に親御さんから「子どもたちを守ってくださってありがとうございました」という暖かい声もあった(と涙声で)。親御さんは子どもの無事を確認し、ほっとした後、「子どもたちにケガなかったからよかったさぁー」では済まされないね、とだんだんワジワジしてくる。怒りの思いが出てくる。
 翌日です。父母会役員が立ち上がって、私たちの声を上げよう、と。「どうしたらいいんですか、園長先生」という相談もあったが、お母さん方自らがお母さん方の手で、お父さん方もいたが、嘆願書の作成に動き出す。3日後、日曜日に緊急父母会を行い、全員一致で嘆願書の作成、署名活動が始まる。

 嘆願書の内容はこうだ。
−−私たちの上を飛ばないでください。緑ヶ丘保育園園児・保護者からのお願い(嘆願書)−−
 12月7日木曜日に米軍ヘリからと見られる部品落下の事故が起こった。今回は子どもたちにケガもなく全員無事だった。しかし、けが人がいなかったからよかったさぁで済まされることではない。一歩間違えれば命に関わりかねない重大事故だ。
 緑ヶ丘保育園は滑走路の延長線上にあり、子どもたちは飛行機のおなかが見えるよというように保育園の真上を米軍機が爆音・騒音とともに何度も飛び交う中で園生活を過ごしているのが現状だ。これは基地があるからあたり前なのでしょうか。子どもたちにとっていい環境なのでしょうか。
 今回の事故で保育園上空が日米で合意された米軍ヘリの飛行ルート外であることが分かった。どうして米軍ヘリが毎日上空を飛ぶことが許されるのでしょうか。子どもたちの命はつねに危険にさらされている。私たちは子どもたちを守るため、こういうことが二度と起こらないよう下記の事項を強く要望する。これらの事項を防衛省ならびに米軍に対し強く求めていただくよう要請を申し上げる。
 要望 @事故の原因究明および再発防止A原因究明までの飛行禁止B普天間基地に離発着する米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止。
 子どもたちの命、未来を守ってください。

 そんなにむずかしいことは言っていない。要望の内容はごく常識的な、当然のことを記しているにすぎない。この要望に真摯に向き合っていれば、第二小学校の事故はなかったはずだ。

 12月13日、保育園の落下事故からまだ1週間もたっていない。普天間第二小学校は私の母校でもある。保育園から第二小までは1キロも離れておらず、保育園の父母の中には、下の子が当園に通い、上の子が第二小に通っている方が何人かいる。1週間のあいだにこんなあり得ない苦しみに遭うなんて本当につらくなる。

 2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間基地所属の大型ヘリCH53が墜落・炎上した。この大惨事を踏まえて飛行ルートを新たに整備し、2007年より具体的な飛行ルートを公表している。その資料をもとにお話する。
 黄色い円を描くように飛ぶルート。これは300b上空からオートローテーション機能を使ってのエンジン停止時に降下し、安全に基地内に戻れる範囲を設定している。エンジン停止、300bからこれなら安全に下りるだろうという訓練だ。こういう訓練を普天間基地でやっている。みなさんのところでこういう訓練、しますか。
 青い点線が飛行ルートになっている。これを見ると、緑ヶ丘保育園、普天間第二小学校はそのルートから十分に外れていることになる。防衛局は飛行ルートをチェックするために各所にカメラを設置し、観測をしている。防衛局が2017年9月に公表したデータには、2016年4月から2017年3月までの毎月の観測データがある。2016年6月の飛行状況データを見ると、飛行ルートではない上空を飛んでいる。緑ヶ丘保育園の上空を塗りつぶすかのように飛行機が、ジェット機が、ヘリが、オスプレイが飛んでいることが分かる。1か月後の2016年7月の飛行状況データ、12月の飛行状況データ。何にも変わっていませんよ。これが現状です。米軍は彼らが言っているルールを全く守っていない。

 緑ヶ丘保育園の父母会はそういう学びをしつつ嘆願書を作成し、署名活動を行っている。米軍はルールを守らない。大人としての約束を守らない。日本政府は沖縄で起きている人間の命の尊厳の危機に向き合わない。だからといって私たちは泣き寝入りするわけにはいかない。子どもたちの命を守るために、また「好きで選んで入れていただいた緑ヶ丘保育園を守りたい」とおっしゃって立ち上がっている。はだしで駆け回ることができる園庭を守りたい。保育園で思いっきりこれからも遊ばせたい。そうおっしゃってお母さん方の闘いが始まった。
 署名活動をして10日が過ぎて第1期の締め切りの作業をした。2万6372筆の署名が集まった。お母さん方は街頭署名も始めた。週4〜5回、午前午後と分けて父母の方がたが交代しながら、仕事の合間、家庭の合間をみて署名活動をしている。全国から多くの署名が寄せられた。1月31日の署名数は10万456筆。署名は2月11日で終了し、署名活動62日間で12万6907筆になった。お寄せくださった全国のみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げる。ありがとうございました。

 嘆願書を携えて各所を訪ねた。宜野湾市の佐喜真市長、市議会議長、県議会議長。沖縄防衛局は2度訪ねて2万6千あまりの署名を手渡している。外務省沖縄事務所、米国領事館。県庁では翁長知事に直接嘆願書と署名を手渡した。県庁は3度訪ねている。9日にも翁長知事に面会し、私たちの政府要請行動を後押ししてくださった。
 12月29日に宜野湾市市民大会を開催した。緑ヶ丘保育園も主催者側に加わり、6団体が中心になって盛り上げ、わずか1週間足らずの準備で600人あまりが集った。父母会を代表して知念有希子副会長があいさつ。「安心して安全なあたり前の空の下で子どもたちを遊ばせたいだけ。子どもたちに『大丈夫だよ。空からは雨しか降ってこないよ』と言えるように飛行禁止を求めていく」と語り、多くの参加者の共感を得、涙を誘った。

 保育園・普天間第二小学校の落下事故から次から次に不時着事故が相次いでいる。先週8日にもオスプレイが落下事故を起こした。これはもう異常事態だ。沖縄は無法地帯ともいえる。
 今回の米軍による落下物事故の数日後に、保育園に訪ねてきた方がいる。1959年6月30日に起きた宮森小学校ジェット機事故の犠牲者の遺族の方だ。その方が「大変でしたね」と声をかけてくださった。きっとこのような米軍による事件・事故が起こるたびに、あの58年前の悲しみ、苦しみがえぐられるように思い起こされるのであろう。その方のお話の中で、宮森小の事故後米軍が、亡くなった家族の前で賠償金の話をし、1家族に1000ドルを支払う、と言ったそうだ。すると1人の母親がこう答えた。「あなたの息子をここに連れてきなさい。あなたの息子を殺して私が賠償金1000ドル、あなたに払うさぁ」。そう叫んだそうだ。米兵は怒って銃を空に向かってドンと撃った。母親の悲しみはどれほどのものか。米軍の傲慢さはどれだけのものか。この状況は当時も今も何も変わっていない。

 母親の子に対する思いは何も変わっていないからこそ、これだけの行動を保育園のお母さん方はしている。米軍の傲慢さは何も変わっていない。これだけの事件・事故を起こし続けても、詫びることもなく、隠蔽さえしようとしない。落下物事故をいまだに認めない。沖縄がいまだ占領地であるかのように感じてならない。しかし、沖縄もまた日本国憲法のもとにあるはずだ。基本的人権、命の尊厳は保障されているはずだ。人間が人間らしく、安全に生活できる保障があるはずだ。
 東京の人たちが米軍基地の脅威にさらされていますか。なぜ沖縄だけが米軍基地からの脅威にさらされ続けなければならないのか。これは不平等だ。
 どうぞ沖縄の現状に向き合ってください。沖縄の基地問題は決して沖縄の問題ではないはずだ。日米安保は日本国民の8割以上が賛成だ。しかし、その日米安保の弊害はどこで起きているか。日米地位協定の弊害を東京に住んでいる人は感じていますか。沖縄の問題は日本の問題であり、あなたの、あなた方の問題です。どうか平和な空を返してください。雨以外に何も落ちてこない平和な空を保障してください。日本政府は日本国憲法にのっとって国民の命に向き合ってください。沖縄の人びとの命にも向き合ってください。
 ここに来られている方がたはきっとそのことをよく理解されていることだと存じ上げている。どうぞ東京でも声を上げていきましょう。声を上げ続けていきましょう。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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2018年01月25日

南西諸島への自衛隊配備〜米軍戦略からみえる狙い:伊波洋一参院議員

以下は、1月18日参院議員会館で行われた「STOP!南西諸島の自衛隊配備院内集会&政府交渉」における伊波洋一参院議員の発言のあらましです。

この中に出てくる安倍のハドソン研究所スピーチや海上自衛隊幹部学校『海幹校戦略研究』については、次の週刊MDS記事もご参照ください。
【1384号主張/安倍が戦争法制に固執するワケ/軍事力のグローバルな先制発動】
http://www.mdsweb.jp/doc/1384/1384_01a.html
【ミリタリー 危険極まりない米軍の対中軍事戦略 日本はアジア軍事支配に「活用」】
http://www.mdsweb.jp/doc/1422/1422_02m.html

−ここから−

 南西諸島の自衛隊配備は、(会場に掲げられたプラカードを指しながら)与那国島・石垣島・宮古島・沖縄本島・奄美大島・馬毛島・佐世保と書いてあるが、1か所だけの問題ではない。全部関連してくる。佐世保の水陸機動団をキャンプ・ハンセンあるいはキャンプ・シュワブに移そうという話もある。今何が起こっているのか。
 辺野古では新基地が建設され、高江ではヘリパッドがつくられ、伊江島では訓練施設がどんどんつくられて訓練が強行されている。沖縄の米軍基地は強化されている。その中での自衛隊配備だ。
 ここに配備される部隊は有事即応部隊、すぐ戦争するための部隊だ。そこが戦場になりますよ、と想定している。去年の自衛隊法改正で正式に「南西シフト」になった。自衛隊の総力が南西諸島での戦争に備えるシフトに変わっていく。これは日本を守るものなのか。そうではない。日本を戦場にする、南西諸島だけではなく日本列島を戦場にするものだ。
 何のための戦略か。アメリカの対中国戦略だ。中国とアメリカが有事になったとき、その戦争を日本列島、南西諸島で引き受けてもらい、そこで火消しをする。そこで終わらせる。エア・シー・バトルの典型であるオフショア・コントロール戦略に基づいている。
 2010年頃まで、アメリカは中国をやっつけきれると思っていた。中国を奥深くまで攻撃し、戦争で勝つ。しかし、アフガニスタン戦争、イラク戦争の後、2008年のリーマンショックでアメリカの経済が停滞する一方、中国は2桁の成長をし、今や購買力平価で中国経済はアメリカを抜いた、2020年代にはドル・ベースでも抜くといわれている。1995年に中国の経済力は日本の10分の1だったが、今は4倍。2030年頃には10倍になる、6・7%の成長が持続するだろうといわれている。もはやアメリカは中国と戦争しない。しかし、何らかの有事が起こった場合、どこで火消しをするかと練られているのが、オフショア・コントロール戦略だ。
 2012年末に安倍政権が誕生した。安倍首相は2013年9月、アメリカに行き、本当はオバマ大統領と集団的自衛権の話をしたかったが、オバマ政権から「そういうことは言うな」と制止されて、ハドソン研究所で「集団的自衛権についての憲法解釈を見直す」という講演をした(今も首相官邸のホームページに載っている)。「日本がアメリカの安全保障の弱い環であってはならない。強い環になる」と。これは南西諸島の軍事強化の表明だ。「右翼の軍国主義者と呼びたければ呼んでいただきたい」とまで言っている。翌年、集団的自衛権の行使容認を表明し、2015年には実際それを法制化した。
 ハドソン研究所でメッセージを出した後、早速、沖大東島で離島奪還訓練が行われた。宮古島と那覇に地対艦ミサイルを配備し、訓練した。これは2011年から、そのときは奄美大島で、行なっている。そして、石垣島・宮古島・奄美大島への自衛隊配備が発表され、とても速いテンポで進んでいる。
 何のための部隊配備か。南西諸島を太平洋へと通過しようとする中国艦船を攻撃し、出させないためだ。米中が戦争状態にある有事を想定し、集団的自衛権の行使として行う。だから集団的自衛権が必要になる。訓練はアメリカで、沖縄で、毎年繰り返し行われている。本土各地の自衛隊基地からも、沖縄で戦争することを前提としたさまざまな取り組みが行われている。強襲揚陸艦も購入する。米海兵隊のような役割を持つ。すでにオスプレイは17機購入する。水陸両用車52両も購入する。
 どうして自衛隊がそれをやるのか。日米安保はアメリカが日本を守る安保ではない。“日本の領土は日本が守りなさい”なのだ。そういう名目の下で、尖閣問題が起こり、中国の脅威から日本を守るために配備すると一般的にはいわれている。
 4年前の石垣市長選の直後に公表されたビデオがある。全国から南西諸島に部隊をどのように展開するか、いかに自衛隊の中に海兵隊をつくっていくか、が報じられている。在日米軍(海兵隊)と自衛隊との共同指揮所演習では、まさに宮古島を舞台として“どう戦うか”の戦争の訓練をした。そこまで行っている。
 なぜ自衛隊を配備するか聞くと、彼らは空白地帯だからと説明する。南西諸島は沖縄本島には自衛隊基地があるが他はないから、奄美大島にも宮古島にも石垣島にも基地を置くことが安全保障になるから、と。しかし、そうではないだろう。
 島を守るには非武装・無防備にするのが一番いい。国際法上、非武装・無防備地帯は基本的に攻撃しない。ただし、占領に対しては開かれてはいる。だが、戦争はしない。それを無視し、そこで戦争をする前提で今回配備している。政府は防衛の空白を埋めるための配備と言うが、実際は敵国からの目標をつくることになる。島は縦深性もなく、攻撃されても守れない。四方八方から攻撃される。今の自衛隊の訓練は島を守る訓練ではない。島が攻撃され占領されて奪還する訓練、離島奪還訓練しかしていない。島に基地をつくり、そこが占領されることを前提に、そこで戦争が起こっていることを前提に、それを奪還する訓練をしている。
 2005年の日米同盟再編合意で「日本は弾道ミサイル防衛やゲリラ・特殊部隊による攻撃、島しょ部への侵略など新たな脅威や多様な事態への対処を含めて自ら防衛し、周辺事態に対応する」とした。日米同盟は自分たちの島は自分たちで守るんだ、と。日米安保はアメリカが日本を守る役割をするのではない、という合意を結んだ。水陸機動団はアメリカにはいくつもあるが、海兵隊はそれをしない。
 2011年に創刊された海上自衛隊幹部学校『海幹校戦略研究』にいくつも論文が出ている。とりわけ「アメリカ流非対称戦争」(2012年5月)はまさに宮古島・石垣島のことを言っている。宮古島と沖縄本島の間の公海は400キロぐらいあり、ここを阻止することがいかに重要か、と書かれている。その意味は台湾防衛。「台湾の脆弱な東海岸に中国軍艦を行かせない」ための取り組みだ。アメリカが守ろうとしているのは台湾であって、尖閣ではなく日本ですらない。これが今アメリカが進めようとしている戦争だ。
 大きな目的は、米中戦争を琉球列島での戦闘で「米国政府の適度な目標達成に有効とする」こと。米中全面戦争や核戦争にエスカレートさせない制限戦争を行うためだ。「核の閾値(いきち=しきい値)以下にとどめることが肝要」で、米中はそれぞれ相手を攻撃しないという流れになっている。「外見はささいな日本固有の島しょ(宮古島や石垣島のような)をめぐる争いが、通峡阻止の戦いでは紛争の前哨戦として一気に重要になる」(尖閣をアメリカは日本固有の領土と認めていない)。こういう戦略が作られ、そのことに一生懸命日本が行動する。最終的に島におけるゲリラ戦になる。
 参院外交防衛委員会で質疑した。配備される部隊は一つの場所にい続けるのではなく、1回ミサイルを撃ったらすぐ探知されるのですぐ動く。市街地から離れた集落周辺から発射されることもある。隠れる場所(掩体=えんたい)もつくらなくてはいけない。それをつくる部隊は、配備はしないが、九州から来る。日頃から演習が行われる。
 住民保護は誰がするのか。「市役所のやる仕事です」と。驚いたことに、防衛省の職員に聞くと、住民保護計画は予算が1円もない。何のシェルターもつくっていない。保護のパターンを作れと言っているにすぎない。
 中国と戦争する必要はない。今年は日中平和友好条約40周年。戦争の準備よりも平和を深める方がいいというのが私の結論だ。尖閣の問題を早く収めて、アメリカのための戦争をする場を日本が提供するよりは、「私たちは戦争はノーだ」と言い、基地をなくす流れにしていくべきだ。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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2018年01月10日

『琉球救国運動 抗日の思想と行動』を読む

正月休みを利用して、後田多敦(しいただ・あつし)著『琉球救国運動 抗日の思想と行動』(2010年10月 出版舎Mugen刊)を読み終えました。とくに「第四章 徴兵忌避と抗日」がおもしろかったです。

明治政府は1872年に公布した徴兵令を沖縄に対しては1898年まで施行することができませんでした。徴兵令実施後の沖縄では、忌避者が続出します。

本書によると、「…指を切断し、鼓膜を傷つけたり、わざと不衛生にして皮膚病を患うなどの自傷行為から…学力検査で無知を装い、あるいは日本語を理解できないふりをするなど…あらゆる手段を用いてなんとか徴兵検査を逃れようとする者」「移民という合法的な方法で徴兵を避ける者、さらには、身を隠し行方をくらまして検査を避け、ひそかに清国に密航する者」が相次ぎました。眼球を針で刺し、あるいは線香で焼いたり、関節を無理やり曲げて痛めたり、樹草の毒汁を体に塗って皮膚炎を起こしたりといった事例もあったとのこと。

徴兵事務視察のため沖縄に派遣された陸軍省軍務局の堀吉彦大尉はこんな報告を書いています(1910年)。「この輩(やから)の徴兵忌避は単に徴兵上の忌避というよりはむしろ日本の政治を忌避するものと見たほうが当たっている」

後田多さんは指摘します。「沖縄の徴兵忌避の特徴は、日本の他の地域と違い…『日本の政治を忌避』するという根本的なところから発生するものであった。そのため、徴兵忌避は単なる個人の問題ではなく、家族や親族、地域社会という社会的な環境のなかで生まれていった。地域の人々は若者を徴兵する徴兵官らに抗議し、あるいは呪詛(じゅそ)し、また若者たちが新兵として入営の見送りでは『悲歌涕泣(ていきゅう)』していた。そのような環境のなかで、徴兵忌避は途絶えることなく、その後も続いた」

多くの徴兵忌避者を出していた本部(もとぶ)村では1910年5月、徴兵検査の際、忌避の疑いのある一人の青年に対する医官の行為に怒った村民が検査場に乱入して徴兵官らに暴行を加え、機器を破壊し、徴兵官らは抜刀し住民を斬りつける事件が起きます。本部村の住民24人が騒擾(そうじょう)罪に問われました。

上記堀大尉は事件について次のように分析しています。「この部落は元来、国家思想に乏しい支那(ママ)崇拝の系統を有する結髪士族頑固連の巣窟と称する地である。とくに若干の巨魁(きょかい)らしき者がいて他の者をそそのかし、なるべく兵役に服させられないよう努めつつあると疑われる。これらの輩がこの機を利用してその無法を逞(たくま)しくし、彼らの非国民的団結を固めようとしたのではないか。(徴兵忌避の激しい本部村桃原〈とうばる〉地区は)徴兵上のみならず納税やその他の行政上でもさまざまな支障を来たすことが多い。当局者は桃原地区の者を生蕃(せいばん=原住民)的人民と称している」

「日本の政治を忌避」する人びとの「非国民的団結」。現在の「オール沖縄」の源流の一つがここにあるのでしょうか。

後田多さんは本書をこう締めくくっています。「冊封体制の一員であった琉球国は…日本に併合され、…米国の統治下におかれ、…『復帰』という形を経て現在は日本に帰属している。東アジアの近隣に目をやれば、香港や台湾など近代のなかで国際的地位がゆれ続けている地域がある。…琉球・沖縄も同様だといっていいだろう。近現代における琉球・沖縄の国際的位置のゆらぎを、日本史の枠組みでとらえることは難しい。琉球救国、抗日運動研究が教えることは、近代東アジアの他地域の歩みや抗日運動との対比の必要性であり、東アジアの近代史の一つとして琉球・沖縄をあらためてとらえ直し、位置づけていくことが必要だということである」

東アジア各地の抗日運動の一環として沖縄の闘いを位置づける。その重要性を本書から学びました。

-----Original Message-----
From: ASAI Kenji
Sent: Monday, December 25, 2017 10:21 PM

前田朗さんがブログや週刊MDSコラム「非国民がやってきた!」で紹介されている後田多敦(しいただ・あつし)さん著『琉球救国運動 抗日の思想と行動』を、ようやく図書館から借りて読み始めています。
【琉球救国運動−−必然としての「抗日」】
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/11/blog-post_9.html
【非国民がやってきた!(260)土人の時代(11)】
http://www.mdsweb.jp/doc/1484/1484_06m.html

といっても、定価本体3800円、索引を含めて376ページにも及ぶ大著ですから、お正月休みを費やしてもおそらく読みきることは不可能でしょう。

まえがきの一部を抜き書きします。

−ここから−

清国で死んだ救国運動の初期のリーダー幸地朝常(向徳宏)は「生きて日本国の属人となることを願はない、死んで日本国の属鬼となることを願はない。身を廃し首を砕くといえどもまた辞さない」という言葉を残している。救国運動の人々は、その言葉どおり、日本へ組み込まれることを拒否して行動し、琉球国が滅亡した後も「琉球国」の人間として生き、そして死んだ。

この歴史的事実の意味は大きい。沖縄が日本の枠のなかに置かれていることは、自明のことではない。そのことを、彼らは死んだ後も墓標を通して静かに主張し続けている。沖縄に生きる私たちは、彼らが存在した事実とその行動の意味を受け止める必要があるだろう。

−ここまで−

後田多さんは続けて、現在の沖縄人はこの事実を知らなすぎるのではないか、と指摘します。まして日本(ヤマト)の私たちにはこの事実への認識が致命的に欠けていることは疑いないところです。そのことを肝に銘じながら、読み進めます。

(編集部 浅井健治)
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2013年04月01日

支援議連が原発被災者ヒアリング

【支援議連が原発被災者ヒアリング 福島県外からも要求相次ぐ】

 3月14日、子ども・被災者支援議員連盟発足後初の原発被災者ヒアリングが参院議員会館で行われた。「原発事故子ども・被災者支援法ネットワーク」(原発事故子ども・被災者支援法市民会議、JCN=東日本大震災支援全国ネットワーク、日本弁護士連合会の3者で設立)との共催で、避難者や福島県外の被害者をはじめ約150人が参加した。

 最初に国会議員が決意表明。渡辺喜美衆院議員(みんなの党代表)は「政府はいまだに基本方針を作っていない。国会の外側からこうした運動を起こしていく」、谷岡郁子参院議員(みどりの風代表)は「全会派で共同提出し全議員の賛成で成立した法律が半年以上棚ざらし状態に。それなら自分たちで基本方針、予算のたたき台となるものを作ろうと最終的な整理の作業に入っている。皆さんと私たちの共同作業で作りたい」と述べた。

 要求をぶつけたのは、福島や宮城からの避難者、宮城・栃木・千葉の被害者ら9人。福島県外からの発言が特徴だ。

 宮城から山梨に避難中の早尾貴紀さんは「原発から90キロ、小1の息子の健康が心配で3月14日、事故1年前に購入した新築住宅を残したまま、大阪へ。4月に東京で就職が決まったが、汚染状況をみて野球少年の息子のことを考え、東京にも住まないことにした。事故収束の見通しは立たず、支援者側も限界にきている。支援法の早期実現を」と求めた。

支援法で救済を

 宮城県白石市の古山智子さんは「福島との県境だが、自宅の物干しで毎時0・44マイクロシーベルト、自宅前の畑が0・548、通学路も0・562ある。文科省のモニタリングポストは0・14と低い値。福島より低いと言われるが、事故前より10倍も高い線量の所に24時間いなければいけないのはおかしい。私も避難したいが、自営業で従業員もおり、子どももいてなかなか避難できない。一日も早く元通りの線量に戻してほしい。宮城の子どもたちの最後の頼みは支援法。ぜひ最善を尽くして」。

 千葉県松戸市の増田薫さんは初期被曝を問題にした。「3月15日の吸入被曝、21日の雨が心配だ。23日には隣の東京・金町浄水場汚染の報道があった。その何日か前に水を飲ませてしまった。母親は知らないまま子どもを被曝させた、その後悔から活動を始めた。千葉県北西部はホットスポットで、毎時0・7〜0・8マイクロ。茨城県南部とともにチェルノブイリ法の放射線管理区域にあたり、働くことが許されない場所ではないか。夫の理解が得られず、子どもをサッカー教室に通わせて涙する母親もいる。去年10月から復興庁と交渉を始め、これまでに4回行なった。先月には千葉県9市の担当者が復興庁に、支援対象地域指定を求める要望書を提出。私たちはそれを後押しする署名活動を始めた」

 栃木県那須塩原市の手塚真子さんは「今も毎時1マイクロ、雨どいでは2桁の値も。屋内の線量が0・5以上の家もあり、将来の子どもの健康を非常に心配しながら暮らしている。ローンを抱え引っ越ししたくてもできない家庭、できるだけ線量の低い地域に連れて行き検査で確認することだけしかできない家庭も。私の息子は事故後、2時間外で遊ぶだけで2マイクロの被曝をする。自分たちで行なった甲状腺モニタリングは50名の枠に申し込みが殺到した。市内で甲状腺検査をやっているのは1施設だけで全額自己負担、曜日も限られている。食生活を気にしている人とそうでない人の内部被曝量には有意な差がある。周囲の大人の意識の差で子どもへの影響に差が出ないよう、支援法に期待したい」と述べた。

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国会前アクション 生きる権利を奪うな

【3・12国会前アクション 生きる権利を奪うな 支援法の早期実行を】

 3月15日、復興庁は「原子力災害による被災者支援施策パッケージ」を発表した。しかし、「子ども・被災者支援法による必要な施策は盛り込んだ」(復興相)などと言える代物ではない。被災者・避難者とともに、支援法の基本方針策定・支援実現を迫る運動を強める時だ。

 3月12日には、国会正門前で「早く被害者への補償/支援政策を!国会前アクション」が取り組まれた。
 呼びかけた福島原発事故緊急会議の植松青児さんは「支援は1に速さ、2に内容。年間5ミリシーベルト、場合によっては20ミリなどというありえない基準値で支援対象外にしようとしている。事故被害に遭った方がたを市民がどれだけ後押しできるかが問われる」。

 人として生きる権利を切々と求める言葉に参加者はじっと聞き入る。大熊町から会津若松市に避難した木幡ますみさんは「高線量生活が続くのに、謝罪もなく補償もされない。疲れ果て、ののしり合いが起きている。わずかな財物賠償では犬小屋しか建たない。『自立しろ』『前を向け』と言われても余裕がない。私の住む仮設で60代男性が亡くなっているのが見つかった。東電も政府も補償が減るから喜ぶんだろうな、とみな言っている。これでは生きてきた甲斐がない。残された体と命を使って補償を求め続ける」。

運動を強める時だ

 鵜沼友恵さんは双葉町を離れて埼玉県に暮らす。100人の参加者を見渡して言葉を詰まらせた。「警戒区域の人間だけでは大きな声になりません。たくさんの人が集まってくれることが何より力強い支援。家や財産とともに生きる権利も奪われ、息をするのがやっと。国の基本となる国民をこれほどばかにしていいのか。人として見てほしい」

 つながろう!放射能から避難したママネット@東京の増子理香さんは「近く復興庁が新たな施策を出すと聞いた。避難したママたちがそれぞれのドラマを一人の人間として伝えてきたが、稀薄な支援でしかないのではと心配。支援法は福島のためではない。東京でも水が飲めなくなり、茨城や栃木の野菜も出荷停止になった。福島と同じ思いで事故の行方を見守っている。どうかつながってほしい」。

 福島老朽原発を考える会の阪上武さんは「福島県の県民健康調査は県内に限られ、チェルノブイリでは被災者の子どもの世代に慢性疾患が多発しているのに福島の調査はがんに限定。避難の促進が必要なのに、出てくるのは帰還基準の引き上げだ。年間1ミリを基準に避難者支援を行なわせるために力を合わせよう」。

 千葉県流山市の男性は「200キロ離れているが、会津若松より線量が高い。柏市は市域の6割以上が放射線管理区域。ところが、“除染は終わった”と安全キャンペーンに4700万円計上した。そんな金があるなら被災者に回せ」と求めた。

 参加者から「復興庁へみんなで押しかけよう」「デモをやろう」などの行動提起があり、「早く支援を」「ちゃんとした支援を」とコールが響いた。

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東電株主代表訴訟 告訴と一体で責任追及

【東電株主代表訴訟 告訴と一体で責任追及】

 東京電力の株主が福島原発事故当時の取締役27人の個人責任を追及し、総額5兆5040億円の賠償を求めている東電株主代表訴訟。東京地裁に提訴して1年たったのを機に、経過報告を兼ねた集会が3月16日、東京・渋谷で開かれ、約150人が参加した。

 脱原発・東電株主運動の木村結さんは、株主代表訴訟が証拠保全を東京地裁に申し立てた結果、東電テレビ会議の録画がマスコミに公開され東電の秘密が暴露されてきたこと、20年以上株主総会で脱原発を提案してきた株主運動の中で蓄積された議事録が株主代表訴訟だけでなく福島原発事故告訴においても証拠として採用されたことを紹介。「東電が株主すらだまし続けてきた証拠が、株主代表訴訟や告訴団運動で日の目をみた。長い間株主運動を続けてきて良かった」と話した。

 河合弘之弁護士も訴訟の意義を強調する。「まだ誰も原発事故の個人責任を取っていない。第2次大戦で言うと、東条英機や宇垣一成がまだ無罪で街をうろうろ歩いているのと同じだ。責任追及をきちんとして、そこを脱原発の基礎におく必要がある」

 トークライブで芸人のおしどりマコ・ケンさんは、東電の記者会見に通いつめ、大気中に排出された放射線量を開示させてきたといったエピソードを笑いを誘いながら披露した。

 パネルディスカッションには海渡雄一弁護士、政府事故調委員を務めた吉岡斉・九州大学副学長、朝日新聞の木村英昭記者が登壇。
 吉岡さんは、大津波災害の危険性が過去複数回指摘されていたにもかかわらず、東電が対策を怠り大惨事を招いたと政府事故調が分析したことを報告し、「その経緯を実名を挙げて報告している点が功績の一つであり、株主代表訴訟にも役立っている」と述べた。
 海渡さんは、会社および個々の役員ごとに津波予見と結果回避措置の可能性を検証していくことが今後の焦点と説明し、「最終的には東電にすべての情報を公開させる制度を作る必要がある」と意気込みを語った。

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起訴求める署名 10万を突破

【起訴求める署名 10万を突破/福島原発告訴団が東京地検に提出】

 福島原発放射能大量放出犯罪の厳正な捜査と起訴を求める署名が10万筆を超えた。
 福島原発告訴団は3月13日、第2次集約分6万3501筆(総計10万3766筆)を東京地検に提出。その後、司法記者クラブで記者会見した。
 武藤類子団長が経過を報告。「告訴・告発人は全国1万4716人。受理はされたが強制捜査は始まらず、『壁は厚い』と報道される。しかし、これしか刑事責任を問う場はない。10万を超えた署名は、原発事故の責任をただすことへの国民の関心の高さを示していると思う」と話した。
 河合弘之弁護士は署名提出と合わせて地検に対し、@東電本店を強制捜査し取締役会の議事録などを押収するA福島原発の現場検証を行うB検察の人手が足りないなら警察に協力させる−よう強く申し入れたことを明らかにした。

東電の強制捜査を

 海渡雄一弁護士は同じくこの日提出した上申書の内容を説明。脱原発・東電株主運動が作成した過去の株主総会の議事録から、取締役らが「巨大津波のことも設計上考慮」「耐震強化工事は順次実施中」「福島は日本でも最も安定した地盤。大規模停電のリスクに対しては全体としての供給力の確保、系統の安定性で対応できる」などと答弁していたことを示し、この経過について取り調べるよう求めている。「検察官はメモをとりながら真剣に聞いていた」という。
 告訴団は3月19日には福島地検に署名を提出。25日から29日までランチタイムに同地検前で連続アピール行動を行う。

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2013年03月22日

「テントには愛がある」―福島避難母子が訴え

 3月21日、経産省前テントひろばを立ち退き攻撃から守ろうと、記者会見が行われました。福島市から練馬区に避難している二児の母、二瓶和子さんは次のように訴えました。

 ここのテントのおかげで立ち上がれた、テントがあってこその二瓶和子、自主避難者です。こちらでスカーフやマスクを販売させていただいたからこそ、地元・練馬区でも支援者の方たちとつながることができ、支えていただくことができ、今月は地元で活動することができました。
 このテントがあったからこそ、避難しているお母さんとも首都圏でつながることができました。私にとってはここは第二のふるさとのようです。避難してきたお母さんたちにとっても、地域は分散していてもテントがあるから自分たちは守られていると思っていると言っても過言ではありません。
 私はここでマスクを販売していた時に初めて、「あなたたちは僕たちの英雄だ」「勇気ある行動だ」と、身内よりも先にほめていただきました。それがここのテントで活動されている方たちです。
 私は、間違っていないと思って、ここで販売をさせていただくようになりました。名刺は支援者の方に作っていただきましたが、店舗やブログはありません。私としてはここの場所を事務所にしたいほどで、「どこで販売していますか」と聞かれると「経産省前のテントに金曜日来ております」と自信を持って言えるぐらい、この場所を必要としています。
 たくさんの地域に避難の会があって活動はしていても、最終的に地方からここにみなさんが足を運んでいます。それぐらいこの場所は大切です。
 また、ここで活動なさっている方々によって子どもたちが生きております。私の子どもがどうしてテントに来てくれるか。けっこう素直で、最近とくにお姉ちゃんのほうは活動に振り回しています、でも「きょうテントで大事なお話があるから来て」と言うと、「行く行く」と喜んでついて来てくれました。
 素直な子どもたちがどうしてテントに足を運ぶか。ここに愛があるからです。子どもを守ってくれているという実感があるから、それに応える子どもたちがいるんです。大人のように計算高く打算のある子たちではありません。田舎から出てきた、動物の野性のある子どもたちがテントに喜んでついて来てくれるんです。これは守られているという実感があるからなんです。
 私はここにテントの意義とテントの必要性があると思ってお話させていただきます。これは私だけの声ではなく、自主避難者である私の仲間たちの声だと思っていただきたいです。仲間たちはそれぞれの生活があってなかなかこうやって飛び出すことができません。でも、ここにあるテントのみなさんや、活動されている方々のおかげで私はここに立つことができています。なので、たとえ権力でここが潰されてしまっても、私たちの心は一つだということをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

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(浅井健治)
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2013年01月28日

沖縄・東京行動団の「建白書」

建白書

内閣総理大臣 安倍晋三殿 2013年1月28日

 われわれは、2012年9月9日、日米両政府による垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの強行配備に対し、怒りを込めて抗議し、その撤回を求めるため、10万余の県民が結集して「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」を開催した。

 にもかかわらず、日米両政府は、沖縄県民の総意を踏みにじり、県民大会からわずかひと月もたたない10月1日、オスプレイを強行配備した。

 沖縄は、米軍基地の存在ゆえに幾多の基地被害をこうむり、1972年の復帰後だけでも、米軍人等の刑法犯罪件数が6千件近くに上る。

 沖縄県民は、米軍による事件・事故、騒音被害が後を絶たない状況であることを機会あるごとに申し上げ、政府も熟知しているはずである。

 とくに米軍普天間飛行場は市街地の真ん中に居座り続け、県民の生命・財産を脅かしている世界一危険な飛行場であり、日米両政府もそのことを認識しているはずである。

 このような危険な飛行場に、開発段階から事故を繰り返し、多数にのぼる死者をだしている危険なオスプレイを配備することは、沖縄県民に対する「差別」以外なにものでもない。現に米本国やハワイにおいては、騒音に対する住民への考慮などにより訓練が中止されている。

 沖縄ではすでに、配備された10月から11月の2カ月間の県・市町村による監視において300件超の安全確保違反が目視されている。日米合意は早くも破綻していると言わざるを得ない。

 その上、普天間基地に今年7月までに米軍計画による残り12機の配備を行い、さらには2014年から2016年にかけて米空軍嘉手納基地に特殊作戦用離着陸輸送機CV22オスプレイの配備が明らかになった。言語道断である。

 オスプレイが沖縄に配備された昨年は、いみじくも祖国日本に復帰して40年目という節目の年であった。古来琉球から息づく歴史、文化を継承しつつも、また私たちは日本の一員としてこの国の発展を共に願ってもきた。

 この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている。

安倍晋三内閣総理大臣殿。

 沖縄の実情をいま一度見つめていただきたい。沖縄県民総意の米軍基地からの「負担軽減」を実行していただきたい。

 以下、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名において建白書を提出致します。

1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。および今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。

2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。

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2012年09月13日

シカゴ教員ストは新自由主義教育改革との闘い

シカゴで9月10日、公立学校の教員による25年ぶりのストライキが始まりました。オバマ大統領の首席補佐官だった実力派市長ラーム・エマニュエルの進める教育改革に反対し、約3万人の教員と支援者がストを続けています。

米独立メディア「デモクラシー・ナウ!」の9月11日の番組「シカゴの教員スト:数千人が集会、企業優先の教育改革に反撃」で、シカゴの公教育問題を取材し続けているジェイサル・ノア記者が次のように報じています。

−ここから−

昨日(9月10日)、数万人の教員と支援者がシカゴの中心部をデモしました。赤いTシャツ姿が一面海のようで、私が見た中で最大のデモの一つでした。みんな、このストで自分たちの考えを主張することができるととてもエキサイトしています。この国の教育政策の多くは上から、教室で授業した経験などないトップの連中から、打ち出されますからね。この連中は、教育改革の被害をもろに受ける低所得地域で過ごした経験だってないんです。

教員たちは自分たちのためだけでなく児童生徒たちのために闘っています。その教員たちをシカゴが団結して支えているのは感動的です。これこそシカゴの、また全米の多くの人びとがぜひ後押ししたいと待ち望んでいた出来事です。

(キャスターのエイミー・グッドマンが「シカゴ教員労組の新しい指導部について、カレン・ルイス新委員長について説明を」と求めたのに答えて) それはシカゴ教員労組を語る際に忘れられがちなとても重要なポイントです。カレン・ルイスの出身母体CORE(一般教育者評議会[教員労組の幹部ではない一般の組合員でつくる活動家集団])は、学校の閉鎖・統廃合と闘い、「学校改革」に反対する地域づくりを共に進めてきた教員たちのグループです。「学校改革」はシカゴで「ルネサンス2010」プログラムと「落ちこぼれゼロ」法とともに始まった政策で、地域を荒廃させました。数百人の教員の解雇につながりました。そして、以前の組合指導部はこれと闘わず、この政策に反対する地域づくりを進めてこなかったのです。

多くの学校が閉鎖になったいわば廃墟の中から、新しい教員グループが立ち上がり、ついに2010年、全米で3番目に大きい公立学校区を組織する全米第3位のシカゴ教員組合の指導権を握りました。これは全国的に影響を及ぼします。というのは、教員が地域の人びと、公教育の存在理由そのものである親たちや児童生徒たちと手に手を取って協力し合うようになったのは、長い歴史の中で初めてのことだったからです。そう、手を取り合ってです。それは厳しい闘いです。相手とするのは、学校の民営化・閉鎖、テストの強化という政策を推し進める、この国で最も大きな力を持つ勢力ですから。

(オバマの首席補佐官だったこともあるエマニュエル・シカゴ市長について問われたのに答えて) ラーム・エマニュエルは(21年間シカゴ市長として君臨した)ダレイ市政の一員で、ダレイ市長と密接な関係にありました。非常に企業寄りで、トップダウン型のやり方です。教員や親たちのことは全く考えません。今年初めには、学校閉鎖と闘っている地域の運動にいちゃもんをつけるようそそのかして不満分子に金を払うところまで落ちぶれています。教員とスト支援の地域の人たちが闘っている相手はこんな人物です。

(エマニュエル市長が市側の回答について「この回答は教員たちの要求を尊重し、児童生徒たちを正当に評価し、納税者にも公正なものだ」と自画自賛していることについて) そこがキイポイントです。というのは、メディアはスト決行が発表された時の記者会見でも、シカゴ教員労組のルイス委員長に対し「これはカネの問題なんでしょう? 賃上げでしょう。カネを受け取ったらいいじゃないですか」と聞いていたんですから。ルイス委員長の答えはこうです。「これは単にカネの問題ではありません。教室の環境の問題です。学校に空調を設置してほしいという問題です。学級定員を適正なものにしてほしいという問題です。教員の評価、教員の給与を生徒のテストの点数とリンクさせないでほしいという問題です」

市の回答に対し、組合は耳を傾けはしたものの、組合を支持する地域の人びとのことを考え、地域の人びとも教員たちのことを考え、すべての要求についてしかるべき対応が示されない限り、回答を受け入れることはないでしょう。

(エイミー・グッドマンが、ある高校生の発言を紹介。この高校では、長年務めた校長が先月、説明もなく罷免され、新しい校長に代わった。新校長がとった施策について高校生はこう語る。「新しいベラスケス校長はAPクラス[優秀な生徒が履修可能な大学レベルの科目]を3つも減らした。新校長のせいで時間割全体がめちゃくちゃになってしまった。補修クラスをベラスケス校長は導入したけど、それって侮辱よ。お前たちは出来が悪い、APクラスなんて必要ない、お前たちはバカだ、と言ってるようなもの。私は最初っから、ベラスケス校長のやり方はあの人の個人的な立場から来てるんじゃないって感じる。校長は『テストの点数をみてごらん。ひどい出来よ』と言って説得しようとしたけど、私たちのテストの点はよくなってきているし、全体としてAPクラスの合格者・登録者も増えてきている。だから、学校を動揺させるベラスケス校長の決定はあの人自身のものじゃなくて、もっと上の人の言うことに従ってるだけ」。この発言が教員ストとの関係で持つ意味について問われてジェイサル・ノア記者は)

そうですね、この高校の話はシカゴ全体の話でもあり、またストライキについての話でもあります。縮図ですね。高校生が言うのは、教育におけるトップダウンの決定、生徒の話を全く聞かない、ということです。罷免された校長は、愛されていた校長であり、地域から選ばれていた。その校長が解雇された。他に、2人の長年務めた教員、この高校の創設時からのメンバーも解雇された。この高校は「ソーシャルジャスティス高校」といって、メキシコ系アメリカ人地区、とても貧しい地域ですが、ここに学校がなかったことから地域の人びとを組織化し、ハンガーストライキまで闘って設立させた学校です。2人の創設時からの教員は疑問の声を上げたがために解雇されました。高校生たち自身も今年初め、ストライキをしました。校内で話をすることを拒否し、授業をボイコットし、座り込みをしました。今、何百というシカゴじゅうの学校で起きていることとまさに同じです。

地域が闘わなくてはならない理由がここにあります。きわめて基本的なサービスを受けるためにシカゴじゅうで共に闘わなくてはなりません。そういう基本的なサービスさえ奪い去られています。しかし、市長は相手にする学校を間違えましたね。ソーシャルジャスティス高校です。この高校の生徒たちはよく組織されているし、地域の支援を得ています。組合も彼らを支えている。そして高校生たちも今度は先生たちのストの支援のために出かけています。解雇された教員は復職しました。APクラスも復活しています。前校長の復帰をかちとること、そして学校のコミュニティ管理を実現することをめざして彼らは今も闘っています。

もう一言だけ付け加えると、この高校には地域学校評議会がありません。しかし、シカゴのほとんどすべての学校には地域学校評議会があります。これは1987年に始まった都市部の学校における民主教育の最もラディカルな実験です。シカゴは都市部の公立学校区では唯一、コミュニティおよび教員が予算や校長の人事、学校の運営について発言権を有するところです。都市部の教育をどう立て直すかが全米で問題になっていますが、シカゴがその答えです。シカゴの低所得地区の学校でいい成績を収めているのは、地域学校評議会のある学校です。私は3月に、物理的には崩壊している学校を訪れました。壁は崩れ、手すりは壁から落ちていました。しかし、地域が援助しました。教員たちはこの最も貧しく犯罪も多発している地区の親たちや祖父母たちと協力して活動していました。そしてシカゴの低所得地区の学校で7番目に高い成績を収めることとなりました。ここに、公教育、都市部の教育、コミュニティと教員と生徒とが共に協力し合って自分たちの考えを主張していくことについて学ぶべき教訓があります。

−ここまで−

(浅井健治)
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