2018年04月04日

地べたの「階級」、研究室の「階級」

 日本では死語と化した「階級」をタイトルに組み込み、昨年10月と今年1月、相次いで刊行されたブレイディみかこ著『労働者階級の反乱−地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)と橋本健二著『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)。読み比べてみた。(以下「ブレイディ」「橋本」『反乱』『新・日本』と略記)

 ところで、「階級」とは何だろう。50年近く前、学生運動に足を踏み入れたころ私が教えられたのは、例えば『経済学辞典』(1965年9月初版、岩波書店)の次のような定義だ。

ーー階級とは、社会の生産体制における人々の生産手段に対する所有関係を通して、生産上占めるそれぞれの地位の相違によって区別される人間集団をいう。…階級は政治的・社会的な体制における人々の地位ではなく、経済制度あるいは生産の社会的体制における地位をさす。生産手段を私有独占するものは、社会の他の部分の労働を占有・搾取することができる。この搾取・被搾取の関係は、まったく生産手段に対する所有・非所有の関係から発生する…(p.52)ーー

 これを、『新・日本』の「階級とは、収入や生活程度、そして生活の仕方や意識などの違いによって分け隔てられた、いくつかの種類の人々の集まりのことをいう」(p.11)とする定義と比べると、後者の方が意味するところが広範囲で厳密性に欠ける。『新・日本』もp.57以下で、資本主義社会の階級が生産手段に対する所有・非所有の違いから生まれていること、そこにおける搾取のからくりについて説明してはいる。が、全体の叙述は、生産手段との関係の違いよりは「収入」「生活程度」「生活の仕方」「意識」の違いに力点がおかれ、『経済学辞典』の定義が脳に染み込んでいる私としては物足りなさが残った。

 とはいえ、『新・日本』が「…激増している非正規労働者は、雇用が不安定で、賃金も正規労働者には遠く及ばない。…労働者階級が資本主義社会の最下層の階級だったとするならば、非正規労働者は『階級以下』の存在、つまり『アンダークラス』と呼ぶのがふさわしいだろう」(p.77)「正規労働者とアンダークラスは、本来は別々の階級というより、労働者階級の内部の異なる二つのグループである。しかし両者の異質性はあまりに大きく、もはやアンダークラスは階級に準ずる存在になっている…」(p.78注)とし、今日の日本には「格差社会」というような生ぬるい言葉では表し尽くせない「新しい階級社会」が出現したと述べている点は全面的に賛成だ。

 2010年、労働者派遣法撤廃を求める厚生労働省要請行動を取材した際、応対する担当官の所属部署の名を見てびっくり仰天した記憶がある。それは「需給調整事業課」という。派遣労働者は、足りなくなればどこからか調達し、余れば即座に廃棄する「需給調整」の対象でしかない。私は群馬県嬬恋(つまごい)村のキャベツを思い出した。取れすぎて余まったらトラクターで踏みつぶす。それと同じように「需給調整」され、「雇用の調整弁」にされているのが、非正規労働者だ。労働者をいつでも廃棄できるモノ扱いする。「階級社会」でもまだ生ぬるい。正規労働者の一段下に雇用不安定・差別待遇・低労働条件・無権利の労働者を置く「現代の身分社会」だ。実際、交際する女性の親から「正社員でない者に嫁にやれない」と言われて結婚が破談になった例もあると聞いた。「身分差別」以外の何ものでもない。(このパラグラフには週刊MDSバックナンバーからの引用が含まれています)

 『新・日本』はこうしたアンダークラスの人びとの苦しみに寄り添いながら、その苦しみが固定化し、貧困が世代を超えて連鎖していく危険性に警鐘を鳴らす。次のような記述がある。

−−…長時間営業の外食産業やコンビニエンスストア、安価で良質の日用品が手に入るディスカウントショップ、いつでも欲しいものが自宅まで届けられる流通機構、いつも美しく快適なオフィスビルやショッピングモールなど、現代社会の利便性、快適さの多くが、アンダークラスの低賃金労働によって可能になっている。しかし彼ら・彼女らは、健康状態に不安があり、とくに精神的な問題を抱えやすく、将来の見通しもない。しかもソーシャル・キャピタルの蓄積が乏しく、無防備な状態に置かれている。…決定的な格差の下で、苦しみ続けているのがアンダークラスである。この事実は、重く受け止める必要がある。(pp.113-114)ーー

 大いに共感を覚える。けれども残念なのは、彼ら・彼女らの苦しみが彼ら・彼女らの肉声として伝わってこないことだ。著者・橋本は膨大な調査データの詳細な分析を通して、それぞれの階級に属する人びとの人物像を提示する。第5章「女たちの階級社会」では、女性を本人の所属階級、夫の有無と所属階級の組み合わせによって17のグループに分類し、グループごとの生活満足度や性役割分業意識などの違いを考察する。しかし、それはあくまで“類型”化の試み、調査票の集計数をもとに橋本が描いた“スケッチ”にすぎない。

 一方、『反乱』には著者ブレイディの身近にいる生身の労働者たちが登場し、彼ら・彼女ら自身の言葉で語る。20年前から英国南部ブライトンの「生粋(きっすい)の労働者階級の街」に暮らすブレイディ。ロンドンのイーストエンド、やはり「労働者階級の街」に生まれ育ったそのお連れ合い。2人の友人6人(男5人、女1人)とのインタビュー(pp.74-120)は『反乱』中の圧巻というべきだろう。「排外主義・移民排斥に走った愚かな連中」と十把一からげにされる彼ら・彼女ら(ただし6人中1人は“EU残留”に投票)の真実の声に耳を傾けてみよう。(名前はいずれも仮名)

◆サイモン(1955年ロンドン東部生まれ)「(“離脱”に投票した理由)誰も俺たちの言うことなんか聞いてやしないときに、俺たちがこの国を変えられるチャンスをもらった。使わずにどうする、と思ったね」「俺たちの言うことを金持ちやエスタブリッシュメントは聞いていない。…あいつらがあまりにも俺らを無視しているから…」「…俺は移民は嫌いじゃないんだよ。…俺は英国人とか移民とかいうより、闘わない労働者が嫌いだ…」「…俺たちが俺たち同士で団結してあいつらと闘わなきゃいけないのに、若い奴らとか移民とかはそんなこと考えてもみない。だからどんどん悪くなっていくんだ…」

◆レイ(1956年ロンドン東部生まれ)「(“離脱”に投票した理由)…どうせ離脱が勝つわけがないんだから、追い上げてキャメロン(首相)とオズボーン(財務相)を慌てさせようと思って入れたクチ。びっくりしたもん、次の日の朝…」「…こういう国の一大事をさ、ふつう俺ら市井の人間が決めるなんてできないだろ。…不満がたまってりゃ、政府に中指突き立ててやりたくなるよ、誰だって…」

◆テリー(1955年ロンドン東部生まれ。“残留”に投票)「『イーストエンド出身の労働党員』ってのは、もはやアイデンティティなんだよ。俺たちワーキングクラスには、保守党の奴らにカウンターを張っていくという任務がある」「(息子さんたちが保守党を支持するようになったら?)…そりゃあもう親子の縁を切る時だ」

◆ジェフ(1956年ロンドン東部生まれ)「…きちっと国が主権さえ取り戻して、国のことは自分たちで決められるようにならないと。EUの官僚たちなんて俺らは選挙で選んでないんだから、知らない奴らにあれこれ決められるのはもうまっぴらだ…」「残留したからって、俺らの未来は明るかったか?…あのままキャメロンとオズボーンにこの国を任せてたら、えらいことになってただろ…」「俺は、国境を閉ざせとか、一国で孤立しろとか言ってるわけじゃない。…国境を開くっていうなら、…どうしてEU国だけなんだよ。それも結局は閉ざしてることに変わりないんじゃないのか、EUの外の世界に向かって?」

◆スティーヴ(1958年ブライトン生まれ)「移民制限が必要だと言ったら、すぐレイシスト呼ばわりされるが、それは同じことじゃないだろう? どこの国だって国境制限している…」「俺は、職場のスーパーだって、半分以上は移民労働者だ。彼らをバカにしたり、変なことを言う英国人には、俺がいつだって相手になってやる…」「…EUは、結局ドイツとか、一部の国だけが得をするようにできている…」「…労働者階級は、間違っていると思ったら『間違っている』と言う。相手が聞かなかったら、首ねっこ掴(つか)んででもこちらを向かせて聞かせる。それでも聞かなければ、キッチンの流し台から何から彼らに投げつけて、聞かなきゃどういうことになるのか思い知らせてやる…」

◆ローラ(1961年ウェールズ生まれ。看護師として38年間勤務)「…実家のあるウェールズは、EUのおかげでもっとひどくなった。わずかに残っていた産業も海外の人件費の安い国に拠点を移したり…ビジネスや人が自由に国の間を動けるようになると、産業がなかったところはもっと産業がなくなって、人々の暮らしは惨めになるのよ。ここらでそれは止めないといけないと切実に思う…」「私は(医療の現場で)外国から来た同僚がいることに関しては何とも思わないし…自分の知らない国の人たちと一緒に仕事をすることは、世界が広がるから大好き。でも、人の命を預かる現場では、せめてきちんと英語が通じないといけないと私は思う」

 6人のインタビューを読みながら、私は2015年戦争法阻止闘争のとき叫ばれた「勝手に決めるな」「国民なめんな」「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」のコールを思い出していた(ただし「国民」の語には違和感あり。「市民をなめんな」と言うべきか)。障がい者運動にも「私たちぬきに私たちのことを決めるな」というスローガンがある。“残留”に投票したテリーの「“貧困地区出身の労働党員”はもはやアイデンティティ」の言葉は、「オール沖縄」を引っぱる翁長雄志知事の「イデオロギーよりアイデンティティ」の旗印を思い起こさせる。翁長知事は、国連人権理事会で「沖縄の自己決定権はないがしろにされている」と訴えた。「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める」という沖縄の人びとの願いと、「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」という日本の若者たちの叫びと、「相手が聞かなければ首根っこつかんででもこっちを向かせて聞かせる」という英国労働者の決意とは、間違いなく底部で通じ合っている。

 “アイデンティティ”の過度の強調は、アイデンティティを異にする人たちの排除につながるおそれなしとしない。マジョリティによる“自己決定権”の行使が、マイノリティの人びとの“自己決定権”実現を妨げることがあってはならない。だから、ブレイディはこう言う。「…『地に足のついた人々』に『白人』などという人種の定義が“つけられている”のはおかしいのであり、その定義が“つけられる”ことによって…不要な分裂・分断を生むことがあってはならないのだ。…地べたに足をついて暮らしているすべての人間として、…人種も性別も性的指向も関係なく、自分たちに足りないものや不当に奪われているものを勝ち取らねばならない時代が来ているのだ」(p.275)

 ブレイディのこの指摘を“甘い”と評する向きもあるかもしれない。「人種も性別も性的指向も関係なく」と言ったって、現に移民労働者と英国人労働者との間に、女性と男性との間に、LGBTとそうでない人びととの間に、大きな格差や利害対立があるではないか。人種・性別・性的指向に基づく差別と排除を見過ごし、その実態に言及することなくEU離脱を「労働者階級の反乱」と持ち上げるなんて、排外主義・移民排斥運動に対する警戒心に欠ける。排外主義批判の弱い『反乱』はあまりお勧めできない、というわけだ。

 私はそうは思わない。移民排斥への批判が弱いというが、ブレイディ自身が“移民”だ。差別的なことを言われたり、差別的態度を取られた経験もある(p.5)。移民差別に対する怒りがないはずがない。だが、彼女は自らの活動の力点を排外主義・移民排斥の分析・批判よりももっと別のところに置いているようだ。先ほどの文章の2ページ前にはこうある。「…それまでは気にならなかった他者を人々が急に排外し始めるときには、そういう気分にさせてしまう環境があるのであり、右傾化とポピュリズムの台頭を嘆き、労働者たちを愚民と批判するだけではなく、その現象の要因となっている環境を改善しないことには、それを止めることはできない」(p.273)。排外主義は危険だ、と百回繰り返しても、排外主義はなくならないということなのだろう。

 ブレイディはブライトンの貧困地区の“底辺”託児所で保育士として働いた経験を『子どもたちの階級闘争−ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(2017年4月、みすず書房)につづっている。同書中にこんなくだりがあった。

−−いろいろな色を取りそろえる意味は、やはりあるのだ。そしてそれは保育士と子どもたちの関係だけではない。「レイシズムはやめましょう」「人類みな兄弟」とプラカードを掲げていくら叫んでもできることはたかが知れている。社会が本当に変わるということは地べたが変わるということだ。地べたを生きるリアルな人々が日常の中で外国人と出会い、怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って共生することに慣れていくという、その経験こそが社会を前進させる。それは最小の単位、取るに足らないコミュニティの一つから淡々と始める変革だ。この道に近道はない。(pp.85-86)−−

 この文章は、チェコから来た移民の子アンナと地元の英国人の子ケリーの激化する“抗争”について書いた「ふぞろいのカボチャたち」という章の中にある。英国人の子でよくキレるジャックとインド人の子アヌーシュカのやり取りを描いた別の章は、「分裂した英国社会の分析は学者や評論家やジャーナリストに任せておこう。地べたのわたしたちの仕事は、この分断を少しずつ、一ミリずつでも埋めていくことだ」(p.142)と締めくくられている。移民差別・排外主義を克服する保育実践にそれこそ泥まみれで悪戦苦闘してきたブレイディに対して、“排外主義批判が弱い”といった非難を投げつけるのは、あまりに失礼であり、またペダンティック(物知り顔の、学者ぶった、知識をひけらかす)すぎるのではないだろうか。

 本ブログのテーマに戻ろう。橋本の『新・日本』とブレイディの『反乱』の読み比べである。つまるところ、研究室から「階級」を見るか、地べたから「階級」を見るか、の違いだろう。そして断然、地べたからの視点に軍配が上がる。研究室に対する地べたの優位性については、『ユーロ危機と欧州福祉レジームの変容』(福原宏幸・中村健吾・柳原剛司編著、2015年8月、明石書店)の中で居神浩(いがみ・こう)神戸国際大学経済学部教授がブレイディの『アナキズム・イン・ザ・UK−壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(2013年10月、Pヴァイン)を高く評価しつつ、次のように触れている。

−−研究者は基本的に公表された政策メニューから政策を支える論理は何かを読み解こうとする。それはきわめてオーソドックスな手法であるが、ときにはそうでないやり方―たとえばストリート・レベルの人間・社会観察から大きな示唆を得ることがある。
 …ブレイディみかこ氏のエッセイ集はその点で非常に衝撃的であった。それはまったく知らなかった事実の発見というより、それまで不確かでもやもやしていた何かが、生々しいリアリティをもって確かなものに変わった経験を得られたからである。1つひとつのエッセイが実にリアルである…(p.128)−−

 ブレイディの『反乱』の結論はこうだ。「労働者階級を民族問題から解放せねばならない。『白人』という枕詞(まくらことば)をつけさせ続けてはいけないのだ。すべての人々を結びつけ、立ち上がらせることができるのは、人種問題ではなく、経済問題だからだ」(p.277)

 実際、2017年6月の総選挙でコービン率いる労働党は、雇用創出・医療・教育・住宅・福祉など公共サービスへの支出増大の積極財政を打ち出し、鉄道・郵便の再国有化などをうたったマニフェストを掲げて大躍進。若者たちが労働者階級の街に行き、1軒1軒地域の人びとの家のドアをノックし、地べたの労働者たちと語り合うドブ板活動によって勝利がもたらされた。その経緯についても『反乱』の記述はとても参考になる(pp.50-58、pp.268-271)。

 ブレイディは昨年10月の日本の総選挙後、『中央公論』(2018年1月号)に掲載された日英往復書簡「左派は経世済民を語りうるか」の中でも、こう述べている。

−−…日本では「左派はお花畑」っていう表現がよく使われますけど、下部構造のない花は、根から水を吸えないので枯れますよね。経済こそ自由の下部構造なんだと意識する、もっと泥臭い―根を持つ花は当然ながら泥で汚れます―左派が出てこないとこの状況は変わらないと思います。(p.131)−−

 ことはやはり冒頭の「階級」の語義に戻ってくるのだろうか。「階級は…経済制度あるいは生産の社会的体制における地位をさす」「搾取・被搾取の関係は…生産手段に対する所有・非所有の関係から発生する」。経済制度あるいは生産の社会的体制の根幹部分から切り離されてきた人びとが、奪われたものを取り戻す。搾取され抑圧され差別され支配されてきた人びとの意思に搾取者・抑圧者・差別者・支配者を従わせる。自らの未来は自らが決める。その闘いへの効き目ある刺激剤を『反乱』は与えてくれる。

 2点、付記しておきます。
 1つは、ブレイディの視野が英国内だけに収まっていないこと。『反乱』の中でも、欧州全体の反緊縮の闘いを見すえつつ、スーザン・ジョージやケン・ローチ、ジュリアン・アサンジ、ナオミ・クラインらが顧問に就く「Democracy in Europe Movement 2025(欧州に民主主義を運動2025、略称"DiEM25"、https://diem25.org/」を紹介し、EUの民主的改革の方向を示しています。
 もう1つ、反緊縮の政策として、「反緊縮=適度の成長」をとるのか、「反緊縮+脱成長」をとるのか、私自身はまだ考えをまとめきれていません。

(編集部 浅井健治)
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2018年03月19日

公文書改ざんの背後に「戦争する国」づくり

きのう新宿駅西口で行われた「市民と野党の大街頭宣伝」には4000人もの市民が集まりました。私の通勤経路でもあるので、ここでの演説会にはよく出くわしますが、小田急デパートの2階デッキにまで聴衆が鈴なりというのは初めてです。

「ひと言で言って“腐ってる!”」と叫んだ元SEALDsの奥田愛基くんをはじめ、力のこもったスピーチが続きました。ただ、それらのスピーチの中で、財務省が改ざんで隠そうとした森友と安倍夫妻の結びつきの背後に、教育勅語を暗誦させる愛国教育、「戦争する国」を担う人づくりの狙いがあることへの言及は少なかったように思います。

1年前になりますが、昨年3月30日の議員会館前行動で「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長は「森友学園は安倍教育基本法のモデル校」と的確に指摘する発言をしていました。そのあらましは以下の通りです。

−ここから−

 なぜ安倍首相や松井知事、自民党・安倍政権が森友学園の瑞穂の国記念小学校を作らせようとしたのか。
 この出発点になった会合が2012年の2月に行われた。安倍首相(ブログ投稿者注:当時は野党)が大阪に行って、育鵬社の教科書を作っている日本教育再生機構が開催した民間教育タウンミーティングにパネリストとして出演した。他のパネリストは、松井一郎大阪府知事、八木秀次再生機構理事長。この中で何が語られたのか。これが重要だ。

 安倍首相はこう言った。「1947年に制定された憲法と教育基本法は戦後レジーム、戦後体制そのものであり、この戦後レジームから脱却するのが自分の使命である」と。「この47年の教育基本法は日本の香りがしない。これを2006年に自分が改正した。この改正は自分の誇りとするところだ」と言った。そして、「教育基本法改正の1丁目1番地は道徳教育であり、伝統文化と郷土愛、愛国心もこの教育基本法に書き込んだのだ」と自画自賛している。
 安倍さんは当時大阪市議会で審議されていた国旗国歌起立条例、大阪府議会で審議中の教育行政基本条例について、これを「心から支持する」という意見を述べる。そして、「教職員が国歌を歌わない、あるいは起立しない−こういう教員は3回それをやったら首にすべきだ」と。その直前に最高裁が処分は戒告までしかできないという判決を出したが、「この最高裁判決は間違っている。こういう教員はすぐに首にしたらいい」と言った。安倍さんは「この大阪の教育基本条例は教育基本法と全く同じものであり、教育基本法を地域で具体化するものである」と称賛した。

 この集会で安倍さんと松井さんが壇上で固く握手し、「自民党と維新と党は違うがこれから連携して教育政策を進める」ということを約束し合う。当時この大阪市の条例そして大阪府の条例については大阪の自民党の市議団、府議団が反対をしていた。ところが、この安倍さんの発言の直後に自民党の市議団も府議団も態度を変えてこれに賛成に回る。そして、大阪の教育基本条例では愛国心を新たに盛り込んで、そういう修正をして可決するということが行われる。安倍首相は「この大阪の教育基本条例は安倍教育改革を具体化し推進するものである」として、「大阪の地から自分が進める教育改革、教育再生政策を松井知事と手を取り合って進めていこう」とそこで約束する。

 この条例の内容はまさに森友学園が幼稚園でやってきた教育そのものであり、この条例を実施していくモデルとして安倍さんと松井さんが森友学園そして籠池さんに白羽の矢を立てたと私は思う。森友学園が小学校用地を探し始めるのはこの直後。そこからこの問題が出発していると私は思っている。
 安倍首相と松井知事は2006年の教育基本法、大阪教育条例を具体化するモデルとして森友学園を考え、塚本幼稚園が行っている教育を小学校を作って実行する。こういうことを考えて全面的にバックアップしてやってきたのだと思う。
 そのことは文部科学省がこのかん、森友学園、塚本幼稚園の教員を3人も優秀教員として表彰していることにも表れている。この優秀教員表彰制度は安倍さんが第1次政権の時に作った制度。このことにもつながりがあるだろうと思う。

 だから、安倍昭恵夫人は15年9月5日に名誉校長として行なった塚本幼稚園での講演の中で、「こちらの教育方針は主人も大変すばらしいと思っている。卒園後、公立小学校の教育を受けるとせっかくこの幼稚園でできた芯がぐらついてしまう。だから塚本幼稚園でやってきた教育(これは洗脳教育にすぎないが)、これを小学校でもやるんだ」と小学校を作る意義を語っている。昭恵さんはこう言っている。「籠池先生の教育に対する熱き思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。瑞穂の国記念小学院は優れた道徳教育をもとにして日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てるものであります」と。

 この森友学園の教育を全国の学校に広げていこうというのが今安倍さんがやろうとしている道徳の教科化であり、次期の学習指導要領だと思う。これは子どもたちを国家・国益のために、グローバル企業と戦争する国のための人材としてつくろうとする教育だ。これこそが森友学園の小学校でやろうした教育に他ならないと思う。そういう意味で、この安倍さんがやろうとした教育はまさに戦争する国づくりであり、共謀罪を作ろうとする政策と一体のものだ。この森友学園の問題を徹底的に究明し、戦争法を廃止し、共謀罪を作らせない。そのためにお互いに頑張っていきたい。

−ここまで−
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(3月18日 新宿駅西口)

(編集部 浅井健治)
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2018年03月01日

幸せになるために働くのに働いて命を失っていいのか:過労死遺族の訴え

日本弁護士連合会が2月28日、衆院第二議員会館で開いた「労働時間法制を考える院内市民学習会」で、過労自殺した電通新人社員、高橋まつりさんの母幸美さんと、過労死したNHK記者、佐戸未和さんの母恵美子さんが発言しました。以下はそのあらましです(文章の責任は本ブログ投稿者にあります)。

◎高橋幸美さん

 静岡から来た高橋まつりの母です。
 私は娘が生まれてからずっと、自分の命をかけても絶対にこの子を守りたいと思っていた。地方で暮らし、母子家庭で育った境遇の娘に、私はいつも話した。
 それでも、自分の夢を実現するための娘のハングリー精神は並大抵のものではなかった。自分の努力で夢を実現して学問を修め、日本に貢献したいと希望を持っていた。言葉と文章で表現者として活躍し、政府の仕事をしたいと、大手広告代理店に入社した。その後わずか9か月、長時間労働とパワハラで精神障がいを発病して命を落とした。

 上司は残業時間を正確に記録しないように指示していた。「残業するな」と言われるのに「新人は死ぬほど働け」と言われ、先輩はあり得ないほどの仕事をどんどん振ってくる、意味が分からない、この会社おかしい、東京の夜景は私たちの残業がつくっている−そう娘は言っていた。
 時には連続3日間、徹夜で仕事をしていたこともあった。労災申請から半年で認定されたが、どんな認定されても娘が生きて戻ってくるわけではない。24歳の娘の人生も、努力も、夢も、未来も、取り返しがつかない。

 この度の働き方改革関連法案は、過労死の防止と矛盾する内容であると思う。過労死遺族としては絶対に許すことはできない。時間外労働の上限規制が100時間未満という数字は一体なぜなのでしょうか。三六協定で過労死ラインを超える残業時間を設定している職場がたくさんあり、過労死が起きている。労災認定の過労死ラインを超える100時間という数字にすることは、労働者を過労死させることを職場に許可するものだ。
 裁量労働制の適用業務の拡大、高度プロフェッショナル制度の導入は、長時間労働を認め助長するものだと思う。

 日本には労働法を守らない会社があり、過労死が起きている。
 電通は労基署の是正勧告を再三受けていたのに、娘は亡くなった。本人が希望しないのに裁量労働制に変えたり、仕事量を決める裁量がないのに成果だけを求められるおそれがある。娘の仕事はインターネット広告を法人のニーズに応じて企画・提案することだった。政府案の企画業務型裁量労働制の対象になる。もし法案が成立すれば、娘のような長時間労働もすべて合法とされてしまう。

 また、命を守るためにヨーロッパ並みに11時間の勤務間インターバルの義務付けをしていただきたい。娘のインターバルは5時間ほどしかなかった。11時間インターバルがあれば娘は眠ることができ、死なずに済んだ。

 私たち遺族は、過労死犠牲者が日本にたくさんいること、法律を守っていない企業があること、法律は私たちを十分に守ってくれないので自分自身で身を守る必要があることを訴えている。
 幸せになるために働いているのに働くことで命や健康を失っているのが現実です。罰則付き時間外労働の上限規制が100時間未満という数字の見直しを求める。裁量労働制の適用業務拡大、高度プロフェッショナル制度関連法案の削除を求める。勤務間インターバルの義務付けもしていただきたい。
 安倍総理大臣も加藤厚生労働大臣も「過労死を二度と起こしてはならない」と何度も話されている。その言葉が本当ならば、命を犠牲にするのではなく働く者の命と健康を守るための働き方の改善にしていただきたいと思う。
 私からのお願いは以上です。聞いてくださり、ありがとうございました。

◎佐戸恵美子さん

 佐戸未和の母、佐戸恵美子でございます。
 昨年10月、報道記者をしていた長女、佐戸未和が4年前に過労死で労災認定を受けていた事実が公表された。
 未和は私のかけがえのない宝、生きる希望、夢、そして支えだった。亡くなったあと、私は放心状態のまま、家にこもり、ひどいうつ病となり、娘の遺骨を抱いて毎日毎日娘の後を追って死ぬことばかり考えていた。二度と心から笑えることはなくなり、苦しみと悲しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を世の中にきちんと伝えたいとの思いでここに立たせていただいている。

 未和の死はあまりに突然だった。2013年の6〜7月、東京都議選・参院選と立て続けに大型選挙があり、真夏の炎天下、2か月にわたる選挙取材・報道に駆け回っていたが、選挙戦が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなった。連絡がつかず心配して駆けつけた婚約者によって発見された。私たちは娘の悲報を当時駐在していたブラジルのサンパウロで受け、半狂乱になって帰国し、死後4日目の変わり果てた娘に対面した。

 未和の勤務記録票を見たときに私たちは泣いた、こんな働き方をしていたのか、と。深夜残業を連日続け、土日出勤を繰り返す異常な勤務状況だった。まともに睡眠をとっていなかった。記者にとって選挙取材は本来の担当業務に加え新たに発生する、臨時の記者も待ったなしの集中業務だ。後で聞いた話や残された未和のノートからも、同じ職場の他のベテラン記者たちと比べて明らかに未和への仕事量は多かった。
 私たちはこんな長時間労働がどうして会社の中で放置されていたのか、どうしても理解できない。社員の労働時間の管理は上司の責任であり、普通の職場であれば部下の深夜残業が続けば止めるはずだ。部下の深夜残業が連日続いたり、土日出勤を繰り返せば止めるはずだ。組織としても社員の労働時間を適正に把握する義務があり、そのためのチェックシステムやルールもあったはずだ。

 労基署が認定した時間外労働時間は亡くなる直前の1か月間は159時間37分だったが、私たちが算出した時間外労働時間は亡くなる直前の1か月間は209時間、その前の月が188時間だった。当時職場では記者に対しては事業場外みなし労働時間制が適用され、何時間働いても労働時間は同じと扱われていた。これはみなし労働という意味で裁量労働制と同じだ。
 職場の上司は未和が亡くなったあと私たちに「記者は時間管理ではなく裁量労働で、個人事業主のようなもの」と何度も言い、まるで労働時間を自己管理できずに死んでいった未和が悪かったように言われているようだった。この制度があったため、職場では上司による部下の労働時間の適切な管理が行われず、200時間を超える時間外労働が野放しとなり、未和は過労死に至った。制度を乱用した労務管理の怠慢による明らかな人災だ。
 裁量労働制は自分で自由に労働時間を決められる働き方だが、仕事の量は自分では決められない。未和を含めて職場で働く大勢の社員は勝手自由に働けるわけではない。裁量労働となれば労働時間は自己管理とされ、会社の労務管理がおろそかになり、制度が乱用されて、また未和のような犠牲者が出てくる。裁量労働制の拡大は長時間労働を野放しにし、ずさんな労務管理の格好の言い訳になってしまう。

 未和のにおい、未和の体の温かさを私はこれからも忘れることはない。私たちと同じ苦しみを背負う人が二度と現れることがないよう、働く人の命と健康をしっかりと守る法律を作っていただくことを切に願っている。
 ご清聴ありがとうございました。

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 佐戸恵美子さん(右)と高橋幸美さん

(編集部 浅井健治)
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2018年02月15日

雨以外に何も落ちてこない平和な空を:保育園園長の訴え

2月13日、衆院第二議員会館で「『なんでおそらからおちてくるの?』子どもたちの空を守る父母会院内集会」が開かれました。沖縄選出の野党国会議員でつくる「うりずんの会」などの主催です。昨年12月、米軍ヘリのものと見られる部品が落下した宜野湾市の保育園の園長とお母さん6人が政府要請行動を終えて参加し、発言しました。

以下は、神谷武宏さん(普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園園長、牧師=下の写真一番左)の発言のあらましです。パワーポイントで写真を示しながらの訴えでした。

なお、院内集会で参加者の一人が「本土の私たちが何をしたらいいか」と質問したのに対し、神谷園長は「それはどうぞご自分で考えてください。そういうことを質問すること自体おかしい。こういう現状を見てもそういう質問が出るというのはほんとに情けない。申し訳ないが、そういうふうにしか答えられない」と応じていました。

−ここから−

 緑ヶ丘保育園は普天間バプテスト教会付属保育園として1964年4月に開園した。開園のきっかけはこの地域に保育園がなかったこと。近くに基地があり、どちらかというと貧しい地域で、子どもたちのために、お母さん方のためにと教会の庭を使って保育園が始まった。
 園庭は保育園に欠かせない。園庭で安全に、子どもたちがのびのびと遊ぶ。遊びを通していろんなことを学んでいく。まず園庭を100坪確保した。

 園庭ではいろんなことをして遊ぶ。運転棒、夏にはセミとり。子どもたちは水遊びが大好き。遊びすぎてびしょ濡れになるが、全身が水に濡れたってへっちゃら。シャボン玉で遊びながら泡風呂まで。子どもの笑顔ってすてきですよね。子どもの笑顔に私たちは癒される。園庭を思いっきり駆け回る子どもたち。
 沖縄は夏が長く、よくプールで水遊びをする。最後は、水をむだにしないためにみんなでウォータースライダー。われ一番にここを滑りたいという子どもたち。
 園庭では泥遊びをする。団子を作ったり、思い思いに土と戯れる。泥んこ遊びがエスカレートし、最後は泥まみれに。でも、本当に楽しそうに子どもたちは遊んでいる。
 園庭では運動会が毎年行われる。昨年10月、53回目の運動会を行った。待ちに待った運動会。親に見てほしいという思いを精いっぱい体を使って伝える。親御さんにとっても子どもの成長を垣間見るときでもある。
 他の保育園にあるだろうか、私たちの保育園では雨の日も園庭に出て、雨の中で遊ぶ。子どもたちは思い思いに雨と戯れ、雨を全身に感じながら、雨の恵みを感じとっていく。土砂降りに濡れている子どもたちのすてきな笑顔を見てください。

 昨年12月7日(木)午前10時20分頃、雨ではないものが降ってきた。空から雨以外が降るなんて誰も想定しない。筒状の透明なガラスのようなもので、長さ9・5センチ、直径7・5センチ、厚さ8ミリ、重さ213グラム。ドーンと激しい音を立てて落ちてきた。人と比べると大きさが分かると思う。トタン屋根にこれだけの凹みができるほどの圧力がかかっている。どれだけの高い上空から落ちてきたのか。どれだけの勢いをもって落ちてきたのか。
 当時、園庭には2歳児・3歳児クラスの園児たちが20〜30名ぐらいで遊んでいた。4歳・5歳児クラスの園児たちは園舎の中で、1週間後に迫るクリスマスの準備をしていた。生誕劇の役をみんなで相談して、「今度だれがマリアする?」「だれがヨセフさんする?」「だれが博士する?」「だれが羊飼いする?」「だれが天使する?」と話し合って「じゃあ私がマリア」と決めていく。みんなが楽しみにするクリスマスの準備をしているさなかに、その楽しみを踏みにじるように、この事故が起きた。
 落下物が落ちた屋根の下には1歳児クラスの園児が8人、先生方が2人いた。これから園庭に出て遊ぼうとしていたときだ。ドーンという激しい音に子どもたちも先生方もとても驚き、わぁーっと声を上げた。1人の先生は、同時にヘリの音が聞こえていたので、すぐにヘリから何かが落ちたと感じ、「とてつもない大きなものが落ちてきた。最初ヘリのプロペラが落ちてきたと思うほどの衝撃を感じた」という。激しい音がしたときに、園庭にいた先生が振り向くと、物体が大きく跳ね上がっていた。隣のゲートボール場にいたおじいちゃんたちも、この大きく跳ね上がる物体を見ている。
 この日は朝早くから保育園の上空をオスプレイやCH53などのヘリが飛んでいた。「きょうも朝早くからうるさい日だなぁ」と私も2階にいて感じながら仕事していた。園庭までわずか50センチしか離れていない屋根の上で物体が止まっていた。下には子どもたちがいた。一歩間違えれば、子どもたちや先生方が大変なことになっていた。いつもより早めにお迎えに来ていただくよう連絡したが、仕事されているご父兄がほとんどだから、私たちが園舎の中で子どもたちを預かった。

 先生から「ヘリから何かが落ちました」と声をかけられて私はすぐ屋根の上を見た。赤い何かが落ちている。降りていって写真を撮ろうとして1bぐらいまで近づいた。もわーっとする、熱を帯びた、油のような、エンジンの焦げたような臭いがした。とっさに、これは危険なもの、触ってはいけないものだと察知した。
 まず宜野湾市基地渉外課に電話し、対応を確認。警察への通報とメディアへの連絡。警察にはしっかりと調査するように、メディアにもしっかりと事実を報道するように、と話した。今もメディアに対しては、左も右も関係ない、できるだけ全国の方にこの沖縄の実情を知っていただきたい、そんな思いで対応している。

 報道されていないことがある。警察が調査を終えて帰った後、落下物は米軍大型ヘリCH53Eのプロペラの根元にあるストロンチウム90の放射線を抑制するカバーだと分かった。このことは報道されたが、そのカバーは放射線を含み、周辺に放射するおそれはないか。園長として子どもたちの命を預かっているから、何とかしなければならないと思った。午後から園庭に出て遊ぶことは中止にした。昼寝の後は、子どもたちを園で大事に預からせてもらった。同時に、琉球大学の物理学者である矢ヶ崎(克馬)先生に連絡し、このCH53のストロンチウム90のカバーについて尋ねた。矢ヶ崎先生は、このカバーに放射線が付着し放出するおそれはほぼないだろう、と。私は「ほぼない」では納得ができず不安で、先生と相談しながら、知人を通して測定していただくことになった。丁寧に時間をかけて測定していただいた結果、全く通常の値であることが分かった。周りにいたメディアの方がたと相談し、このことに関しては報道してくれるな、と規制をかけた。風評被害のおそれがあると思ったからだ。測定の結果を受けて翌日の保育園の開園を決めた。

 米軍は翌8日に、落下物自体はCH53大型輸送ヘリの部品であることを認めた。しかし、飛行中の機体から落下した可能性は低い、と説明した。この言葉に私はびっくりした。あのドーンという、トタンが凹むほどの衝撃。大きく跳ね上がる物体を見たという証言がいくつもある。もわーっとする熱を帯びたエンジンの焦げた臭い。米軍は「カバーは全部揃っているからちゃんと回収している」と述べ、「だから落としたはずがない」と答えた。そのことに対して政府は「ああ、そうですか」というような感じですよ。

 この米軍発表があってから誹謗中傷の電話・メールが保育園と教会に来るようになった。これ(パワーポイントの画像)は教会に来た誹謗中傷メールのほんの一部だ。メールは見なければたいしたことない。でも電話はほんとに困る。朝忙しいときに電話が鳴り、受話器をとる。すると、どなるようにして誹謗中傷を言われる。「あなた方の園は基地がある前からあったのか」「あなた方が『ヘリは飛ぶな』と言ったら誰が日本を守るんだ」。そんなことをどなるように、ずーっとしゃべっている。そういうことが12月いっぱいまで続いた。私たちの対応としては(ナンバー)ディプレイの設置とか留守電にするとか。留守電にもいくつか入っていた。今年になっても無言電話が少し入る。これは一つの流行みたいなものか。そんなふうに考えてしまう。
 私たち当事者が米軍からと思われる被害を受け、そしてまたこの誹謗中傷という二重の被害を受けるということが起きている。米軍が事故だと認めないのであれば、これはもう“事件”だ。私たちは事件として扱ってくれと警察に訴えている。これは殺人未遂事件だ。米軍が認めないなら、警察はそういう態度をもってあたるべきだろう。

 事故の翌日、子どもたちはいつものようにほぼ全員元気に登園してくれた。園側に親御さんから「子どもたちを守ってくださってありがとうございました」という暖かい声もあった(と涙声で)。親御さんは子どもの無事を確認し、ほっとした後、「子どもたちにケガなかったからよかったさぁー」では済まされないね、とだんだんワジワジしてくる。怒りの思いが出てくる。
 翌日です。父母会役員が立ち上がって、私たちの声を上げよう、と。「どうしたらいいんですか、園長先生」という相談もあったが、お母さん方自らがお母さん方の手で、お父さん方もいたが、嘆願書の作成に動き出す。3日後、日曜日に緊急父母会を行い、全員一致で嘆願書の作成、署名活動が始まる。

 嘆願書の内容はこうだ。
−−私たちの上を飛ばないでください。緑ヶ丘保育園園児・保護者からのお願い(嘆願書)−−
 12月7日木曜日に米軍ヘリからと見られる部品落下の事故が起こった。今回は子どもたちにケガもなく全員無事だった。しかし、けが人がいなかったからよかったさぁで済まされることではない。一歩間違えれば命に関わりかねない重大事故だ。
 緑ヶ丘保育園は滑走路の延長線上にあり、子どもたちは飛行機のおなかが見えるよというように保育園の真上を米軍機が爆音・騒音とともに何度も飛び交う中で園生活を過ごしているのが現状だ。これは基地があるからあたり前なのでしょうか。子どもたちにとっていい環境なのでしょうか。
 今回の事故で保育園上空が日米で合意された米軍ヘリの飛行ルート外であることが分かった。どうして米軍ヘリが毎日上空を飛ぶことが許されるのでしょうか。子どもたちの命はつねに危険にさらされている。私たちは子どもたちを守るため、こういうことが二度と起こらないよう下記の事項を強く要望する。これらの事項を防衛省ならびに米軍に対し強く求めていただくよう要請を申し上げる。
 要望 @事故の原因究明および再発防止A原因究明までの飛行禁止B普天間基地に離発着する米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止。
 子どもたちの命、未来を守ってください。

 そんなにむずかしいことは言っていない。要望の内容はごく常識的な、当然のことを記しているにすぎない。この要望に真摯に向き合っていれば、第二小学校の事故はなかったはずだ。

 12月13日、保育園の落下事故からまだ1週間もたっていない。普天間第二小学校は私の母校でもある。保育園から第二小までは1キロも離れておらず、保育園の父母の中には、下の子が当園に通い、上の子が第二小に通っている方が何人かいる。1週間のあいだにこんなあり得ない苦しみに遭うなんて本当につらくなる。

 2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間基地所属の大型ヘリCH53が墜落・炎上した。この大惨事を踏まえて飛行ルートを新たに整備し、2007年より具体的な飛行ルートを公表している。その資料をもとにお話する。
 黄色い円を描くように飛ぶルート。これは300b上空からオートローテーション機能を使ってのエンジン停止時に降下し、安全に基地内に戻れる範囲を設定している。エンジン停止、300bからこれなら安全に下りるだろうという訓練だ。こういう訓練を普天間基地でやっている。みなさんのところでこういう訓練、しますか。
 青い点線が飛行ルートになっている。これを見ると、緑ヶ丘保育園、普天間第二小学校はそのルートから十分に外れていることになる。防衛局は飛行ルートをチェックするために各所にカメラを設置し、観測をしている。防衛局が2017年9月に公表したデータには、2016年4月から2017年3月までの毎月の観測データがある。2016年6月の飛行状況データを見ると、飛行ルートではない上空を飛んでいる。緑ヶ丘保育園の上空を塗りつぶすかのように飛行機が、ジェット機が、ヘリが、オスプレイが飛んでいることが分かる。1か月後の2016年7月の飛行状況データ、12月の飛行状況データ。何にも変わっていませんよ。これが現状です。米軍は彼らが言っているルールを全く守っていない。

 緑ヶ丘保育園の父母会はそういう学びをしつつ嘆願書を作成し、署名活動を行っている。米軍はルールを守らない。大人としての約束を守らない。日本政府は沖縄で起きている人間の命の尊厳の危機に向き合わない。だからといって私たちは泣き寝入りするわけにはいかない。子どもたちの命を守るために、また「好きで選んで入れていただいた緑ヶ丘保育園を守りたい」とおっしゃって立ち上がっている。はだしで駆け回ることができる園庭を守りたい。保育園で思いっきりこれからも遊ばせたい。そうおっしゃってお母さん方の闘いが始まった。
 署名活動をして10日が過ぎて第1期の締め切りの作業をした。2万6372筆の署名が集まった。お母さん方は街頭署名も始めた。週4〜5回、午前午後と分けて父母の方がたが交代しながら、仕事の合間、家庭の合間をみて署名活動をしている。全国から多くの署名が寄せられた。1月31日の署名数は10万456筆。署名は2月11日で終了し、署名活動62日間で12万6907筆になった。お寄せくださった全国のみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げる。ありがとうございました。

 嘆願書を携えて各所を訪ねた。宜野湾市の佐喜真市長、市議会議長、県議会議長。沖縄防衛局は2度訪ねて2万6千あまりの署名を手渡している。外務省沖縄事務所、米国領事館。県庁では翁長知事に直接嘆願書と署名を手渡した。県庁は3度訪ねている。9日にも翁長知事に面会し、私たちの政府要請行動を後押ししてくださった。
 12月29日に宜野湾市市民大会を開催した。緑ヶ丘保育園も主催者側に加わり、6団体が中心になって盛り上げ、わずか1週間足らずの準備で600人あまりが集った。父母会を代表して知念有希子副会長があいさつ。「安心して安全なあたり前の空の下で子どもたちを遊ばせたいだけ。子どもたちに『大丈夫だよ。空からは雨しか降ってこないよ』と言えるように飛行禁止を求めていく」と語り、多くの参加者の共感を得、涙を誘った。

 保育園・普天間第二小学校の落下事故から次から次に不時着事故が相次いでいる。先週8日にもオスプレイが落下事故を起こした。これはもう異常事態だ。沖縄は無法地帯ともいえる。
 今回の米軍による落下物事故の数日後に、保育園に訪ねてきた方がいる。1959年6月30日に起きた宮森小学校ジェット機事故の犠牲者の遺族の方だ。その方が「大変でしたね」と声をかけてくださった。きっとこのような米軍による事件・事故が起こるたびに、あの58年前の悲しみ、苦しみがえぐられるように思い起こされるのであろう。その方のお話の中で、宮森小の事故後米軍が、亡くなった家族の前で賠償金の話をし、1家族に1000ドルを支払う、と言ったそうだ。すると1人の母親がこう答えた。「あなたの息子をここに連れてきなさい。あなたの息子を殺して私が賠償金1000ドル、あなたに払うさぁ」。そう叫んだそうだ。米兵は怒って銃を空に向かってドンと撃った。母親の悲しみはどれほどのものか。米軍の傲慢さはどれだけのものか。この状況は当時も今も何も変わっていない。

 母親の子に対する思いは何も変わっていないからこそ、これだけの行動を保育園のお母さん方はしている。米軍の傲慢さは何も変わっていない。これだけの事件・事故を起こし続けても、詫びることもなく、隠蔽さえしようとしない。落下物事故をいまだに認めない。沖縄がいまだ占領地であるかのように感じてならない。しかし、沖縄もまた日本国憲法のもとにあるはずだ。基本的人権、命の尊厳は保障されているはずだ。人間が人間らしく、安全に生活できる保障があるはずだ。
 東京の人たちが米軍基地の脅威にさらされていますか。なぜ沖縄だけが米軍基地からの脅威にさらされ続けなければならないのか。これは不平等だ。
 どうぞ沖縄の現状に向き合ってください。沖縄の基地問題は決して沖縄の問題ではないはずだ。日米安保は日本国民の8割以上が賛成だ。しかし、その日米安保の弊害はどこで起きているか。日米地位協定の弊害を東京に住んでいる人は感じていますか。沖縄の問題は日本の問題であり、あなたの、あなた方の問題です。どうか平和な空を返してください。雨以外に何も落ちてこない平和な空を保障してください。日本政府は日本国憲法にのっとって国民の命に向き合ってください。沖縄の人びとの命にも向き合ってください。
 ここに来られている方がたはきっとそのことをよく理解されていることだと存じ上げている。どうぞ東京でも声を上げていきましょう。声を上げ続けていきましょう。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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2018年01月25日

南西諸島への自衛隊配備〜米軍戦略からみえる狙い:伊波洋一参院議員

以下は、1月18日参院議員会館で行われた「STOP!南西諸島の自衛隊配備院内集会&政府交渉」における伊波洋一参院議員の発言のあらましです。

この中に出てくる安倍のハドソン研究所スピーチや海上自衛隊幹部学校『海幹校戦略研究』については、次の週刊MDS記事もご参照ください。
【1384号主張/安倍が戦争法制に固執するワケ/軍事力のグローバルな先制発動】
http://www.mdsweb.jp/doc/1384/1384_01a.html
【ミリタリー 危険極まりない米軍の対中軍事戦略 日本はアジア軍事支配に「活用」】
http://www.mdsweb.jp/doc/1422/1422_02m.html

−ここから−

 南西諸島の自衛隊配備は、(会場に掲げられたプラカードを指しながら)与那国島・石垣島・宮古島・沖縄本島・奄美大島・馬毛島・佐世保と書いてあるが、1か所だけの問題ではない。全部関連してくる。佐世保の水陸機動団をキャンプ・ハンセンあるいはキャンプ・シュワブに移そうという話もある。今何が起こっているのか。
 辺野古では新基地が建設され、高江ではヘリパッドがつくられ、伊江島では訓練施設がどんどんつくられて訓練が強行されている。沖縄の米軍基地は強化されている。その中での自衛隊配備だ。
 ここに配備される部隊は有事即応部隊、すぐ戦争するための部隊だ。そこが戦場になりますよ、と想定している。去年の自衛隊法改正で正式に「南西シフト」になった。自衛隊の総力が南西諸島での戦争に備えるシフトに変わっていく。これは日本を守るものなのか。そうではない。日本を戦場にする、南西諸島だけではなく日本列島を戦場にするものだ。
 何のための戦略か。アメリカの対中国戦略だ。中国とアメリカが有事になったとき、その戦争を日本列島、南西諸島で引き受けてもらい、そこで火消しをする。そこで終わらせる。エア・シー・バトルの典型であるオフショア・コントロール戦略に基づいている。
 2010年頃まで、アメリカは中国をやっつけきれると思っていた。中国を奥深くまで攻撃し、戦争で勝つ。しかし、アフガニスタン戦争、イラク戦争の後、2008年のリーマンショックでアメリカの経済が停滞する一方、中国は2桁の成長をし、今や購買力平価で中国経済はアメリカを抜いた、2020年代にはドル・ベースでも抜くといわれている。1995年に中国の経済力は日本の10分の1だったが、今は4倍。2030年頃には10倍になる、6・7%の成長が持続するだろうといわれている。もはやアメリカは中国と戦争しない。しかし、何らかの有事が起こった場合、どこで火消しをするかと練られているのが、オフショア・コントロール戦略だ。
 2012年末に安倍政権が誕生した。安倍首相は2013年9月、アメリカに行き、本当はオバマ大統領と集団的自衛権の話をしたかったが、オバマ政権から「そういうことは言うな」と制止されて、ハドソン研究所で「集団的自衛権についての憲法解釈を見直す」という講演をした(今も首相官邸のホームページに載っている)。「日本がアメリカの安全保障の弱い環であってはならない。強い環になる」と。これは南西諸島の軍事強化の表明だ。「右翼の軍国主義者と呼びたければ呼んでいただきたい」とまで言っている。翌年、集団的自衛権の行使容認を表明し、2015年には実際それを法制化した。
 ハドソン研究所でメッセージを出した後、早速、沖大東島で離島奪還訓練が行われた。宮古島と那覇に地対艦ミサイルを配備し、訓練した。これは2011年から、そのときは奄美大島で、行なっている。そして、石垣島・宮古島・奄美大島への自衛隊配備が発表され、とても速いテンポで進んでいる。
 何のための部隊配備か。南西諸島を太平洋へと通過しようとする中国艦船を攻撃し、出させないためだ。米中が戦争状態にある有事を想定し、集団的自衛権の行使として行う。だから集団的自衛権が必要になる。訓練はアメリカで、沖縄で、毎年繰り返し行われている。本土各地の自衛隊基地からも、沖縄で戦争することを前提としたさまざまな取り組みが行われている。強襲揚陸艦も購入する。米海兵隊のような役割を持つ。すでにオスプレイは17機購入する。水陸両用車52両も購入する。
 どうして自衛隊がそれをやるのか。日米安保はアメリカが日本を守る安保ではない。“日本の領土は日本が守りなさい”なのだ。そういう名目の下で、尖閣問題が起こり、中国の脅威から日本を守るために配備すると一般的にはいわれている。
 4年前の石垣市長選の直後に公表されたビデオがある。全国から南西諸島に部隊をどのように展開するか、いかに自衛隊の中に海兵隊をつくっていくか、が報じられている。在日米軍(海兵隊)と自衛隊との共同指揮所演習では、まさに宮古島を舞台として“どう戦うか”の戦争の訓練をした。そこまで行っている。
 なぜ自衛隊を配備するか聞くと、彼らは空白地帯だからと説明する。南西諸島は沖縄本島には自衛隊基地があるが他はないから、奄美大島にも宮古島にも石垣島にも基地を置くことが安全保障になるから、と。しかし、そうではないだろう。
 島を守るには非武装・無防備にするのが一番いい。国際法上、非武装・無防備地帯は基本的に攻撃しない。ただし、占領に対しては開かれてはいる。だが、戦争はしない。それを無視し、そこで戦争をする前提で今回配備している。政府は防衛の空白を埋めるための配備と言うが、実際は敵国からの目標をつくることになる。島は縦深性もなく、攻撃されても守れない。四方八方から攻撃される。今の自衛隊の訓練は島を守る訓練ではない。島が攻撃され占領されて奪還する訓練、離島奪還訓練しかしていない。島に基地をつくり、そこが占領されることを前提に、そこで戦争が起こっていることを前提に、それを奪還する訓練をしている。
 2005年の日米同盟再編合意で「日本は弾道ミサイル防衛やゲリラ・特殊部隊による攻撃、島しょ部への侵略など新たな脅威や多様な事態への対処を含めて自ら防衛し、周辺事態に対応する」とした。日米同盟は自分たちの島は自分たちで守るんだ、と。日米安保はアメリカが日本を守る役割をするのではない、という合意を結んだ。水陸機動団はアメリカにはいくつもあるが、海兵隊はそれをしない。
 2011年に創刊された海上自衛隊幹部学校『海幹校戦略研究』にいくつも論文が出ている。とりわけ「アメリカ流非対称戦争」(2012年5月)はまさに宮古島・石垣島のことを言っている。宮古島と沖縄本島の間の公海は400キロぐらいあり、ここを阻止することがいかに重要か、と書かれている。その意味は台湾防衛。「台湾の脆弱な東海岸に中国軍艦を行かせない」ための取り組みだ。アメリカが守ろうとしているのは台湾であって、尖閣ではなく日本ですらない。これが今アメリカが進めようとしている戦争だ。
 大きな目的は、米中戦争を琉球列島での戦闘で「米国政府の適度な目標達成に有効とする」こと。米中全面戦争や核戦争にエスカレートさせない制限戦争を行うためだ。「核の閾値(いきち=しきい値)以下にとどめることが肝要」で、米中はそれぞれ相手を攻撃しないという流れになっている。「外見はささいな日本固有の島しょ(宮古島や石垣島のような)をめぐる争いが、通峡阻止の戦いでは紛争の前哨戦として一気に重要になる」(尖閣をアメリカは日本固有の領土と認めていない)。こういう戦略が作られ、そのことに一生懸命日本が行動する。最終的に島におけるゲリラ戦になる。
 参院外交防衛委員会で質疑した。配備される部隊は一つの場所にい続けるのではなく、1回ミサイルを撃ったらすぐ探知されるのですぐ動く。市街地から離れた集落周辺から発射されることもある。隠れる場所(掩体=えんたい)もつくらなくてはいけない。それをつくる部隊は、配備はしないが、九州から来る。日頃から演習が行われる。
 住民保護は誰がするのか。「市役所のやる仕事です」と。驚いたことに、防衛省の職員に聞くと、住民保護計画は予算が1円もない。何のシェルターもつくっていない。保護のパターンを作れと言っているにすぎない。
 中国と戦争する必要はない。今年は日中平和友好条約40周年。戦争の準備よりも平和を深める方がいいというのが私の結論だ。尖閣の問題を早く収めて、アメリカのための戦争をする場を日本が提供するよりは、「私たちは戦争はノーだ」と言い、基地をなくす流れにしていくべきだ。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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2018年01月10日

『琉球救国運動 抗日の思想と行動』を読む

正月休みを利用して、後田多敦(しいただ・あつし)著『琉球救国運動 抗日の思想と行動』(2010年10月 出版舎Mugen刊)を読み終えました。とくに「第四章 徴兵忌避と抗日」がおもしろかったです。

明治政府は1872年に公布した徴兵令を沖縄に対しては1898年まで施行することができませんでした。徴兵令実施後の沖縄では、忌避者が続出します。

本書によると、「…指を切断し、鼓膜を傷つけたり、わざと不衛生にして皮膚病を患うなどの自傷行為から…学力検査で無知を装い、あるいは日本語を理解できないふりをするなど…あらゆる手段を用いてなんとか徴兵検査を逃れようとする者」「移民という合法的な方法で徴兵を避ける者、さらには、身を隠し行方をくらまして検査を避け、ひそかに清国に密航する者」が相次ぎました。眼球を針で刺し、あるいは線香で焼いたり、関節を無理やり曲げて痛めたり、樹草の毒汁を体に塗って皮膚炎を起こしたりといった事例もあったとのこと。

徴兵事務視察のため沖縄に派遣された陸軍省軍務局の堀吉彦大尉はこんな報告を書いています(1910年)。「この輩(やから)の徴兵忌避は単に徴兵上の忌避というよりはむしろ日本の政治を忌避するものと見たほうが当たっている」

後田多さんは指摘します。「沖縄の徴兵忌避の特徴は、日本の他の地域と違い…『日本の政治を忌避』するという根本的なところから発生するものであった。そのため、徴兵忌避は単なる個人の問題ではなく、家族や親族、地域社会という社会的な環境のなかで生まれていった。地域の人々は若者を徴兵する徴兵官らに抗議し、あるいは呪詛(じゅそ)し、また若者たちが新兵として入営の見送りでは『悲歌涕泣(ていきゅう)』していた。そのような環境のなかで、徴兵忌避は途絶えることなく、その後も続いた」

多くの徴兵忌避者を出していた本部(もとぶ)村では1910年5月、徴兵検査の際、忌避の疑いのある一人の青年に対する医官の行為に怒った村民が検査場に乱入して徴兵官らに暴行を加え、機器を破壊し、徴兵官らは抜刀し住民を斬りつける事件が起きます。本部村の住民24人が騒擾(そうじょう)罪に問われました。

上記堀大尉は事件について次のように分析しています。「この部落は元来、国家思想に乏しい支那(ママ)崇拝の系統を有する結髪士族頑固連の巣窟と称する地である。とくに若干の巨魁(きょかい)らしき者がいて他の者をそそのかし、なるべく兵役に服させられないよう努めつつあると疑われる。これらの輩がこの機を利用してその無法を逞(たくま)しくし、彼らの非国民的団結を固めようとしたのではないか。(徴兵忌避の激しい本部村桃原〈とうばる〉地区は)徴兵上のみならず納税やその他の行政上でもさまざまな支障を来たすことが多い。当局者は桃原地区の者を生蕃(せいばん=原住民)的人民と称している」

「日本の政治を忌避」する人びとの「非国民的団結」。現在の「オール沖縄」の源流の一つがここにあるのでしょうか。

後田多さんは本書をこう締めくくっています。「冊封体制の一員であった琉球国は…日本に併合され、…米国の統治下におかれ、…『復帰』という形を経て現在は日本に帰属している。東アジアの近隣に目をやれば、香港や台湾など近代のなかで国際的地位がゆれ続けている地域がある。…琉球・沖縄も同様だといっていいだろう。近現代における琉球・沖縄の国際的位置のゆらぎを、日本史の枠組みでとらえることは難しい。琉球救国、抗日運動研究が教えることは、近代東アジアの他地域の歩みや抗日運動との対比の必要性であり、東アジアの近代史の一つとして琉球・沖縄をあらためてとらえ直し、位置づけていくことが必要だということである」

東アジア各地の抗日運動の一環として沖縄の闘いを位置づける。その重要性を本書から学びました。

-----Original Message-----
From: ASAI Kenji
Sent: Monday, December 25, 2017 10:21 PM

前田朗さんがブログや週刊MDSコラム「非国民がやってきた!」で紹介されている後田多敦(しいただ・あつし)さん著『琉球救国運動 抗日の思想と行動』を、ようやく図書館から借りて読み始めています。
【琉球救国運動−−必然としての「抗日」】
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/11/blog-post_9.html
【非国民がやってきた!(260)土人の時代(11)】
http://www.mdsweb.jp/doc/1484/1484_06m.html

といっても、定価本体3800円、索引を含めて376ページにも及ぶ大著ですから、お正月休みを費やしてもおそらく読みきることは不可能でしょう。

まえがきの一部を抜き書きします。

−ここから−

清国で死んだ救国運動の初期のリーダー幸地朝常(向徳宏)は「生きて日本国の属人となることを願はない、死んで日本国の属鬼となることを願はない。身を廃し首を砕くといえどもまた辞さない」という言葉を残している。救国運動の人々は、その言葉どおり、日本へ組み込まれることを拒否して行動し、琉球国が滅亡した後も「琉球国」の人間として生き、そして死んだ。

この歴史的事実の意味は大きい。沖縄が日本の枠のなかに置かれていることは、自明のことではない。そのことを、彼らは死んだ後も墓標を通して静かに主張し続けている。沖縄に生きる私たちは、彼らが存在した事実とその行動の意味を受け止める必要があるだろう。

−ここまで−

後田多さんは続けて、現在の沖縄人はこの事実を知らなすぎるのではないか、と指摘します。まして日本(ヤマト)の私たちにはこの事実への認識が致命的に欠けていることは疑いないところです。そのことを肝に銘じながら、読み進めます。

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 18:13| 報道/活動報告

2013年04月01日

支援議連が原発被災者ヒアリング

【支援議連が原発被災者ヒアリング 福島県外からも要求相次ぐ】

 3月14日、子ども・被災者支援議員連盟発足後初の原発被災者ヒアリングが参院議員会館で行われた。「原発事故子ども・被災者支援法ネットワーク」(原発事故子ども・被災者支援法市民会議、JCN=東日本大震災支援全国ネットワーク、日本弁護士連合会の3者で設立)との共催で、避難者や福島県外の被害者をはじめ約150人が参加した。

 最初に国会議員が決意表明。渡辺喜美衆院議員(みんなの党代表)は「政府はいまだに基本方針を作っていない。国会の外側からこうした運動を起こしていく」、谷岡郁子参院議員(みどりの風代表)は「全会派で共同提出し全議員の賛成で成立した法律が半年以上棚ざらし状態に。それなら自分たちで基本方針、予算のたたき台となるものを作ろうと最終的な整理の作業に入っている。皆さんと私たちの共同作業で作りたい」と述べた。

 要求をぶつけたのは、福島や宮城からの避難者、宮城・栃木・千葉の被害者ら9人。福島県外からの発言が特徴だ。

 宮城から山梨に避難中の早尾貴紀さんは「原発から90キロ、小1の息子の健康が心配で3月14日、事故1年前に購入した新築住宅を残したまま、大阪へ。4月に東京で就職が決まったが、汚染状況をみて野球少年の息子のことを考え、東京にも住まないことにした。事故収束の見通しは立たず、支援者側も限界にきている。支援法の早期実現を」と求めた。

支援法で救済を

 宮城県白石市の古山智子さんは「福島との県境だが、自宅の物干しで毎時0・44マイクロシーベルト、自宅前の畑が0・548、通学路も0・562ある。文科省のモニタリングポストは0・14と低い値。福島より低いと言われるが、事故前より10倍も高い線量の所に24時間いなければいけないのはおかしい。私も避難したいが、自営業で従業員もおり、子どももいてなかなか避難できない。一日も早く元通りの線量に戻してほしい。宮城の子どもたちの最後の頼みは支援法。ぜひ最善を尽くして」。

 千葉県松戸市の増田薫さんは初期被曝を問題にした。「3月15日の吸入被曝、21日の雨が心配だ。23日には隣の東京・金町浄水場汚染の報道があった。その何日か前に水を飲ませてしまった。母親は知らないまま子どもを被曝させた、その後悔から活動を始めた。千葉県北西部はホットスポットで、毎時0・7〜0・8マイクロ。茨城県南部とともにチェルノブイリ法の放射線管理区域にあたり、働くことが許されない場所ではないか。夫の理解が得られず、子どもをサッカー教室に通わせて涙する母親もいる。去年10月から復興庁と交渉を始め、これまでに4回行なった。先月には千葉県9市の担当者が復興庁に、支援対象地域指定を求める要望書を提出。私たちはそれを後押しする署名活動を始めた」

 栃木県那須塩原市の手塚真子さんは「今も毎時1マイクロ、雨どいでは2桁の値も。屋内の線量が0・5以上の家もあり、将来の子どもの健康を非常に心配しながら暮らしている。ローンを抱え引っ越ししたくてもできない家庭、できるだけ線量の低い地域に連れて行き検査で確認することだけしかできない家庭も。私の息子は事故後、2時間外で遊ぶだけで2マイクロの被曝をする。自分たちで行なった甲状腺モニタリングは50名の枠に申し込みが殺到した。市内で甲状腺検査をやっているのは1施設だけで全額自己負担、曜日も限られている。食生活を気にしている人とそうでない人の内部被曝量には有意な差がある。周囲の大人の意識の差で子どもへの影響に差が出ないよう、支援法に期待したい」と述べた。

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posted by weeklymds at 20:59| 報道/活動報告

国会前アクション 生きる権利を奪うな

【3・12国会前アクション 生きる権利を奪うな 支援法の早期実行を】

 3月15日、復興庁は「原子力災害による被災者支援施策パッケージ」を発表した。しかし、「子ども・被災者支援法による必要な施策は盛り込んだ」(復興相)などと言える代物ではない。被災者・避難者とともに、支援法の基本方針策定・支援実現を迫る運動を強める時だ。

 3月12日には、国会正門前で「早く被害者への補償/支援政策を!国会前アクション」が取り組まれた。
 呼びかけた福島原発事故緊急会議の植松青児さんは「支援は1に速さ、2に内容。年間5ミリシーベルト、場合によっては20ミリなどというありえない基準値で支援対象外にしようとしている。事故被害に遭った方がたを市民がどれだけ後押しできるかが問われる」。

 人として生きる権利を切々と求める言葉に参加者はじっと聞き入る。大熊町から会津若松市に避難した木幡ますみさんは「高線量生活が続くのに、謝罪もなく補償もされない。疲れ果て、ののしり合いが起きている。わずかな財物賠償では犬小屋しか建たない。『自立しろ』『前を向け』と言われても余裕がない。私の住む仮設で60代男性が亡くなっているのが見つかった。東電も政府も補償が減るから喜ぶんだろうな、とみな言っている。これでは生きてきた甲斐がない。残された体と命を使って補償を求め続ける」。

運動を強める時だ

 鵜沼友恵さんは双葉町を離れて埼玉県に暮らす。100人の参加者を見渡して言葉を詰まらせた。「警戒区域の人間だけでは大きな声になりません。たくさんの人が集まってくれることが何より力強い支援。家や財産とともに生きる権利も奪われ、息をするのがやっと。国の基本となる国民をこれほどばかにしていいのか。人として見てほしい」

 つながろう!放射能から避難したママネット@東京の増子理香さんは「近く復興庁が新たな施策を出すと聞いた。避難したママたちがそれぞれのドラマを一人の人間として伝えてきたが、稀薄な支援でしかないのではと心配。支援法は福島のためではない。東京でも水が飲めなくなり、茨城や栃木の野菜も出荷停止になった。福島と同じ思いで事故の行方を見守っている。どうかつながってほしい」。

 福島老朽原発を考える会の阪上武さんは「福島県の県民健康調査は県内に限られ、チェルノブイリでは被災者の子どもの世代に慢性疾患が多発しているのに福島の調査はがんに限定。避難の促進が必要なのに、出てくるのは帰還基準の引き上げだ。年間1ミリを基準に避難者支援を行なわせるために力を合わせよう」。

 千葉県流山市の男性は「200キロ離れているが、会津若松より線量が高い。柏市は市域の6割以上が放射線管理区域。ところが、“除染は終わった”と安全キャンペーンに4700万円計上した。そんな金があるなら被災者に回せ」と求めた。

 参加者から「復興庁へみんなで押しかけよう」「デモをやろう」などの行動提起があり、「早く支援を」「ちゃんとした支援を」とコールが響いた。

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東電株主代表訴訟 告訴と一体で責任追及

【東電株主代表訴訟 告訴と一体で責任追及】

 東京電力の株主が福島原発事故当時の取締役27人の個人責任を追及し、総額5兆5040億円の賠償を求めている東電株主代表訴訟。東京地裁に提訴して1年たったのを機に、経過報告を兼ねた集会が3月16日、東京・渋谷で開かれ、約150人が参加した。

 脱原発・東電株主運動の木村結さんは、株主代表訴訟が証拠保全を東京地裁に申し立てた結果、東電テレビ会議の録画がマスコミに公開され東電の秘密が暴露されてきたこと、20年以上株主総会で脱原発を提案してきた株主運動の中で蓄積された議事録が株主代表訴訟だけでなく福島原発事故告訴においても証拠として採用されたことを紹介。「東電が株主すらだまし続けてきた証拠が、株主代表訴訟や告訴団運動で日の目をみた。長い間株主運動を続けてきて良かった」と話した。

 河合弘之弁護士も訴訟の意義を強調する。「まだ誰も原発事故の個人責任を取っていない。第2次大戦で言うと、東条英機や宇垣一成がまだ無罪で街をうろうろ歩いているのと同じだ。責任追及をきちんとして、そこを脱原発の基礎におく必要がある」

 トークライブで芸人のおしどりマコ・ケンさんは、東電の記者会見に通いつめ、大気中に排出された放射線量を開示させてきたといったエピソードを笑いを誘いながら披露した。

 パネルディスカッションには海渡雄一弁護士、政府事故調委員を務めた吉岡斉・九州大学副学長、朝日新聞の木村英昭記者が登壇。
 吉岡さんは、大津波災害の危険性が過去複数回指摘されていたにもかかわらず、東電が対策を怠り大惨事を招いたと政府事故調が分析したことを報告し、「その経緯を実名を挙げて報告している点が功績の一つであり、株主代表訴訟にも役立っている」と述べた。
 海渡さんは、会社および個々の役員ごとに津波予見と結果回避措置の可能性を検証していくことが今後の焦点と説明し、「最終的には東電にすべての情報を公開させる制度を作る必要がある」と意気込みを語った。

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起訴求める署名 10万を突破

【起訴求める署名 10万を突破/福島原発告訴団が東京地検に提出】

 福島原発放射能大量放出犯罪の厳正な捜査と起訴を求める署名が10万筆を超えた。
 福島原発告訴団は3月13日、第2次集約分6万3501筆(総計10万3766筆)を東京地検に提出。その後、司法記者クラブで記者会見した。
 武藤類子団長が経過を報告。「告訴・告発人は全国1万4716人。受理はされたが強制捜査は始まらず、『壁は厚い』と報道される。しかし、これしか刑事責任を問う場はない。10万を超えた署名は、原発事故の責任をただすことへの国民の関心の高さを示していると思う」と話した。
 河合弘之弁護士は署名提出と合わせて地検に対し、@東電本店を強制捜査し取締役会の議事録などを押収するA福島原発の現場検証を行うB検察の人手が足りないなら警察に協力させる−よう強く申し入れたことを明らかにした。

東電の強制捜査を

 海渡雄一弁護士は同じくこの日提出した上申書の内容を説明。脱原発・東電株主運動が作成した過去の株主総会の議事録から、取締役らが「巨大津波のことも設計上考慮」「耐震強化工事は順次実施中」「福島は日本でも最も安定した地盤。大規模停電のリスクに対しては全体としての供給力の確保、系統の安定性で対応できる」などと答弁していたことを示し、この経過について取り調べるよう求めている。「検察官はメモをとりながら真剣に聞いていた」という。
 告訴団は3月19日には福島地検に署名を提出。25日から29日までランチタイムに同地検前で連続アピール行動を行う。

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posted by weeklymds at 20:38| 報道/活動報告