2019年02月22日

米国への公開書簡:ベネズエラに対する内政干渉をやめよ

ベネズエラ危機について日本共産党志位和夫委員長が声明を発表しました。
【弾圧やめ人権と民主主義の回復を】
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/02/20190221-venezuela.html

外国による干渉とりわけ軍事介入に反対しているのはいいことだと思いますが、それならなぜ米国による石油制裁に触れないのでしょうか。

ベネズエラの経済危機が深刻化した最大の原因は、同国の主要産業である石油産業に対し米国が制裁を強めたことです。日経新聞の以下の記事が詳細に解説しています。
【ベネズエラ、米石油制裁で進む危機 細る外貨獲得】
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41130900Z00C19A2EA2000/

以下は、少し古いですが、1月24日にノーム・チョムスキーやメディア・ベンジャミン、フィリス・ベニスらが発表した「米国への公開書簡:ベネズエラに対する内政干渉をやめよ」の大意(Google翻訳の助けも借りています)です。

原文は
https://portside.org/2019-01-25/open-letter-united-states-stop-interfering-venezuelas-internal-politics

【米国への公開書簡:ベネズエラに対する内政干渉をやめよ】

[以下の公開書簡は1月24日、ベネズエラにおける米国による介入に反対して、ラテンアメリカ研究者や政治学者、歴史学者そして映画監督や市民運動リーダーその他の専門家70人が署名し発表したものである]

米国政府は、ベネズエラの国内政治への干渉−それは同国政府を転覆させることが目的だ−をやめなければならない。トランプ政権と南北アメリカのその同盟国による行動は、ベネズエラの状況をさらに悪化させ、無用の人的被害と暴力、不安定を招くことはほぼ確実だ。

ベネズエラの政治的両極化は新しいものではない。同国は長い間、人種的および社会経済的な境界線に沿って分断されてきた。しかし近年、両極化はさらに深まっている。これは一つには、選挙以外の方法によるニコラス・マドゥロ政府の排除を狙う野党の戦略に対する米国の支持によるものだ。野党はこの戦略をめぐって割れてきたが、米国の支持は、暴力的な抗議行動や軍事クーデターその他投票によらない手段を通じてマドゥロ政権を打倒しようという強硬派の野党勢力を後押しするものとなっている。

トランプ政権下、ベネズエラ政府に対する攻撃的な言葉遣いは、より過激で脅迫的なレベルにエスカレートした。トランプ政権の高官たちは「軍事行動」を口にし、ベネズエラをキューバ、ニカラグアと並ぶ「暴力のトロイカ」の一環だと非難している。ベネズエラ政府の政策に起因する諸問題は 、OAS(米州機構)および国連の下でも米国の法律やその他の国際協定・条約の下でも違法な米国の経済制裁によって、一層悪化してきた。この制裁は、石油生産の急激な減少をもたらし、経済危機を深め、多くの人びとが命を救う医薬品を手に入れることができないため亡くなる事態を引き起こし、ベネズエラ政府が経済の停滞から脱出することを可能とする手段を断ち切った。一方、米国その他の政府は、米国の制裁によって生じた経済的損害についてさえ、もっぱらベネズエラ政府だけを非難し続けている。

米国とその同盟国は、OASのルイス・アルマグロ事務総長やブラジルの極右ジャイル・ボルソナロ大統領ともども、ベネズエラを窮地に追いやった。フアン・グアイド国会議長をベネズエラ新大統領として承認する−OAS憲章の下では違法とされる−ことにより、トランプ政権はベネズエラの政治危機を加速させ、ベネズエラ軍部を分裂させ国民の分断・両極化を推し進めようと狙った。明白な、時として公言されている目標は、クーデターを通じてマドゥロを追放することである。

ハイパーインフレや物不足、深刻な不況にもかかわらず、ベネズエラは依然として政治的に両極化している国だ。米国とその同盟国は、暴力的で不法な体制転換の推進によって暴力をかきたてることをやめなければならない。トランプ政権とその同盟国がベネズエラで無謀なやり方を追求し続けるなら、間違いなく流血と混沌、不安定という結果が待ち受けている。米国はイラクやシリア、リビアでの体制転換の冒険的試み、そしてラテンアメリカにおける体制転換支援の長く暴力に満ちた歴史から何かを学ぶべきだった。

ベネズエラのどちらの勢力も相手を打ち負かすことはできない。例えば、軍には少なくとも23万5千人の兵士がおり、民兵は少なくとも160万人いる。これらの人びとの多くは、米国主導であることが明らかな介入に直面すればラテンアメリカで広く共有されている国家主権に対する信念に基いて、それだけでなく野党が力ずくで政府を打倒した際の弾圧から自らを守るため、戦うことになるだろう。

そのような状況における唯一の解決策は、話し合いによる解決だ。それはラテンアメリカ諸国で、政治的に両極化した社会が選挙によって不一致を解決できなかったときに採られた。2016年秋にバチカンが主導した、可能性を秘めた努力があったが、体制転換を望むワシントンとその同盟国から支援を受けられなかった。進行中のベネズエラ危機に対し実行可能な解決策があるとすれば、こうした戦略は変わらなければならない。

ベネズエラの人びとと南米地域の利益のために、そして国家主権の原則を守るために、これらの国際主体は内政干渉ではなくベネズエラが政治的経済的危機から脱却することを可能にするベネズエラ政府と反対勢力との間の交渉を支援すべきである。

(以下の署名者の名簿は略)

(編集部 浅井健治)
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2019年01月25日

プログレッシブ・インターナショナルからの呼びかけ

「サンダース・インスティチュート」と「DiEM25(ヨーロッパ民主主義運動2025)」が2018年11月30日、右派勢力の世界的な台頭に対抗するネットワーク「プログレッシブ・インターナショナル」を結成し、「行動のよびかけ」を発しました。以下はその日本語訳です。ウェブサイトにアップされている2分18秒のビデオの訳も添えました。誤訳・不適訳、ご容赦の上、ご指摘よろしくお願いします。
https://www.progressive-international.org/

【すべての進歩的諸勢力に呼びかける】

労働者に、環境に、民主主義に、まともな暮らしに襲いかかるグローバル戦争が遂行されている。

右翼諸党派のネットワークは、人権をむしばみ、反対意見を抑え込み、不寛容を助長するために、国境を越えて協力し合っている。人類がこうした現存する脅威に直面したことは、1930年代以降なかった。

彼らに打ち勝つには、過去数十年の失敗した体制にただ立ち戻ることはできない。足かせなきグローバリゼーションは平和と繁栄を約束した。しかし、実際にもたらされたのは、金融危機と無用な戦争、破滅的な気候変動だった。

進歩的諸勢力がグローバルな正義をめざして草の根の運動をつくり出すときが来た。世界中の労働者、女性、権利を奪われた人びとを民主主義と繁栄、持続可能性、連帯という共通のビジョンのもとに結集するときである。

プログレッシブ・インターナショナルは、世界のすみずみのコミュニティに手を差し伸べ、私たちの共通のビジョンをともに打ち立てていく。

プログレッシブ・インターナショナルは、不平等と搾取、差別、環境破壊を終わらせるためにこれまでも闘ってきた人びとを支えていく。

プログレッシブ・インターナショナルは、大胆な国際的ニューディール政策の実現に向けてともに活動し、私たちのコミュニティを、街まちを、国ぐにを、地球を取り戻していく。

世界の進歩的諸勢力が団結するときである。

きょう、DiEM25(ヨーロッパ民主主義運動2025)とサンダース・インスティチュートを代表し、私たちは「行動の呼びかけ」を発する。尊厳と平和、繁栄、地球の未来のためにともに闘う諸個人・諸団体のグローバルなネットワークをつくり出すためだ。

ともに行動しよう。プログレッシブ・インターナショナルに結集を。

ヤニス・ヴァルファキス(DiEM25共同代表)
レナタ・アビラ(同運営委員)

ジェーン・サンダース(サンダース・インスティチュート共同代表)
デーヴ・ドリスコル(同事務局長)

【プログレッシブ・インターナショナル/ビデオ】

重大な結果を伴うグローバルな闘いが起きている。危機にさらされているのは、人類の未来にほかならない。あらゆる面で、現状の体制が失敗しつつあるのは明らかだ。

上位1パーセントが今や世界の富の半分を支配する一方、何百万人もの労働者が貧困と不安でがんじがらめにされている。グローバリゼーションは繁栄を約束したが、実際にもたらされたのは金融危機と終わりなき戦争だ。その間にも、地球の気候は破壊へと近づいている。

この危機の中から、グローバルな権威主義が台頭しつつある。そうしたリーダーたちはマイノリティと自由な言論、民主主義そのものを攻撃することで国家の威信を取り戻すことを約束する。しかし、結局は彼ら自身の利益を図っているにすぎない。1930年代の恐るべき再現である。

今日の権威主義リーダーたちはそれぞれに孤立しているのではない。資金提供者や戦略、接点を共有する右翼諸政党のグローバル枢軸の不可欠な一部分である。そして、彼らは世界中で政権を奪取しつつある。

グローバルな平和と繁栄をめざす闘いの共通の戦線を、私たち自身がつくるときが来た。この運動は人びとを世界の左派勢力のもとに結びつけ、私たちがどんな世界に住みたいか、いかにそれを現実のものとするかについて考えをめぐらすだろう。世界中の働く人びとを民主主義と持続可能性、連帯という共通のビジョンのもとに結集していく草の根の運動である。私たちはもはや改良主義をよしとはしない。

私たちは世界のすみずみのコミュニティに手を差し伸べ、ともに力と連帯を築いていく。

どの国にも、進歩をめざして闘う人びとがいる。私たちはともに歩み、強固になった。世界の進歩諸勢力が団結するときだ。きょうから始めよう、よりよい未来の建設をめざして。

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 20:09| 報道/活動報告

2019年01月17日

ヨーロッパ民主化のためのマニフェスト

【EUは民主化される。さもなければ崩壊する!/DiEM25(ヨーロッパ民主主義運動2025)/ヨーロッパ民主化のためのマニフェスト/2016年2月】

国際競争力や移民、テロリズムといったさまざまな懸念のうち、ヨーロッパ列強を真に脅かす可能性があるもの−それは民主主義だ!

彼らは民主主義の名において語るが、実際は民主主義を否定し追放し抑圧する。民主主義を体制内化し、忌避し、腐敗させ、欺き、侵害し、操作することにより、民主主義のエネルギーを破壊し、民主主義の可能性を阻もうとしている。ヨーロッパ諸国人民による統治や民衆による政府は、彼らにとって悪夢だからだ。

欧州連合(EU)は、いかにして平和と連帯を何世紀もの長い紛争と偏狭の窮地から救い出せるかを世界に示し、よく知られた「丘の上のかがり火」となることもできたはずだ。悲しいかな今日、共通官僚機構と共通通貨が、言語や文化の違いを超えて一つになり始めていたヨーロッパ諸国人民を分断している。

今日いま、ヨーロッパ人は至るところでEU諸機構によって見捨てられたと感じている。ヘルシンキからリスボンまで、ダブリンからクレタ島まで、ライプチヒからアバディーン(スコットランド)まで。厳しい選択がどんどん近づいている。本物の民主主義か、知らぬ間に進む崩壊か、の選択である。

崩壊しつつあるEUの中心に、罪深い欺瞞が横たわっている−高度に政治的なトップダウンの不透明な政策決定プロセスが、“非政治的”で“技術的”で“手続き的”で“中立的”なものとして提示される。その目的は、ヨーロッパ人が自らのお金やコミュニティー、労働条件、環境に対する民主的なコントロールを行使できないようにすることである。

この欺瞞の代償は民主主義の終焉にとどまらず、分かち合う繁栄の夢でもある:
• ユーロ圏経済は競争力ある緊縮政策の断崖から踏み出し、弱小諸国における恒常的な不況と中心諸国における投資の低迷という結果に陥っている
• ユーロ圏外のEU加盟諸国は疎外され、疑わしい筋に刺激とパートナーを求めている
• かつてない不平等と希望喪失、人間不信がヨーロッパ中に蔓延している

彼らが民主主義を窒息させればさせるほど、彼らの政治的権力は正統性をなくし、経済を停滞させる力は強まり、一層の権威主義に向かう欲求は大きくなる。こうして民主主義の敵は新たなパワーを集め、正統性を失いつつ、希望と繁栄をごく少数の者(社会の他の人びとから自分を守るために、ゲートやフェンスに囲まれてしか希望も繁栄も享受できない者たち)の手に押し込める。

ヨーロッパの危機が人びとを内向きにし、互いに対立させ、以前からある好戦的愛国主義と外国人排斥を増幅させている目に見えぬプロセスがここにある。不安が私的なものとされること、“他者”に対する恐れ、自国第一主義の野心、新たな自国第一主義の政策は、ヨーロッパを苦しめ共通の利益を崩壊させる有害な結果を招く恐れがある。

金融・債務危機に対する、難民危機に対する、一貫した外国人・移民・反テロリズム政策の必要性に対するヨーロッパのみじめな対応はすべて、連帯がその意味を喪失したときに何が起こるかの実例である。

優勢なのは二つの恐るべき選択肢である:
• 国民国家の“繭”の中に引きこもる
• 民主主義なきブリュッセル支配地帯に屈する

もう一つの道がなければならない。そして、それはある!

それはあらゆる権威主義的な考え方に対するヨーロッパの全面的な抵抗につながるもの−民主主義のうねりだ!

エドマンド・バーク(18世紀イギリスの政治思想家)の言葉は今日のヨーロッパに完全にあてはまる:「悪が勝利するために必要なことはただ一つ、善人が何もしないことである」。民主主義のために献身しようとする人びとはヨーロッパ全域で行動することを決意しなければならない。そのようなうねりを呼び起こす目的で、私たちは2016年2月9日、ベルリンに集い、DiEM25運動を創設した。

私たちはヨーロッパ各地から集まり、異なる文化と言語、なまり、所属政党、イデオロギー、皮膚の色、ジェンダー自己認識、信仰、良き社会の見方によって結ばれている。

私たちは、民主主義をひどく蔑んでいる愚かなEU支配層が真に民主的なヨーロッパ連合を不可能にしてしまうのを阻止しようと固く決意するヨーロッパ人として一つになる。

シンプルでラディカルな一つの考えがDiEM25の原動力となっている:
ヨーロッパを民主化しよう!
EUは民主化されるか、さもなければ崩壊する!

最優先課題は(A)政策決定の完全な透明性(例えば、欧州理事会や経済・財務相理事会、ユーロ圏財務相会合のライブ中継、貿易交渉文書の全面公開、欧州中央銀行議事録の公表など)、(B)債務・金融・不適切投資・貧困拡大・移民といった危機に真に取り組む革新的な諸政策を追求し、既存のEU諸機構を緊急に再編成すること−である。

ヨーロッパのさまざまな危機が安定化した後の中期的な目標は、「憲法制定議会」を招集することである。そこでは、いかにして2025年までに、各国の自己決定権を尊重する最高決定機関たる議会を持ち、各国議会・地方議会・市町村議会と権限を分担する本格的なヨーロッパ民主主義をつくり出すかについて、ヨーロッパの人びとが議論を交わす。

速やかに私たちに加わって、DiEM25をつくり上げ、欧州連合を民主化するためにともに闘うことをヨーロッパの仲間たちに呼びかける。あらゆる政治的関係を単なる技術的判断のように装う権力関係へとおとしめることは終わりにしよう。EUの官僚機構を、主権を有するヨーロッパ諸国人民の意思に従わせよう。市民の意思に立ちはだかる企業権力の常習性支配を撤廃しよう。単一市場と共通通貨の運営ルールを政治によって規制しよう。

私たちは、包括的な透明性と本物の連帯、真の民主主義によって可能となる「理性、自由、寛容、創意のヨーロッパ」に触発されている。私たちがめざすのは:
• すべての権力が主権を有するヨーロッパ諸国人民に由来する民主主義ヨーロッパ
• すべての政策決定が市民による監視のもとに行われる透明性あるヨーロッパ
• 市民が国外においても国内においても同等に扱われる統一したヨーロッパ
• 未達成であってもラディカルな民主的諸改革を自らの仕事とする現実主義のヨーロッパ
• 中央政府の権力を、地方の民主主義を最大限強化するために使う分権化されたヨーロッパ
• 異なる地方、民族、信仰、国家、言語、文化からなる多元的なヨーロッパ
• 違いを大切にし、あらゆる形の差別を終わらせる平等なヨーロッパ
• 人びとの文化的多様性を生かす、文化のあるヨーロッパ
• 真の解放の前提として搾取からの自由を認める社会的なヨーロッパ
• 環境にやさしい分かち合いの繁栄に投資を振り向ける生産性のあるヨーロッパ
• 地球の富の範囲内で暮らす持続可能なヨーロッパ
• 真に世界規模でグリーンな社会への移行に取り組むエコロジーのヨーロッパ
• 市民の創意の革新的な力を解き放つ創造性あるヨーロッパ
• 連帯を支える新たなテクノロジーを推進するテクノロジーのヨーロッパ
• 過去から逃げることなく明るい未来を探し求める歴史志向のヨーロッパ
• 非ヨーロッパ人を同じ市民として処遇する国際主義のヨーロッパ
• 近隣また遠隔地における緊張を緩和する平和のヨーロッパ
• 世界中のさまざま考え方、人びと、創造力に感受性を働かせ、フェンスや国境を弱さの兆候、不安定の源とみなす開かれたヨーロッパ
• 特権や偏見、欠乏、暴力の脅威が消え失せ、ヨーロッパ人が生まれつきステレオタイプな役回りを負わず、潜在能力を発展させるチャンスを享受し、自由に生活や仕事、社会で多くのパートナーを選ぶことができる解放されたヨーロッパ
−である。

DiEM25を摘みとれ
diem25.org

*原文は
https://diem25.org/wp-content/uploads/2016/02/diem25_english_short.pdf

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 21:11| 報道/活動報告

2019年01月11日

新日鉄住金は1997年和解の精神に立ち帰れ

韓国大法院の元徴用工判決をめぐるマスメディアの報道に全く欠落していることがあります。1997年、新日鉄(現・新日鉄住金)が釜石製鉄所で働かされていた韓国人徴用工の遺族との間で、金銭支払いや慰霊事業への協力を含む内容の和解によって問題を解決したことです。

新日鉄住金はこの和解の精神に立ち返り、日本政府の指示に従うことなく自らの判断で、速やかに被害者への賠償を行わなくてはなりません。

以下は、和解について報じた「統一の旗」(現・週刊MDS)の記事です。

【画期的な勝利和解/日本製鉄元徴用工裁判/強制連行企業で初の金銭支払い/“日韓協定で決着”論に風穴/1997年10月3日 統一の旗第511号】
〈リード〉
 九月十八日、日本製鉄元徴用工裁判が新日鉄との間で和解解決した。和解内容は新日鉄による慰霊祭の実施や合計二千五万円の支払いなど。強制連行企業が被害者に金銭を払ったのは初めてで、時効などをたてに補償を拒む企業の論理を打ち破り、「日韓協定で解決済み」論に大きな風穴を開ける画期的な勝利和解だ。国相手の裁判は今後も継続する。
〈リード終わり〉

◎各原告に200万円 新日鉄

 和解成立を受けて九月二十二日、弁護団と支援する会が記者会見した。
 まず、長谷川弁護士が声明を読み上げた(別掲)。ついで、支援する会山本事務局長が談話を発表。ドイツの例と比較しながら、和解内容は金額の上でも被害者個人に支払ったという点からも国際的に高い水準であることを強調した。日鉄の強制連行について初めて研究し闘いのきっかけを作った支援する会古庄代表も「感無量だ」と感想を述べた(要旨別掲)。
 今回、新日鉄が金銭を支払ったのは、強制連行・強制労働の末に米軍の艦砲射撃で亡くなった原告の肉親の慰霊事業への協力とされている。新日鉄は「日鉄とは別会社」との理由で戦後処理の責任を回避し続けることはできなかったのである。しかも、遺族に対して支払ったことは、「時効」が補償を拒む理由にはならないことを証明している。今回の和解は「日韓協定で解決済み」という補償拒否の論理を突き崩し、他の戦後補償裁判を大きく励ますものである。
 このような和解を引き出した力は支援する会が作り上げてきた大衆的な裁判支援の運動だ。五万人を超える公正判決署名、東京総行動での新日鉄攻め、社長宅への要請はがきなどの行動が、社会的批判の広がりを恐れる新日鉄を追い込んできた。九月十一日に予定されていた全国総行動を前に新日鉄が「行動は中止してほしい」として和解案を示してきた事実にもそのことは明らかだ。
 最終交渉のため来日した原告代表六人は、十七日に釜石製鉄所内で行なわれた新日鉄主催の合祀祭に参加し、「厳粛な合祀祭で感激した」「父のことを思って涙が止まらなかった」と語っている。十八日の和解成立後は弁護団や支援する会会員と懇談。国との訴訟をあくまで闘い抜く決意を共に固めあった。

【和解内容】
 新日鉄は以下の慰霊の協力を行う。
@遺骨未返還の原告十名に一人当たり二百万円を、遺骨を受け取った原告一名に五万円を支払う。
A釜石製鉄所内の鎮魂社に原告の親族を含む韓国人被害者二十五名全員の犠牲者名簿を奉納し、合祀祭を会社の費用負担で行なう。
B韓国における慰霊に関わる費用の一部として一千万ウォン(約百四十万円)を負担する。

【声明/日本製鉄元徴用工裁判弁護団 日本製鉄元徴用工裁判を支援する会】
 我々は、今回の新日鉄の対応を英断として高く評価する。
 現在でも日本政府は、韓国に対する補償問題は一九六五年の日韓条約・日韓請求権協定と国内法で解決済みとする不当な主張を繰り返し、一方日本企業もこれに追随して「日韓協定と国内法で解決済み」「すでに時効」であるなどと主張し、韓国の戦争被害者の補償要求をことごとく拒否する理不尽な態度に終始している。こうしたなかで、日本のトップ企業の一つである新日鉄が、韓国の戦争被害者に対して直接金銭を支払いかつ慰霊事業への協力を行った。この事実は、戦時中の強制連行・強制労働の戦後処理の責任を承継法人である新日鉄が人道的立場から認めたものであり、実質的に「日韓協定による解決済み論」に大きな風穴をあけた意義があると考える。
 また、支払われた金額も一九八八年に議員立法で成立した「台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律」に基づき、台湾住民で戦死した軍人や軍属の遺族、台湾住民で戦争中に著しい障害を受けた軍人や軍属またはその遺族に、弔慰金または見舞金として支払われた一人二百万円と同程度のものであり、十分評価できる金額である。
 これによって、遺骨返還、未払金返還等を求めた裁判は新日鉄との間では解決したが、日本政府とは引き続き裁判が継続する。日本政府の朝鮮人強制連行・強制労働、そして賃金等の未払いと不当な供託、犠牲者の遺骨未返還の責任は重い。我々は一層の原告団との団結を固め、法廷での実質審理を強めるとともに、他の強制連行・強制労働裁判の原告・支援団体とともにILOに提訴し、国内外の世論に訴え、日本政府を包囲し、原告の要求を実現する決意である。
 そして、今回の新日鉄との解決がすべての戦後補償実現につながるよう、韓国・中国をはじめアジア各地から日本政府や企業に対して戦後補償を求めているすべての被害者および支援団体との連帯を強化し、引き続き奮闘するものである。

【和解の成果に感無量/支援する会代表・古庄正駒沢大学教授】
 私が日本製鉄の強制連行について初めて論文を書いたのは八六年の一月。その研究が今日、こういう形で実を結んだ。感無量なものがある。
 この訴訟は、戦後補償要求に対する企業や国の対応を深く問うものだ。戦争直後、現地企業と朝鮮人連盟が補償金額まで合意していたのを厚生省や企業本社が圧力をかけてつぶした。そして未払い金問題の解決策として「供託」の利用を編み出し今日まで維持している。
 強制労働の具体的資料はあるので論理的には勝てるだろうが、具体的に勝つことは無理かと思っていた。それが日本国内はもちろん、世界的にも決して少なくない額で妥結した。戦後補償裁判が膠着して動かない中でこうした回答を引き出した意義は大きい。

【勝利を喜ぶ原告たち】
◎国との訴訟も頑張る
◆洪湧善(ホン・ヨンソン)さん
 弁護団をはじめとする支援の皆さんのこれまでのご協力に感謝する。今後は日本国を相手にした裁判が残っている。これからも頑張っていきたい。

◎二百万が二億にも感じる
◆趙英植(チョ・ヨンシク)さん
 これが最善の解決とは思わない。しかし支援してくれた皆さんのことを思うと、受け取った二百万が二千万にも二億円にも感じる。
 この結果は韓国の次の世代にも伝えていけるものだ。戦後補償を求める運動を積み重ねることで日本も少しづつ変わっていくだろう。

◎これで魂を韓国に戻せる
◆李相九(イ・サング)さん
 金額について不満はあるが、新日鉄が事実を認めたこと、慰霊祭を行なうということは救いだ。ようやく韓国に魂を戻して慰霊を行なうことができる。
 原告だけの力ではとうていここまで来ることはできなかった。強制連行の第一の責任は日本政府にある。引き続き支援をお願いしたい。

◎支援のおかげで闘えた
◆李康仙(イ・カンソン)さん
 皆さんのおかげで確信を持って今日まで闘ってこれた。自分の父たちが戦争中に行なったことは間違いだと言い切って支援の闘いを進めてきた皆さんに敬意を表したい。
 韓日協定には多くの問題があり、今後も正していかねばならない。

(浅井健治)
posted by weeklymds at 16:03| 報道/活動報告

2018年11月21日

日産村山工場閉鎖−カルロス・ゴーンの最初の仕事

【「市がからっぽになっちゃう」 工場閉鎖で破壊される地域/ルポ 日産が撤退する街 東京都武蔵村山市/1999年12月31日『週刊MDS』(当時は『統一の旗』)第622号】

<リード>
 五工場の閉鎖、二万一千人削減、取引先メーカーの半減−−。日産自動車が空前の大リストラ計画「リバイバル・プラン」を発表して二か月がたつ。日本を代表する巨大企業の荒療治は、地域にどんな波紋を投げかけているのか。師走の一日、閉鎖対象とされた村山工場のある東京・武蔵村山市を歩いた。(A)
<リードおわり>

 新宿から中央線で三十分、立川でバスに乗り換えてさらに二十分。東京ドームの四十倍の広さという日産村山工場の正門に着いた。

◎客足落ちる飲食店

 工場前の通り沿いにある中華料理店をのぞく。店主は開口一番、「ゴーンさんが発表してからさっぱり」。フランス・ルノー社から日産に送り込まれたカルロス・ゴーン最高執行責任者が大リストラを打ち出したのは、十月十八日のこと。以来、目に見えて客足が落ちているという。
 「前は昼は行列が並んで、待ち切れずに帰る人がいた。夕方になると晩酌用にギョウザのおみやげを買ってくお客も多かった。今は全然」。店主はこの八月、自宅を買ったばかり。ローンがまるまる残っている。「日産の他にも常連さんがいるので何とかやってくしかない」
 何軒か先の酒屋の主人は、“造れば売れた”時代の日産を懐かしんだ。「季節工が三千人からいて、それはすごかった。スカイラインGT−Rがヒットして、二十四時間体制のフル稼働。夏祭りなんていうと、ビールの注文がどっと来た」。日産の業績が低迷し始めると、まず修理の業者がいなくなった。季節工の住んでいたアパートは建設労働者の宿舎に変わり、一部は空き家になっている。

◎「時代が時代だから」

 村山工場が完成したのは一九六二年。当時の『町報』には「プリンス自動車工業誘致に成功!」の見出しで、「本事業は村山町有史以来の大事業。将来永遠に記念されるべき」とある。用地の提供など町民あげて協力し、農業と織物業しかなかった町の産業に“希望の星”が生まれた。
 四年後にプリンスが日産と合併、増産体制は続いた。八〇年代には、東京都市町村部の工業製品出荷額の一割以上が武蔵村山市内で生産されるまでに至る。市の発展と村山工場の活況は軌を一にしていた。その日産が今、街を見捨てようとしている。「閉鎖はまさに青天のへきれき」。市議会議長が日産社長にあてた要請書の言葉が、地元の受けた衝撃の大きさを物語る。
 工場の西隣に日産の家族アパートがある。五棟二百五十世帯が暮らす。ゴミ置き場の掃除をしていた女性と話ができた。座間工場で働いていた夫は同工場の閉鎖(九五年)後、村山に単身赴任。家族は二年前ここに越してきたばかり。「時代が時代だから、どこでも働く場さえあれば。主人の行くところについていくしかありません」と言葉少なだ。村山工場の労働者三千人は二〇〇一年三月までに追浜(神奈川県横須賀市)・栃木両工場に配転となる。応じられなければ辞めるしかない。村山に残れるのはメッキ部門など三百人にすぎない。

◎子どもたちにも影響

 男の子の手をひいた若い母親に聞く。夫の働くフォークリフト部は閉鎖の発表よりも前に売却が決まっていたという。「でも、どこへ行くのか分からない。全然話がないそうです」。子どもは来春小学校に入学する。「うちは卒園したからいいけど、これから幼稚園に入れる家は大変。入園金を払って転勤になれば、また新しいところで払わなくちゃならないし」
 市内北部にあるその「村山いずみ幼稚園」に足を伸ばしてみた。園長の話では、数年前までは園児三百六十人中三十人以上が日産社員の子どもたち、三台の送迎バスのうち一台は日産社宅専用だった。「転勤で退園なさる方が続いて現在は四人。来年の募集で日産からは一人だけでした。私立なので園児が集まらないことには運営できません。少子化に追い打ちがかかり、非常に打撃です。バスを今までより遠くに走らせて園児を集めなければ」と困惑顔だ。
 武蔵村山市は都内二十七市の中でただ一つ、鉄道が通わない街。「市のシンボルだった日産がいなくなれば、悲願の駅の実現がまた遠くなる」と心配する青果店の店主がいた。「お客の半分が日産と出入りの業者の車。ここも閉鎖するしかない」(ガソリンスタンド)「今は影響ないが、問題はこれから。市が空っぽになっちゃうんだから」(コンビニ)。日産撤退への不安は高まるばかりだ。
 問われるのは労働組合の取り組みだろう。工場正門近くの日産自動車労組村山支部に足を向けた。しかし、「すべて本部で対応してますので」とすげない。リストラを「構造改革は避けられない」と是認する労使一体路線に何も期待はできない。

◎ラインを残せ

 もう一つ、JMIU(全日本金属情報機器労組)日産自動車支部がある。村山工場の組合員は今わずか二十七人だが、全金プリンス支部の時代から、日産との合併を契機にした会社・組合一体の組織破壊・暴力支配と闘い続けてきた。書記長補佐の小山盛義さんが応対してくれた。
 職場では、一回目の個人面談が行われている。「栃木や追浜だと絶対に通えない人がいる。村山工場に生産ラインを残せというのが私たちの要求」。その要求に職制層も含めて共感が高まりつつある。車で出勤する人たちが窓を開けてビラを受け取るようになった。「ただ、まだ全体が立ち上がるまでには至っていない。地域の団体への働きかけもこれから」。小山さんは今後の闘いに決意を燃やす。
 工場の南に「立川工業会」の案内板が掲げられた一画がある。古びた鉄工所で声をかけると、「日産はうちみたいな小さい下請けは相手にしないよ」。村山工場の一次下請けは全国百二十四社を数えるが、地元の業者は少ない。鉄工所の突き放したような答えから、日産による下請け選別支配の構造が浮かび上がる。
 夫婦二人だけのクリーニング店の店主は語る。「この商売は資金をつぎ込む商売じゃない。信用が第一。生活と密着して、長年かけてお客をつかんできた。人がいて初めて成り立つ商売さ。それだけに(閉鎖は)ひびく」。人々の暮らしと仕事の成り立ちを引き裂き、“わが亡きあとに洪水は来たれ”とばかりに大リストラに突っ走る日産。その暴走をくい止める地域のつながりが生まれてほしい。そんな思いを胸に、日の傾きかけた武蔵村山の街を後にした。
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2018年06月26日

「東アジアは平和への一歩を大きく踏み出した」 無償化裁判を闘う朝鮮高校生・父母は語る

東京朝鮮高校の生徒たち(当時)が原告となった「高校無償化」裁判。東京高裁での控訴審がきょう6月26日の第2回口頭弁論で結審しました。判決は10月30日(火)16時です。弁護団は「結果は安易に予想できないが、一審判決の行間から滲んでいたような偏見に満ちた判決の書き方はしないだろう」と見通しを語っています。

衆院第1議員会館で行われた報告集会での在校生代表の女子生徒(舞踊部キャプテンだそうです)とオモニ会会長の発言を紹介します。

◎在校生代表

2017年9月13日、忘れはしないその日から9か月という月日が経ちました。高3先輩がたの後ろ姿を見ながらこの闘いに臨んできた立場から、とうとう私たちが学校の顔である高校3年生としてこの場に立っています。

2018年が始まり、祖国の情勢がめまぐるしく動き、4月27日には全校生徒が体育館に集い、歴史的な北南首脳会談の瞬間をともに喜び合いました。祖国統一をただただ夢見ていた私たちも、実現されようとしていく今、驚きとうれしさで胸がいっぱいです。また、平昌オリンピックや朝米首脳会談といった、世界が平和への一歩を大き踏み出している今、私は朝鮮民族の一員であることをとても誇りに思います。

しかし、日本政府による民族教育への弾圧は何一つ変わることがありません。歴史を見直さず、当たり前にあるべき権利が与えられず、勝ちとるために闘うこの活動が私たちにとっては当たり前となっています。そんな中、私たち高3は2日後には修学旅行で祖国に旅立ちます。朝鮮半島をとりまく情勢が好転し、激動する時期に行くことになります。祖国とは何か、自分自身とどうとらえ合わせていくのか、同級生とともにこれまでの人生を深めていくとても貴重な期間を過ごすことになります。

 そんな私たちは日本で暮らす在日朝鮮人として、朝高生として何ができるのか。それは、たとえ日本で生まれ育っても朝鮮人としてのアイデンティティを持ち、ウリハッキョ(私たちの学校)、同胞社会を守り続けていくことだと思います。そのためにも、高校無償化の権利を必ずつかみとらなくてはならないと強く感じます。弁護士の方がたや日本の支援者、そしてオモニ会や卒業生のみなさんは私たちの権利のためにたくさんの力を注いでくださっています。だからこそ、私は明るく胸を張り、そして希望を与えられるような姿を見せたいと思っています。そして、私は朝高生が街中でチョゴリを何の抵抗もなく堂々と着ることができる未来をつくり上げたいです。

きょうは、そんな明るい未来を私たちがすべて担っていこうという気持ちをこめて歌を準備しました。高校3年生全員で歌います−『民族教育の誇り高く』。

◎オモニ会会長

日本政府が高校無償化制度から朝鮮学校だけを排除して9年目。62人の生徒が原告となった裁判からもうすでに4年4か月の月日が経ちました。このかんにどれだけの生徒が自分たちの代で無償化闘争を終えられず、この重い荷物を後輩に託さなければならないのかと悔しい涙を流しながら卒業していったことでしょう。

晴れやかであるべきはずの日に、そんな思いを胸に、わが息子もこの春卒業しました。そして今もなお、勉学に励み友人たちとともに過ごす、未来への夢を育むべき貴重な時に、街頭へ出て、朝鮮学校に対する高校無償化除外の不当性を訴え続けなければならないのです。入学式早々、校長先生は新入生を前にして「これからは君たちも一緒に闘わなければなりません」と言わざるを得ないこの現状はあまりにも残酷で、胸が痛みます。

私たちは、すべての子どもたちに学ぶ権利を、とうたった就学支援金制度からなぜ朝鮮学校だけが外されなくてはならないのか、ただ当たり前の権利を保障してほしいと訴えているだけにすぎません。朝鮮学校に学ぶ子どもたちは、日本で生まれ、日本で育っていく三世・四世・五世たちです。

先日、韓国の「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」のみなさんが来日されて、文科省の要請に行った時、一緒に参加した高校2年生の男子生徒は「ぼくは日本のことが好きですし、日本のいいところをたくさん知っています。そんな自分たちの好きな国で差別されることはすごく悲しい。無償化問題も良心を持って取り組んでほしい」と話しました。文科省の役人の胸にはどのように響いたことでしょうか。「係争中なので発言は控えます」と返す役人に声を大にして言いたい。「あなたたちに子どもはいないのか」「人間味ある感情はあるのか」と。

9月13日のあの不当判決。どれだけの多くの人が強い怒りを覚え、深い悲しみに包まれたことでしょう。国を相手に闘うことの難しさを痛感しました。しかし、落胆ばかりはしていられません。報告集会は決起集会へ変わり、10月の全国集会、2月の再決起集会はわれわれがより一層連帯して逆転勝利をめざして最後まであきらめず、闘いぬくことを決意する場となりました。

原告となった生徒たちはとっくに朝鮮高校を卒業し、その父母たちもほとんどがいなくなった今、在校生とその保護者が当事者として向き合い、民族教育の正当性とそれを受ける権利があることを世論に訴えていきます。

いかなる理由でも、どんな国籍であろうとも、子どもたちは守られるべき存在です。これからも、明るい未来のためにオモニたちは団結してひるむことなく闘い続けます。

われわれ在日朝鮮人はつねに差別を伴いながら進んできたし、その差別から民族教育を守り育んできた歴史があります。こんなことで負けたりはしません。最後はともに闘ったすべての人と笑顔で抱き合える日までがんばりましょう。

昨今、北南首脳会談に続き、朝米首脳の歴史的、まさに世紀の会談が行われ、東アジアに平和が訪れようとしています。同じ船に乗り遅れた日本ですが、私は日朝関係の改善を心から願っています。日本政府は、朝日首脳会談を本気で望むのならば、まずは朝鮮学校に対する裁判をすべて和解し、高校無償化の適用と就学支援金の遡及適用、そして自治体に対する補助金見直し通達の撤回と、国家や政府による民族差別をやめさせ、朝鮮学校生徒たちの学ぶ権利を保障するよう強く強く求めます。

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『民族教育の誇り高く』を全員で歌う東京朝鮮高校3年の生徒たち
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2018年04月04日

地べたの「階級」、研究室の「階級」

 日本では死語と化した「階級」をタイトルに組み込み、昨年10月と今年1月、相次いで刊行されたブレイディみかこ著『労働者階級の反乱−地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)と橋本健二著『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)。読み比べてみた。(以下「ブレイディ」「橋本」『反乱』『新・日本』と略記)

 ところで、「階級」とは何だろう。50年近く前、学生運動に足を踏み入れたころ私が教えられたのは、例えば『経済学辞典』(1965年9月初版、岩波書店)の次のような定義だ。

ーー階級とは、社会の生産体制における人々の生産手段に対する所有関係を通して、生産上占めるそれぞれの地位の相違によって区別される人間集団をいう。…階級は政治的・社会的な体制における人々の地位ではなく、経済制度あるいは生産の社会的体制における地位をさす。生産手段を私有独占するものは、社会の他の部分の労働を占有・搾取することができる。この搾取・被搾取の関係は、まったく生産手段に対する所有・非所有の関係から発生する…(p.52)ーー

 これを、『新・日本』の「階級とは、収入や生活程度、そして生活の仕方や意識などの違いによって分け隔てられた、いくつかの種類の人々の集まりのことをいう」(p.11)とする定義と比べると、後者の方が意味するところが広範囲で厳密性に欠ける。『新・日本』もp.57以下で、資本主義社会の階級が生産手段に対する所有・非所有の違いから生まれていること、そこにおける搾取のからくりについて説明してはいる。が、全体の叙述は、生産手段との関係の違いよりは「収入」「生活程度」「生活の仕方」「意識」の違いに力点がおかれ、『経済学辞典』の定義が脳に染み込んでいる私としては物足りなさが残った。

 とはいえ、『新・日本』が「…激増している非正規労働者は、雇用が不安定で、賃金も正規労働者には遠く及ばない。…労働者階級が資本主義社会の最下層の階級だったとするならば、非正規労働者は『階級以下』の存在、つまり『アンダークラス』と呼ぶのがふさわしいだろう」(p.77)「正規労働者とアンダークラスは、本来は別々の階級というより、労働者階級の内部の異なる二つのグループである。しかし両者の異質性はあまりに大きく、もはやアンダークラスは階級に準ずる存在になっている…」(p.78注)とし、今日の日本には「格差社会」というような生ぬるい言葉では表し尽くせない「新しい階級社会」が出現したと述べている点は全面的に賛成だ。

 2010年、労働者派遣法撤廃を求める厚生労働省要請行動を取材した際、応対する担当官の所属部署の名を見てびっくり仰天した記憶がある。それは「需給調整事業課」という。派遣労働者は、足りなくなればどこからか調達し、余れば即座に廃棄する「需給調整」の対象でしかない。私は群馬県嬬恋(つまごい)村のキャベツを思い出した。取れすぎて余まったらトラクターで踏みつぶす。それと同じように「需給調整」され、「雇用の調整弁」にされているのが、非正規労働者だ。労働者をいつでも廃棄できるモノ扱いする。「階級社会」でもまだ生ぬるい。正規労働者の一段下に雇用不安定・差別待遇・低労働条件・無権利の労働者を置く「現代の身分社会」だ。実際、交際する女性の親から「正社員でない者に嫁にやれない」と言われて結婚が破談になった例もあると聞いた。「身分差別」以外の何ものでもない。(このパラグラフには週刊MDSバックナンバーからの引用が含まれています)

 『新・日本』はこうしたアンダークラスの人びとの苦しみに寄り添いながら、その苦しみが固定化し、貧困が世代を超えて連鎖していく危険性に警鐘を鳴らす。次のような記述がある。

−−…長時間営業の外食産業やコンビニエンスストア、安価で良質の日用品が手に入るディスカウントショップ、いつでも欲しいものが自宅まで届けられる流通機構、いつも美しく快適なオフィスビルやショッピングモールなど、現代社会の利便性、快適さの多くが、アンダークラスの低賃金労働によって可能になっている。しかし彼ら・彼女らは、健康状態に不安があり、とくに精神的な問題を抱えやすく、将来の見通しもない。しかもソーシャル・キャピタルの蓄積が乏しく、無防備な状態に置かれている。…決定的な格差の下で、苦しみ続けているのがアンダークラスである。この事実は、重く受け止める必要がある。(pp.113-114)ーー

 大いに共感を覚える。けれども残念なのは、彼ら・彼女らの苦しみが彼ら・彼女らの肉声として伝わってこないことだ。著者・橋本は膨大な調査データの詳細な分析を通して、それぞれの階級に属する人びとの人物像を提示する。第5章「女たちの階級社会」では、女性を本人の所属階級、夫の有無と所属階級の組み合わせによって17のグループに分類し、グループごとの生活満足度や性役割分業意識などの違いを考察する。しかし、それはあくまで“類型”化の試み、調査票の集計数をもとに橋本が描いた“スケッチ”にすぎない。

 一方、『反乱』には著者ブレイディの身近にいる生身の労働者たちが登場し、彼ら・彼女ら自身の言葉で語る。20年前から英国南部ブライトンの「生粋(きっすい)の労働者階級の街」に暮らすブレイディ。ロンドンのイーストエンド、やはり「労働者階級の街」に生まれ育ったそのお連れ合い。2人の友人6人(男5人、女1人)とのインタビュー(pp.74-120)は『反乱』中の圧巻というべきだろう。「排外主義・移民排斥に走った愚かな連中」と十把一からげにされる彼ら・彼女ら(ただし6人中1人は“EU残留”に投票)の真実の声に耳を傾けてみよう。(名前はいずれも仮名)

◆サイモン(1955年ロンドン東部生まれ)「(“離脱”に投票した理由)誰も俺たちの言うことなんか聞いてやしないときに、俺たちがこの国を変えられるチャンスをもらった。使わずにどうする、と思ったね」「俺たちの言うことを金持ちやエスタブリッシュメントは聞いていない。…あいつらがあまりにも俺らを無視しているから…」「…俺は移民は嫌いじゃないんだよ。…俺は英国人とか移民とかいうより、闘わない労働者が嫌いだ…」「…俺たちが俺たち同士で団結してあいつらと闘わなきゃいけないのに、若い奴らとか移民とかはそんなこと考えてもみない。だからどんどん悪くなっていくんだ…」

◆レイ(1956年ロンドン東部生まれ)「(“離脱”に投票した理由)…どうせ離脱が勝つわけがないんだから、追い上げてキャメロン(首相)とオズボーン(財務相)を慌てさせようと思って入れたクチ。びっくりしたもん、次の日の朝…」「…こういう国の一大事をさ、ふつう俺ら市井の人間が決めるなんてできないだろ。…不満がたまってりゃ、政府に中指突き立ててやりたくなるよ、誰だって…」

◆テリー(1955年ロンドン東部生まれ。“残留”に投票)「『イーストエンド出身の労働党員』ってのは、もはやアイデンティティなんだよ。俺たちワーキングクラスには、保守党の奴らにカウンターを張っていくという任務がある」「(息子さんたちが保守党を支持するようになったら?)…そりゃあもう親子の縁を切る時だ」

◆ジェフ(1956年ロンドン東部生まれ)「…きちっと国が主権さえ取り戻して、国のことは自分たちで決められるようにならないと。EUの官僚たちなんて俺らは選挙で選んでないんだから、知らない奴らにあれこれ決められるのはもうまっぴらだ…」「残留したからって、俺らの未来は明るかったか?…あのままキャメロンとオズボーンにこの国を任せてたら、えらいことになってただろ…」「俺は、国境を閉ざせとか、一国で孤立しろとか言ってるわけじゃない。…国境を開くっていうなら、…どうしてEU国だけなんだよ。それも結局は閉ざしてることに変わりないんじゃないのか、EUの外の世界に向かって?」

◆スティーヴ(1958年ブライトン生まれ)「移民制限が必要だと言ったら、すぐレイシスト呼ばわりされるが、それは同じことじゃないだろう? どこの国だって国境制限している…」「俺は、職場のスーパーだって、半分以上は移民労働者だ。彼らをバカにしたり、変なことを言う英国人には、俺がいつだって相手になってやる…」「…EUは、結局ドイツとか、一部の国だけが得をするようにできている…」「…労働者階級は、間違っていると思ったら『間違っている』と言う。相手が聞かなかったら、首ねっこ掴(つか)んででもこちらを向かせて聞かせる。それでも聞かなければ、キッチンの流し台から何から彼らに投げつけて、聞かなきゃどういうことになるのか思い知らせてやる…」

◆ローラ(1961年ウェールズ生まれ。看護師として38年間勤務)「…実家のあるウェールズは、EUのおかげでもっとひどくなった。わずかに残っていた産業も海外の人件費の安い国に拠点を移したり…ビジネスや人が自由に国の間を動けるようになると、産業がなかったところはもっと産業がなくなって、人々の暮らしは惨めになるのよ。ここらでそれは止めないといけないと切実に思う…」「私は(医療の現場で)外国から来た同僚がいることに関しては何とも思わないし…自分の知らない国の人たちと一緒に仕事をすることは、世界が広がるから大好き。でも、人の命を預かる現場では、せめてきちんと英語が通じないといけないと私は思う」

 6人のインタビューを読みながら、私は2015年戦争法阻止闘争のとき叫ばれた「勝手に決めるな」「国民なめんな」「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」のコールを思い出していた(ただし「国民」の語には違和感あり。「市民をなめんな」と言うべきか)。障がい者運動にも「私たちぬきに私たちのことを決めるな」というスローガンがある。“残留”に投票したテリーの「“貧困地区出身の労働党員”はもはやアイデンティティ」の言葉は、「オール沖縄」を引っぱる翁長雄志知事の「イデオロギーよりアイデンティティ」の旗印を思い起こさせる。翁長知事は、国連人権理事会で「沖縄の自己決定権はないがしろにされている」と訴えた。「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める」という沖縄の人びとの願いと、「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」という日本の若者たちの叫びと、「相手が聞かなければ首根っこつかんででもこっちを向かせて聞かせる」という英国労働者の決意とは、間違いなく底部で通じ合っている。

 “アイデンティティ”の過度の強調は、アイデンティティを異にする人たちの排除につながるおそれなしとしない。マジョリティによる“自己決定権”の行使が、マイノリティの人びとの“自己決定権”実現を妨げることがあってはならない。だから、ブレイディはこう言う。「…『地に足のついた人々』に『白人』などという人種の定義が“つけられている”のはおかしいのであり、その定義が“つけられる”ことによって…不要な分裂・分断を生むことがあってはならないのだ。…地べたに足をついて暮らしているすべての人間として、…人種も性別も性的指向も関係なく、自分たちに足りないものや不当に奪われているものを勝ち取らねばならない時代が来ているのだ」(p.275)

 ブレイディのこの指摘を“甘い”と評する向きもあるかもしれない。「人種も性別も性的指向も関係なく」と言ったって、現に移民労働者と英国人労働者との間に、女性と男性との間に、LGBTとそうでない人びととの間に、大きな格差や利害対立があるではないか。人種・性別・性的指向に基づく差別と排除を見過ごし、その実態に言及することなくEU離脱を「労働者階級の反乱」と持ち上げるなんて、排外主義・移民排斥運動に対する警戒心に欠ける。排外主義批判の弱い『反乱』はあまりお勧めできない、というわけだ。

 私はそうは思わない。移民排斥への批判が弱いというが、ブレイディ自身が“移民”だ。差別的なことを言われたり、差別的態度を取られた経験もある(p.5)。移民差別に対する怒りがないはずがない。だが、彼女は自らの活動の力点を排外主義・移民排斥の分析・批判よりももっと別のところに置いているようだ。先ほどの文章の2ページ前にはこうある。「…それまでは気にならなかった他者を人々が急に排外し始めるときには、そういう気分にさせてしまう環境があるのであり、右傾化とポピュリズムの台頭を嘆き、労働者たちを愚民と批判するだけではなく、その現象の要因となっている環境を改善しないことには、それを止めることはできない」(p.273)。排外主義は危険だ、と百回繰り返しても、排外主義はなくならないということなのだろう。

 ブレイディはブライトンの貧困地区の“底辺”託児所で保育士として働いた経験を『子どもたちの階級闘争−ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(2017年4月、みすず書房)につづっている。同書中にこんなくだりがあった。

−−いろいろな色を取りそろえる意味は、やはりあるのだ。そしてそれは保育士と子どもたちの関係だけではない。「レイシズムはやめましょう」「人類みな兄弟」とプラカードを掲げていくら叫んでもできることはたかが知れている。社会が本当に変わるということは地べたが変わるということだ。地べたを生きるリアルな人々が日常の中で外国人と出会い、怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って共生することに慣れていくという、その経験こそが社会を前進させる。それは最小の単位、取るに足らないコミュニティの一つから淡々と始める変革だ。この道に近道はない。(pp.85-86)−−

 この文章は、チェコから来た移民の子アンナと地元の英国人の子ケリーの激化する“抗争”について書いた「ふぞろいのカボチャたち」という章の中にある。英国人の子でよくキレるジャックとインド人の子アヌーシュカのやり取りを描いた別の章は、「分裂した英国社会の分析は学者や評論家やジャーナリストに任せておこう。地べたのわたしたちの仕事は、この分断を少しずつ、一ミリずつでも埋めていくことだ」(p.142)と締めくくられている。移民差別・排外主義を克服する保育実践にそれこそ泥まみれで悪戦苦闘してきたブレイディに対して、“排外主義批判が弱い”といった非難を投げつけるのは、あまりに失礼であり、またペダンティック(物知り顔の、学者ぶった、知識をひけらかす)すぎるのではないだろうか。

 本ブログのテーマに戻ろう。橋本の『新・日本』とブレイディの『反乱』の読み比べである。つまるところ、研究室から「階級」を見るか、地べたから「階級」を見るか、の違いだろう。そして断然、地べたからの視点に軍配が上がる。研究室に対する地べたの優位性については、『ユーロ危機と欧州福祉レジームの変容』(福原宏幸・中村健吾・柳原剛司編著、2015年8月、明石書店)の中で居神浩(いがみ・こう)神戸国際大学経済学部教授がブレイディの『アナキズム・イン・ザ・UK−壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(2013年10月、Pヴァイン)を高く評価しつつ、次のように触れている。

−−研究者は基本的に公表された政策メニューから政策を支える論理は何かを読み解こうとする。それはきわめてオーソドックスな手法であるが、ときにはそうでないやり方―たとえばストリート・レベルの人間・社会観察から大きな示唆を得ることがある。
 …ブレイディみかこ氏のエッセイ集はその点で非常に衝撃的であった。それはまったく知らなかった事実の発見というより、それまで不確かでもやもやしていた何かが、生々しいリアリティをもって確かなものに変わった経験を得られたからである。1つひとつのエッセイが実にリアルである…(p.128)−−

 ブレイディの『反乱』の結論はこうだ。「労働者階級を民族問題から解放せねばならない。『白人』という枕詞(まくらことば)をつけさせ続けてはいけないのだ。すべての人々を結びつけ、立ち上がらせることができるのは、人種問題ではなく、経済問題だからだ」(p.277)

 実際、2017年6月の総選挙でコービン率いる労働党は、雇用創出・医療・教育・住宅・福祉など公共サービスへの支出増大の積極財政を打ち出し、鉄道・郵便の再国有化などをうたったマニフェストを掲げて大躍進。若者たちが労働者階級の街に行き、1軒1軒地域の人びとの家のドアをノックし、地べたの労働者たちと語り合うドブ板活動によって勝利がもたらされた。その経緯についても『反乱』の記述はとても参考になる(pp.50-58、pp.268-271)。

 ブレイディは昨年10月の日本の総選挙後、『中央公論』(2018年1月号)に掲載された日英往復書簡「左派は経世済民を語りうるか」の中でも、こう述べている。

−−…日本では「左派はお花畑」っていう表現がよく使われますけど、下部構造のない花は、根から水を吸えないので枯れますよね。経済こそ自由の下部構造なんだと意識する、もっと泥臭い―根を持つ花は当然ながら泥で汚れます―左派が出てこないとこの状況は変わらないと思います。(p.131)−−

 ことはやはり冒頭の「階級」の語義に戻ってくるのだろうか。「階級は…経済制度あるいは生産の社会的体制における地位をさす」「搾取・被搾取の関係は…生産手段に対する所有・非所有の関係から発生する」。経済制度あるいは生産の社会的体制の根幹部分から切り離されてきた人びとが、奪われたものを取り戻す。搾取され抑圧され差別され支配されてきた人びとの意思に搾取者・抑圧者・差別者・支配者を従わせる。自らの未来は自らが決める。その闘いへの効き目ある刺激剤を『反乱』は与えてくれる。

 2点、付記しておきます。
 1つは、ブレイディの視野が英国内だけに収まっていないこと。『反乱』の中でも、欧州全体の反緊縮の闘いを見すえつつ、スーザン・ジョージやケン・ローチ、ジュリアン・アサンジ、ナオミ・クラインらが顧問に就く「Democracy in Europe Movement 2025(欧州に民主主義を運動2025、略称"DiEM25"、https://diem25.org/」を紹介し、EUの民主的改革の方向を示しています。
 もう1つ、反緊縮の政策として、「反緊縮=適度の成長」をとるのか、「反緊縮+脱成長」をとるのか、私自身はまだ考えをまとめきれていません。

(編集部 浅井健治)
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2018年03月19日

公文書改ざんの背後に「戦争する国」づくり

きのう新宿駅西口で行われた「市民と野党の大街頭宣伝」には4000人もの市民が集まりました。私の通勤経路でもあるので、ここでの演説会にはよく出くわしますが、小田急デパートの2階デッキにまで聴衆が鈴なりというのは初めてです。

「ひと言で言って“腐ってる!”」と叫んだ元SEALDsの奥田愛基くんをはじめ、力のこもったスピーチが続きました。ただ、それらのスピーチの中で、財務省が改ざんで隠そうとした森友と安倍夫妻の結びつきの背後に、教育勅語を暗誦させる愛国教育、「戦争する国」を担う人づくりの狙いがあることへの言及は少なかったように思います。

1年前になりますが、昨年3月30日の議員会館前行動で「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長は「森友学園は安倍教育基本法のモデル校」と的確に指摘する発言をしていました。そのあらましは以下の通りです。

−ここから−

 なぜ安倍首相や松井知事、自民党・安倍政権が森友学園の瑞穂の国記念小学校を作らせようとしたのか。
 この出発点になった会合が2012年の2月に行われた。安倍首相(ブログ投稿者注:当時は野党)が大阪に行って、育鵬社の教科書を作っている日本教育再生機構が開催した民間教育タウンミーティングにパネリストとして出演した。他のパネリストは、松井一郎大阪府知事、八木秀次再生機構理事長。この中で何が語られたのか。これが重要だ。

 安倍首相はこう言った。「1947年に制定された憲法と教育基本法は戦後レジーム、戦後体制そのものであり、この戦後レジームから脱却するのが自分の使命である」と。「この47年の教育基本法は日本の香りがしない。これを2006年に自分が改正した。この改正は自分の誇りとするところだ」と言った。そして、「教育基本法改正の1丁目1番地は道徳教育であり、伝統文化と郷土愛、愛国心もこの教育基本法に書き込んだのだ」と自画自賛している。
 安倍さんは当時大阪市議会で審議されていた国旗国歌起立条例、大阪府議会で審議中の教育行政基本条例について、これを「心から支持する」という意見を述べる。そして、「教職員が国歌を歌わない、あるいは起立しない−こういう教員は3回それをやったら首にすべきだ」と。その直前に最高裁が処分は戒告までしかできないという判決を出したが、「この最高裁判決は間違っている。こういう教員はすぐに首にしたらいい」と言った。安倍さんは「この大阪の教育基本条例は教育基本法と全く同じものであり、教育基本法を地域で具体化するものである」と称賛した。

 この集会で安倍さんと松井さんが壇上で固く握手し、「自民党と維新と党は違うがこれから連携して教育政策を進める」ということを約束し合う。当時この大阪市の条例そして大阪府の条例については大阪の自民党の市議団、府議団が反対をしていた。ところが、この安倍さんの発言の直後に自民党の市議団も府議団も態度を変えてこれに賛成に回る。そして、大阪の教育基本条例では愛国心を新たに盛り込んで、そういう修正をして可決するということが行われる。安倍首相は「この大阪の教育基本条例は安倍教育改革を具体化し推進するものである」として、「大阪の地から自分が進める教育改革、教育再生政策を松井知事と手を取り合って進めていこう」とそこで約束する。

 この条例の内容はまさに森友学園が幼稚園でやってきた教育そのものであり、この条例を実施していくモデルとして安倍さんと松井さんが森友学園そして籠池さんに白羽の矢を立てたと私は思う。森友学園が小学校用地を探し始めるのはこの直後。そこからこの問題が出発していると私は思っている。
 安倍首相と松井知事は2006年の教育基本法、大阪教育条例を具体化するモデルとして森友学園を考え、塚本幼稚園が行っている教育を小学校を作って実行する。こういうことを考えて全面的にバックアップしてやってきたのだと思う。
 そのことは文部科学省がこのかん、森友学園、塚本幼稚園の教員を3人も優秀教員として表彰していることにも表れている。この優秀教員表彰制度は安倍さんが第1次政権の時に作った制度。このことにもつながりがあるだろうと思う。

 だから、安倍昭恵夫人は15年9月5日に名誉校長として行なった塚本幼稚園での講演の中で、「こちらの教育方針は主人も大変すばらしいと思っている。卒園後、公立小学校の教育を受けるとせっかくこの幼稚園でできた芯がぐらついてしまう。だから塚本幼稚園でやってきた教育(これは洗脳教育にすぎないが)、これを小学校でもやるんだ」と小学校を作る意義を語っている。昭恵さんはこう言っている。「籠池先生の教育に対する熱き思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。瑞穂の国記念小学院は優れた道徳教育をもとにして日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てるものであります」と。

 この森友学園の教育を全国の学校に広げていこうというのが今安倍さんがやろうとしている道徳の教科化であり、次期の学習指導要領だと思う。これは子どもたちを国家・国益のために、グローバル企業と戦争する国のための人材としてつくろうとする教育だ。これこそが森友学園の小学校でやろうした教育に他ならないと思う。そういう意味で、この安倍さんがやろうとした教育はまさに戦争する国づくりであり、共謀罪を作ろうとする政策と一体のものだ。この森友学園の問題を徹底的に究明し、戦争法を廃止し、共謀罪を作らせない。そのためにお互いに頑張っていきたい。

−ここまで−
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(3月18日 新宿駅西口)

(編集部 浅井健治)
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2018年03月01日

幸せになるために働くのに働いて命を失っていいのか:過労死遺族の訴え

日本弁護士連合会が2月28日、衆院第二議員会館で開いた「労働時間法制を考える院内市民学習会」で、過労自殺した電通新人社員、高橋まつりさんの母幸美さんと、過労死したNHK記者、佐戸未和さんの母恵美子さんが発言しました。以下はそのあらましです(文章の責任は本ブログ投稿者にあります)。

◎高橋幸美さん

 静岡から来た高橋まつりの母です。
 私は娘が生まれてからずっと、自分の命をかけても絶対にこの子を守りたいと思っていた。地方で暮らし、母子家庭で育った境遇の娘に、私はいつも話した。
 それでも、自分の夢を実現するための娘のハングリー精神は並大抵のものではなかった。自分の努力で夢を実現して学問を修め、日本に貢献したいと希望を持っていた。言葉と文章で表現者として活躍し、政府の仕事をしたいと、大手広告代理店に入社した。その後わずか9か月、長時間労働とパワハラで精神障がいを発病して命を落とした。

 上司は残業時間を正確に記録しないように指示していた。「残業するな」と言われるのに「新人は死ぬほど働け」と言われ、先輩はあり得ないほどの仕事をどんどん振ってくる、意味が分からない、この会社おかしい、東京の夜景は私たちの残業がつくっている−そう娘は言っていた。
 時には連続3日間、徹夜で仕事をしていたこともあった。労災申請から半年で認定されたが、どんな認定されても娘が生きて戻ってくるわけではない。24歳の娘の人生も、努力も、夢も、未来も、取り返しがつかない。

 この度の働き方改革関連法案は、過労死の防止と矛盾する内容であると思う。過労死遺族としては絶対に許すことはできない。時間外労働の上限規制が100時間未満という数字は一体なぜなのでしょうか。三六協定で過労死ラインを超える残業時間を設定している職場がたくさんあり、過労死が起きている。労災認定の過労死ラインを超える100時間という数字にすることは、労働者を過労死させることを職場に許可するものだ。
 裁量労働制の適用業務の拡大、高度プロフェッショナル制度の導入は、長時間労働を認め助長するものだと思う。

 日本には労働法を守らない会社があり、過労死が起きている。
 電通は労基署の是正勧告を再三受けていたのに、娘は亡くなった。本人が希望しないのに裁量労働制に変えたり、仕事量を決める裁量がないのに成果だけを求められるおそれがある。娘の仕事はインターネット広告を法人のニーズに応じて企画・提案することだった。政府案の企画業務型裁量労働制の対象になる。もし法案が成立すれば、娘のような長時間労働もすべて合法とされてしまう。

 また、命を守るためにヨーロッパ並みに11時間の勤務間インターバルの義務付けをしていただきたい。娘のインターバルは5時間ほどしかなかった。11時間インターバルがあれば娘は眠ることができ、死なずに済んだ。

 私たち遺族は、過労死犠牲者が日本にたくさんいること、法律を守っていない企業があること、法律は私たちを十分に守ってくれないので自分自身で身を守る必要があることを訴えている。
 幸せになるために働いているのに働くことで命や健康を失っているのが現実です。罰則付き時間外労働の上限規制が100時間未満という数字の見直しを求める。裁量労働制の適用業務拡大、高度プロフェッショナル制度関連法案の削除を求める。勤務間インターバルの義務付けもしていただきたい。
 安倍総理大臣も加藤厚生労働大臣も「過労死を二度と起こしてはならない」と何度も話されている。その言葉が本当ならば、命を犠牲にするのではなく働く者の命と健康を守るための働き方の改善にしていただきたいと思う。
 私からのお願いは以上です。聞いてくださり、ありがとうございました。

◎佐戸恵美子さん

 佐戸未和の母、佐戸恵美子でございます。
 昨年10月、報道記者をしていた長女、佐戸未和が4年前に過労死で労災認定を受けていた事実が公表された。
 未和は私のかけがえのない宝、生きる希望、夢、そして支えだった。亡くなったあと、私は放心状態のまま、家にこもり、ひどいうつ病となり、娘の遺骨を抱いて毎日毎日娘の後を追って死ぬことばかり考えていた。二度と心から笑えることはなくなり、苦しみと悲しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を世の中にきちんと伝えたいとの思いでここに立たせていただいている。

 未和の死はあまりに突然だった。2013年の6〜7月、東京都議選・参院選と立て続けに大型選挙があり、真夏の炎天下、2か月にわたる選挙取材・報道に駆け回っていたが、選挙戦が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなった。連絡がつかず心配して駆けつけた婚約者によって発見された。私たちは娘の悲報を当時駐在していたブラジルのサンパウロで受け、半狂乱になって帰国し、死後4日目の変わり果てた娘に対面した。

 未和の勤務記録票を見たときに私たちは泣いた、こんな働き方をしていたのか、と。深夜残業を連日続け、土日出勤を繰り返す異常な勤務状況だった。まともに睡眠をとっていなかった。記者にとって選挙取材は本来の担当業務に加え新たに発生する、臨時の記者も待ったなしの集中業務だ。後で聞いた話や残された未和のノートからも、同じ職場の他のベテラン記者たちと比べて明らかに未和への仕事量は多かった。
 私たちはこんな長時間労働がどうして会社の中で放置されていたのか、どうしても理解できない。社員の労働時間の管理は上司の責任であり、普通の職場であれば部下の深夜残業が続けば止めるはずだ。部下の深夜残業が連日続いたり、土日出勤を繰り返せば止めるはずだ。組織としても社員の労働時間を適正に把握する義務があり、そのためのチェックシステムやルールもあったはずだ。

 労基署が認定した時間外労働時間は亡くなる直前の1か月間は159時間37分だったが、私たちが算出した時間外労働時間は亡くなる直前の1か月間は209時間、その前の月が188時間だった。当時職場では記者に対しては事業場外みなし労働時間制が適用され、何時間働いても労働時間は同じと扱われていた。これはみなし労働という意味で裁量労働制と同じだ。
 職場の上司は未和が亡くなったあと私たちに「記者は時間管理ではなく裁量労働で、個人事業主のようなもの」と何度も言い、まるで労働時間を自己管理できずに死んでいった未和が悪かったように言われているようだった。この制度があったため、職場では上司による部下の労働時間の適切な管理が行われず、200時間を超える時間外労働が野放しとなり、未和は過労死に至った。制度を乱用した労務管理の怠慢による明らかな人災だ。
 裁量労働制は自分で自由に労働時間を決められる働き方だが、仕事の量は自分では決められない。未和を含めて職場で働く大勢の社員は勝手自由に働けるわけではない。裁量労働となれば労働時間は自己管理とされ、会社の労務管理がおろそかになり、制度が乱用されて、また未和のような犠牲者が出てくる。裁量労働制の拡大は長時間労働を野放しにし、ずさんな労務管理の格好の言い訳になってしまう。

 未和のにおい、未和の体の温かさを私はこれからも忘れることはない。私たちと同じ苦しみを背負う人が二度と現れることがないよう、働く人の命と健康をしっかりと守る法律を作っていただくことを切に願っている。
 ご清聴ありがとうございました。

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 佐戸恵美子さん(右)と高橋幸美さん

(編集部 浅井健治)
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2018年02月15日

雨以外に何も落ちてこない平和な空を:保育園園長の訴え

2月13日、衆院第二議員会館で「『なんでおそらからおちてくるの?』子どもたちの空を守る父母会院内集会」が開かれました。沖縄選出の野党国会議員でつくる「うりずんの会」などの主催です。昨年12月、米軍ヘリのものと見られる部品が落下した宜野湾市の保育園の園長とお母さん6人が政府要請行動を終えて参加し、発言しました。

以下は、神谷武宏さん(普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園園長、牧師=下の写真一番左)の発言のあらましです。パワーポイントで写真を示しながらの訴えでした。

なお、院内集会で参加者の一人が「本土の私たちが何をしたらいいか」と質問したのに対し、神谷園長は「それはどうぞご自分で考えてください。そういうことを質問すること自体おかしい。こういう現状を見てもそういう質問が出るというのはほんとに情けない。申し訳ないが、そういうふうにしか答えられない」と応じていました。

−ここから−

 緑ヶ丘保育園は普天間バプテスト教会付属保育園として1964年4月に開園した。開園のきっかけはこの地域に保育園がなかったこと。近くに基地があり、どちらかというと貧しい地域で、子どもたちのために、お母さん方のためにと教会の庭を使って保育園が始まった。
 園庭は保育園に欠かせない。園庭で安全に、子どもたちがのびのびと遊ぶ。遊びを通していろんなことを学んでいく。まず園庭を100坪確保した。

 園庭ではいろんなことをして遊ぶ。運転棒、夏にはセミとり。子どもたちは水遊びが大好き。遊びすぎてびしょ濡れになるが、全身が水に濡れたってへっちゃら。シャボン玉で遊びながら泡風呂まで。子どもの笑顔ってすてきですよね。子どもの笑顔に私たちは癒される。園庭を思いっきり駆け回る子どもたち。
 沖縄は夏が長く、よくプールで水遊びをする。最後は、水をむだにしないためにみんなでウォータースライダー。われ一番にここを滑りたいという子どもたち。
 園庭では泥遊びをする。団子を作ったり、思い思いに土と戯れる。泥んこ遊びがエスカレートし、最後は泥まみれに。でも、本当に楽しそうに子どもたちは遊んでいる。
 園庭では運動会が毎年行われる。昨年10月、53回目の運動会を行った。待ちに待った運動会。親に見てほしいという思いを精いっぱい体を使って伝える。親御さんにとっても子どもの成長を垣間見るときでもある。
 他の保育園にあるだろうか、私たちの保育園では雨の日も園庭に出て、雨の中で遊ぶ。子どもたちは思い思いに雨と戯れ、雨を全身に感じながら、雨の恵みを感じとっていく。土砂降りに濡れている子どもたちのすてきな笑顔を見てください。

 昨年12月7日(木)午前10時20分頃、雨ではないものが降ってきた。空から雨以外が降るなんて誰も想定しない。筒状の透明なガラスのようなもので、長さ9・5センチ、直径7・5センチ、厚さ8ミリ、重さ213グラム。ドーンと激しい音を立てて落ちてきた。人と比べると大きさが分かると思う。トタン屋根にこれだけの凹みができるほどの圧力がかかっている。どれだけの高い上空から落ちてきたのか。どれだけの勢いをもって落ちてきたのか。
 当時、園庭には2歳児・3歳児クラスの園児たちが20〜30名ぐらいで遊んでいた。4歳・5歳児クラスの園児たちは園舎の中で、1週間後に迫るクリスマスの準備をしていた。生誕劇の役をみんなで相談して、「今度だれがマリアする?」「だれがヨセフさんする?」「だれが博士する?」「だれが羊飼いする?」「だれが天使する?」と話し合って「じゃあ私がマリア」と決めていく。みんなが楽しみにするクリスマスの準備をしているさなかに、その楽しみを踏みにじるように、この事故が起きた。
 落下物が落ちた屋根の下には1歳児クラスの園児が8人、先生方が2人いた。これから園庭に出て遊ぼうとしていたときだ。ドーンという激しい音に子どもたちも先生方もとても驚き、わぁーっと声を上げた。1人の先生は、同時にヘリの音が聞こえていたので、すぐにヘリから何かが落ちたと感じ、「とてつもない大きなものが落ちてきた。最初ヘリのプロペラが落ちてきたと思うほどの衝撃を感じた」という。激しい音がしたときに、園庭にいた先生が振り向くと、物体が大きく跳ね上がっていた。隣のゲートボール場にいたおじいちゃんたちも、この大きく跳ね上がる物体を見ている。
 この日は朝早くから保育園の上空をオスプレイやCH53などのヘリが飛んでいた。「きょうも朝早くからうるさい日だなぁ」と私も2階にいて感じながら仕事していた。園庭までわずか50センチしか離れていない屋根の上で物体が止まっていた。下には子どもたちがいた。一歩間違えれば、子どもたちや先生方が大変なことになっていた。いつもより早めにお迎えに来ていただくよう連絡したが、仕事されているご父兄がほとんどだから、私たちが園舎の中で子どもたちを預かった。

 先生から「ヘリから何かが落ちました」と声をかけられて私はすぐ屋根の上を見た。赤い何かが落ちている。降りていって写真を撮ろうとして1bぐらいまで近づいた。もわーっとする、熱を帯びた、油のような、エンジンの焦げたような臭いがした。とっさに、これは危険なもの、触ってはいけないものだと察知した。
 まず宜野湾市基地渉外課に電話し、対応を確認。警察への通報とメディアへの連絡。警察にはしっかりと調査するように、メディアにもしっかりと事実を報道するように、と話した。今もメディアに対しては、左も右も関係ない、できるだけ全国の方にこの沖縄の実情を知っていただきたい、そんな思いで対応している。

 報道されていないことがある。警察が調査を終えて帰った後、落下物は米軍大型ヘリCH53Eのプロペラの根元にあるストロンチウム90の放射線を抑制するカバーだと分かった。このことは報道されたが、そのカバーは放射線を含み、周辺に放射するおそれはないか。園長として子どもたちの命を預かっているから、何とかしなければならないと思った。午後から園庭に出て遊ぶことは中止にした。昼寝の後は、子どもたちを園で大事に預からせてもらった。同時に、琉球大学の物理学者である矢ヶ崎(克馬)先生に連絡し、このCH53のストロンチウム90のカバーについて尋ねた。矢ヶ崎先生は、このカバーに放射線が付着し放出するおそれはほぼないだろう、と。私は「ほぼない」では納得ができず不安で、先生と相談しながら、知人を通して測定していただくことになった。丁寧に時間をかけて測定していただいた結果、全く通常の値であることが分かった。周りにいたメディアの方がたと相談し、このことに関しては報道してくれるな、と規制をかけた。風評被害のおそれがあると思ったからだ。測定の結果を受けて翌日の保育園の開園を決めた。

 米軍は翌8日に、落下物自体はCH53大型輸送ヘリの部品であることを認めた。しかし、飛行中の機体から落下した可能性は低い、と説明した。この言葉に私はびっくりした。あのドーンという、トタンが凹むほどの衝撃。大きく跳ね上がる物体を見たという証言がいくつもある。もわーっとする熱を帯びたエンジンの焦げた臭い。米軍は「カバーは全部揃っているからちゃんと回収している」と述べ、「だから落としたはずがない」と答えた。そのことに対して政府は「ああ、そうですか」というような感じですよ。

 この米軍発表があってから誹謗中傷の電話・メールが保育園と教会に来るようになった。これ(パワーポイントの画像)は教会に来た誹謗中傷メールのほんの一部だ。メールは見なければたいしたことない。でも電話はほんとに困る。朝忙しいときに電話が鳴り、受話器をとる。すると、どなるようにして誹謗中傷を言われる。「あなた方の園は基地がある前からあったのか」「あなた方が『ヘリは飛ぶな』と言ったら誰が日本を守るんだ」。そんなことをどなるように、ずーっとしゃべっている。そういうことが12月いっぱいまで続いた。私たちの対応としては(ナンバー)ディプレイの設置とか留守電にするとか。留守電にもいくつか入っていた。今年になっても無言電話が少し入る。これは一つの流行みたいなものか。そんなふうに考えてしまう。
 私たち当事者が米軍からと思われる被害を受け、そしてまたこの誹謗中傷という二重の被害を受けるということが起きている。米軍が事故だと認めないのであれば、これはもう“事件”だ。私たちは事件として扱ってくれと警察に訴えている。これは殺人未遂事件だ。米軍が認めないなら、警察はそういう態度をもってあたるべきだろう。

 事故の翌日、子どもたちはいつものようにほぼ全員元気に登園してくれた。園側に親御さんから「子どもたちを守ってくださってありがとうございました」という暖かい声もあった(と涙声で)。親御さんは子どもの無事を確認し、ほっとした後、「子どもたちにケガなかったからよかったさぁー」では済まされないね、とだんだんワジワジしてくる。怒りの思いが出てくる。
 翌日です。父母会役員が立ち上がって、私たちの声を上げよう、と。「どうしたらいいんですか、園長先生」という相談もあったが、お母さん方自らがお母さん方の手で、お父さん方もいたが、嘆願書の作成に動き出す。3日後、日曜日に緊急父母会を行い、全員一致で嘆願書の作成、署名活動が始まる。

 嘆願書の内容はこうだ。
−−私たちの上を飛ばないでください。緑ヶ丘保育園園児・保護者からのお願い(嘆願書)−−
 12月7日木曜日に米軍ヘリからと見られる部品落下の事故が起こった。今回は子どもたちにケガもなく全員無事だった。しかし、けが人がいなかったからよかったさぁで済まされることではない。一歩間違えれば命に関わりかねない重大事故だ。
 緑ヶ丘保育園は滑走路の延長線上にあり、子どもたちは飛行機のおなかが見えるよというように保育園の真上を米軍機が爆音・騒音とともに何度も飛び交う中で園生活を過ごしているのが現状だ。これは基地があるからあたり前なのでしょうか。子どもたちにとっていい環境なのでしょうか。
 今回の事故で保育園上空が日米で合意された米軍ヘリの飛行ルート外であることが分かった。どうして米軍ヘリが毎日上空を飛ぶことが許されるのでしょうか。子どもたちの命はつねに危険にさらされている。私たちは子どもたちを守るため、こういうことが二度と起こらないよう下記の事項を強く要望する。これらの事項を防衛省ならびに米軍に対し強く求めていただくよう要請を申し上げる。
 要望 @事故の原因究明および再発防止A原因究明までの飛行禁止B普天間基地に離発着する米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止。
 子どもたちの命、未来を守ってください。

 そんなにむずかしいことは言っていない。要望の内容はごく常識的な、当然のことを記しているにすぎない。この要望に真摯に向き合っていれば、第二小学校の事故はなかったはずだ。

 12月13日、保育園の落下事故からまだ1週間もたっていない。普天間第二小学校は私の母校でもある。保育園から第二小までは1キロも離れておらず、保育園の父母の中には、下の子が当園に通い、上の子が第二小に通っている方が何人かいる。1週間のあいだにこんなあり得ない苦しみに遭うなんて本当につらくなる。

 2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間基地所属の大型ヘリCH53が墜落・炎上した。この大惨事を踏まえて飛行ルートを新たに整備し、2007年より具体的な飛行ルートを公表している。その資料をもとにお話する。
 黄色い円を描くように飛ぶルート。これは300b上空からオートローテーション機能を使ってのエンジン停止時に降下し、安全に基地内に戻れる範囲を設定している。エンジン停止、300bからこれなら安全に下りるだろうという訓練だ。こういう訓練を普天間基地でやっている。みなさんのところでこういう訓練、しますか。
 青い点線が飛行ルートになっている。これを見ると、緑ヶ丘保育園、普天間第二小学校はそのルートから十分に外れていることになる。防衛局は飛行ルートをチェックするために各所にカメラを設置し、観測をしている。防衛局が2017年9月に公表したデータには、2016年4月から2017年3月までの毎月の観測データがある。2016年6月の飛行状況データを見ると、飛行ルートではない上空を飛んでいる。緑ヶ丘保育園の上空を塗りつぶすかのように飛行機が、ジェット機が、ヘリが、オスプレイが飛んでいることが分かる。1か月後の2016年7月の飛行状況データ、12月の飛行状況データ。何にも変わっていませんよ。これが現状です。米軍は彼らが言っているルールを全く守っていない。

 緑ヶ丘保育園の父母会はそういう学びをしつつ嘆願書を作成し、署名活動を行っている。米軍はルールを守らない。大人としての約束を守らない。日本政府は沖縄で起きている人間の命の尊厳の危機に向き合わない。だからといって私たちは泣き寝入りするわけにはいかない。子どもたちの命を守るために、また「好きで選んで入れていただいた緑ヶ丘保育園を守りたい」とおっしゃって立ち上がっている。はだしで駆け回ることができる園庭を守りたい。保育園で思いっきりこれからも遊ばせたい。そうおっしゃってお母さん方の闘いが始まった。
 署名活動をして10日が過ぎて第1期の締め切りの作業をした。2万6372筆の署名が集まった。お母さん方は街頭署名も始めた。週4〜5回、午前午後と分けて父母の方がたが交代しながら、仕事の合間、家庭の合間をみて署名活動をしている。全国から多くの署名が寄せられた。1月31日の署名数は10万456筆。署名は2月11日で終了し、署名活動62日間で12万6907筆になった。お寄せくださった全国のみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げる。ありがとうございました。

 嘆願書を携えて各所を訪ねた。宜野湾市の佐喜真市長、市議会議長、県議会議長。沖縄防衛局は2度訪ねて2万6千あまりの署名を手渡している。外務省沖縄事務所、米国領事館。県庁では翁長知事に直接嘆願書と署名を手渡した。県庁は3度訪ねている。9日にも翁長知事に面会し、私たちの政府要請行動を後押ししてくださった。
 12月29日に宜野湾市市民大会を開催した。緑ヶ丘保育園も主催者側に加わり、6団体が中心になって盛り上げ、わずか1週間足らずの準備で600人あまりが集った。父母会を代表して知念有希子副会長があいさつ。「安心して安全なあたり前の空の下で子どもたちを遊ばせたいだけ。子どもたちに『大丈夫だよ。空からは雨しか降ってこないよ』と言えるように飛行禁止を求めていく」と語り、多くの参加者の共感を得、涙を誘った。

 保育園・普天間第二小学校の落下事故から次から次に不時着事故が相次いでいる。先週8日にもオスプレイが落下事故を起こした。これはもう異常事態だ。沖縄は無法地帯ともいえる。
 今回の米軍による落下物事故の数日後に、保育園に訪ねてきた方がいる。1959年6月30日に起きた宮森小学校ジェット機事故の犠牲者の遺族の方だ。その方が「大変でしたね」と声をかけてくださった。きっとこのような米軍による事件・事故が起こるたびに、あの58年前の悲しみ、苦しみがえぐられるように思い起こされるのであろう。その方のお話の中で、宮森小の事故後米軍が、亡くなった家族の前で賠償金の話をし、1家族に1000ドルを支払う、と言ったそうだ。すると1人の母親がこう答えた。「あなたの息子をここに連れてきなさい。あなたの息子を殺して私が賠償金1000ドル、あなたに払うさぁ」。そう叫んだそうだ。米兵は怒って銃を空に向かってドンと撃った。母親の悲しみはどれほどのものか。米軍の傲慢さはどれだけのものか。この状況は当時も今も何も変わっていない。

 母親の子に対する思いは何も変わっていないからこそ、これだけの行動を保育園のお母さん方はしている。米軍の傲慢さは何も変わっていない。これだけの事件・事故を起こし続けても、詫びることもなく、隠蔽さえしようとしない。落下物事故をいまだに認めない。沖縄がいまだ占領地であるかのように感じてならない。しかし、沖縄もまた日本国憲法のもとにあるはずだ。基本的人権、命の尊厳は保障されているはずだ。人間が人間らしく、安全に生活できる保障があるはずだ。
 東京の人たちが米軍基地の脅威にさらされていますか。なぜ沖縄だけが米軍基地からの脅威にさらされ続けなければならないのか。これは不平等だ。
 どうぞ沖縄の現状に向き合ってください。沖縄の基地問題は決して沖縄の問題ではないはずだ。日米安保は日本国民の8割以上が賛成だ。しかし、その日米安保の弊害はどこで起きているか。日米地位協定の弊害を東京に住んでいる人は感じていますか。沖縄の問題は日本の問題であり、あなたの、あなた方の問題です。どうか平和な空を返してください。雨以外に何も落ちてこない平和な空を保障してください。日本政府は日本国憲法にのっとって国民の命に向き合ってください。沖縄の人びとの命にも向き合ってください。
 ここに来られている方がたはきっとそのことをよく理解されていることだと存じ上げている。どうぞ東京でも声を上げていきましょう。声を上げ続けていきましょう。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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