2019年11月13日

ファシスト民兵組織指導者の大富豪率いるボリビアのクーデター

『グレーゾーン』という独立ニュースウェブサイトが、ボリビアのクーデターの背景をよく伝えてくれる記事を掲載しています。以下はその拙訳です。

原文は:
https://thegrayzone.com/2019/11/11/bolivia-coup-fascist-foreign-support-fernando-camacho/

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外国の支援のもと、キリスト教ファシスト民兵組織指導者の大富豪に率いられたボリビアのクーデター

ボリビアのクーデター指導者ルイス・フェルナンド・カマチョは、サンタクルス県(米国が分離主義をけしかけてきた地域)のファシスト運動から生まれた極右の億万長者だ。カマチョは、ブラジルとコロンビア、そしてベネズエラの野党から支持を得ようと努めてきた。

マックス・ブルーメンタール、ベン・ノートン記

エボ・モラレス大統領の突然の辞任(11月10日)の数時間後、ルイス・フェルナンド・カマチョがボリビアの放棄された大統領官邸に押し寄せ、退陣させられた社会主義・先住民指導者が推し進めてきた多民族精神をまさに敵に回すこの国の一側面を世界に明るみに出した。

聖書を片手に、国旗をもう片方の手に、カマチョは大統領の紋章上で頭を下げて祈り、国の先住民の遺産を政府から追放し、「燃えた宮殿に神を戻す」という誓いを果たした。

「パチャママは二度と宮殿に戻らない」とカマチョはアンデスの母なる大地の精神に言及して語った。「ボリビアはキリストのものだ」

[写真]クーデター後、大統領宮殿で聖書を持つボリビアの極右野党指導者ルイス・フェルナンド・カマチョ

ボリビアの過激右翼野党はその日、同国の軍指導部による辞任要求を受けて、左派のエボ・モラレス大統領を倒した。

民主的選挙で選ばれたことがなく国外ではほとんど知られていないカマチョが、空隙に入り込んだ。彼はパナマ文書にも名前がある有力な億万長者であり、人種差別暴力で悪名高いファシスト民兵組織に育てられた超保守的キリスト教原理主義者であり、ボリビアの裕福な分離主義地域サンタクルス県に拠点を置いている。

カマチョは、ボリビアの埋蔵量豊富な天然ガスから長い間利益を上げてきた企業エリート家庭の出身だ。彼の家族は、モラレスがその広範な社会プログラム(貧困を42%、極度の貧困を60%削減した)に資金を投入するため国の資源を国有化したとき、富の一部を失った。

クーデターの準備として、カマチョはモラレスを不安定化させる計画について議論するため、南米の右派政権の指導者たちと会った。反乱の2か月前、彼は感謝の気持ちをツイート。「コロンビア、ありがとう! ベネズエラ、ありがとう!」と叫び、フアン・グアイドのクーデター作戦に謝意を表した。彼はまた、ジャイル・ボルソナロの極右政権を評価し、「ありがとう、ブラジル!」と宣言した。

カマチョは、ウニオン・フベニル・クルセニスタ(サンタクルス青年連合)と呼ばれるあからさまなファシスト分離主義組織を長年にわたって率いてきた。『グレーゾーン』は、同連合が自身のソーシャルメディアアカウントに投稿したプロモーション歴史ドキュメンタリーから次の場面を編集している。
https://twitter.com/i/status/1194133424975613952

カマチョとその極右勢力がクーデターの背後の実力組織を担う一方、彼らの政治組織は利益を得るのを待った。

10月の選挙でボリビアの野党が大統領候補に立てたカルロス・メサは、ワシントンとの広範な結びつきを持つ「企業寄り」民営化推進者だ。ウィキリークスが公表した米国政府の通信記録は、彼がモラレスを不安定化させる目的で定期的にアメリカの当局者とやり取りしていたことを明らかにしている。

メサは現在、米国政府のソフトパワー部門USAID(米国国際開発庁)やいくつかの巨大石油企業、ラテンアメリカで活動するたくさんの多国籍企業から資金を提供されたワシントンにベースを置くシンクタンク、インターアメリカン・ダイアログの専門家としてリストされている。

エボ・モラレスは元農民で、社会運動で著名になり、有力な草の根政党である社会主義運動(MAS=Movimiento al Socialismo)のリーダーとなった。ボリビア初の先住民族の指導者だった。同国の大きな先住民および農民コミュニティで多大な人気があり、13年間にわたって多くの選挙と民主的国民投票で、しばしば地すべり的な勝利を収めた。

10月20日、モラレスは60万票以上を得て第1回投票で野党大統領候補メサを破るのに必要な票差10%をわずかに上回り、再選を勝ちとった。

ボリビアの公的に入手可能な投票データの統計分析を行った専門家は、何らごまかしや不正行為の証拠を発見しなかった。しかし、野党は“違う”と主張し、数週間抗議と暴動で街頭に繰り出した。

モラレスの辞任を引き起こした出来事は、議論の余地なく暴力的であった。右翼野党ギャングらは、与党の左派MAS党から当選した多くの政治家を攻撃した。さらに、彼らはモラレス大統領の家を荒らし回り、他の高官数人の家を焼き払った。何人かの政治家は家族を誘拐され、辞任するまで人質にとられた。ある社会主義者の女性市長は暴徒に公然と拷問された。

モラレスの辞任強制に続いて、クーデター指導者は政府の選挙管理委員会の委員長と副委員長を逮捕し、委員会の他の職員を辞職に追い込んだ。カマチョの信奉者は、ボリビアの先住民とモラレスの多民族主義のビジョンを象徴するウィファラ(アンデス地方の先住民の旗)を燃やし始めた。

ラテンアメリカの右翼反共諸国の同盟として冷戦中に米国によって設立された親米組織、米州機構(OAS)はボリビアのクーデターにお墨付きを与える手助けをした。OASは証拠を示すことなく10月20日の投票には多くの不正があったと主張し、新たな選挙を求めた。その後、モラレスが軍によって打倒され、彼の党の役員らが攻撃されて暴力的に辞任を余儀なくされても、OASは沈黙したままだった。

次の日、ドナルド・トランプのホワイトハウスはクーデターを「民主主義のための重要な瞬間」であり、「ベネズエラとニカラグアの非合法政権に対する強力なシグナル」であると言いふらして、熱狂的に称賛した。

暗がりから現れ、暴力的な極右反乱を導く

カルロス・メサが野党の暴力をこわごわと非難したのに対し、カマチョはそれをけしかけ、選挙の国際的監査の要請を無視し、モラレス支持者全員を政府から追放するという彼の最大限要求を強調した。彼は野党の本当の顔であり、メサの穏健な姿の背後に何か月も隠れていたのだ。

カマチョは40歳。サンタクルスの分離主義者の拠点出身の億万長者の実業家だ。これまで公職選挙に立候補したことはない。ベネズエラのクーデター指導者フアン・グアイドについて米国政府が彼を仮の「大統領」に選定するまでベネズエラ人の80%以上はその名を聞いたことがなかったのと同様、カマチョはボリビアでのクーデターの試みが本領を発揮するまでは無名の人物だった。

彼はまずツイッター・アカウントを2019年5月27日に作成。数か月間、彼のツイートは無視され、3〜4回のリツイートといいね!を生んだにすぎなかった。選挙前、カマチョについての記事はウィキペディアになく、スペイン語または英語のメディアに彼に関するメディアプロフィールはほとんどなかった。

カマチョは7月9日にストライキを呼びかけ、ツイッターに動画を投稿したが、視聴回数は20数回にとどまった。ストライキの目標は、ボリビア政府の選挙機関である最高選挙裁判所(TSE)に退陣を強制することだった。つまり、カマチョは大統領選挙の3か月以上前に政府の選挙当局に辞任するよう圧力をかけていたのだ。

カマチョが脚光を浴び、メディア複合企業(地元の右翼ネットワークであるユニテルやテレムンド、スペイン語CNNなど)によって有名人に変身したのは、選挙後のことだった。

突然、モラレスの辞任を求めるカマチョのツイートが何千ものリツイートでライトアップされた。クーデター装置が作動し始めた。

ニューヨークタイムズやロイターのような主流メディアが後を追い、選挙で選ばれてもいないカマチョをボリビアの反対勢力の「リーダー」として持ち上げた。しかし、彼が国際的な注目を集めることになっても、極右活動家たるバックグラウンドの重要な部分は省略された。

言及されていないのは、カマチョが人種差別暴力や地元の企業カルテルで悪名高いキリスト教過激派民兵組織、そして中南米の右翼政権と深く定着したつながりを持っていることだ。

カマチョの政略が形成され、クーデターのイデオロギー的輪郭が定義づけられたのは、サンタクルスのファシスト民兵組織と分離主義的雰囲気の中においてだった。

[写真]ルイス・フェルナンド・カマチョの出発点となったボリビアのファシスト青年グループ、ウニオン・フベニル・クルセニスタ(UJC)の幹部。

フランコ主義スタイルのファシスト民兵組織幹部

ルイス・フェルナンド・カマチョは、モラレス暗殺計画に関与しているファシスト民兵組織であるウニオン・フベニル・クルセニスタ(UJC=サンタ・クルス青年連合)によって育てられた。このグループは、左翼や先住民農民、ジャーナリストを襲撃することで悪名高く、すべて徹底した人種差別主義・同性愛嫌悪のイデオロギーを支持している。

モラレスが2006年に就任して以来、UJCは、悪魔のような先住民大衆によって乗っ取られたとメンバーが信じた国からの分離を求めてキャンペーンした。

UJCは、スペインのファランヘ党、インドのヒンドゥー至上主義者RSS、ウクライナのネオナチ・アゾフ大隊のボリビア版だ。そのシンボルは緑の十字架であり、西側のファシスト運動のロゴと強い類似性がある。

そして、メンバーはナチ・スタイルの「ジークハイル」敬礼で始めることが知られている。

ボリビアの米国大使館でさえ、UJCメンバーを「人種差別主義」で「好戦的」と説明し、彼らは「頻繁に親MAS(社会主義運動)・親政府の人々と施設を攻撃してきた」と指摘している。

ジャーナリストのベンジャミン・ダングルは2007年にUJCメンバーと会った後、彼らをサンタクルス分離主義運動の「ブラス・ナックル」(格闘で使う金属製武器)と表現した。「ウニオン・フベニルは、ガス国有化をめざして前進する農民たちを打ち負かし、自治(分離)に反対する学生たちに石を投げ、国営テレビ局に火炎瓶を投げ、土地の独占に苦しむ土地なき民運動のメンバーに残酷に暴行を加えることで知られる」とダングルは書いている。

「われわれの文化を力で守る必要があるとき、われわれはそうする」とUJCのリーダーはダングルに語った。「自由の防衛は命よりも重要だ」

[写真]UJCの武装メンバー

カマチョは23歳になった2002年にUJCの副会長に選出された。2年後にUJCを離れ、一家のビジネス帝国を築き、親サンタクルス委員会の中で昇格していった。この組織において彼は分離主義運動の最有力者の一人、ブランコ・マリンコビッチという名のクロアチア系ボリビア人新興財閥の傘下に入ることとなった。

8月、カマチョは「大親友」のマリンコビッチとの写真をツイートした。この友情は、右翼活動家の資格を確立し、3か月後に形になるクーデターの基盤を築く上で決定的だった。

カマチョのクロアチア人ゴッドファーザー、分離主義の陰の実力者

ブランコ・マリンコビッチは、土地の一部がエボ・モラレス政権によって国有化された後、右翼野党への支持を強めた大地主だ。親サンタクルス委員会の委員長として、ボリビアの分離主義の主エンジンたる同委員会の運営を監督した。

2008年のマリンコビッチ宛て書簡の中で、国際NGO「国際人権連合」は「ボリビアの人種差別と暴力の実行者・促進者」として同委員会を非難した。

同人権連合は「分離主義、労働組合主義、人種差別主義の態度と言説、そして親サンタクルス市民委員会が主要な推進者の一員である軍事的不服従の呼びかけを非難する」と付け加えた。

2013年、ジャーナリストのマット・ケナードは、米国政府がボリビアのバルカン化を奨励し、モラレスを弱体化させるために親サンタクルス委員会と緊密に協力しているとレポートした。「彼ら(米国)が伝えてきたのは、どのようにしてコミュニケーション・チャンネルを強化できるかだった」と同委員会の副会長はケナードに語った。「大使館は、われわれのコミュニケーションの活動を助けてくれると言っており、彼らの考え方を提唱している一連の出版物がある」

2008年のマリンコビッチのプロフィールで、ニューヨークタイムズは、この新興財閥が主宰するサンタクルス分離運動の過激な底流の存在を認めた。同紙はこの地域について「ボリビア社会主義ファランヘ党のような公然たる外国人排斥グループの砦であり、手を空中に差し伸べるその敬礼は、スペインの元独裁者フランコのファシスト・ファランヘ党からインスピレーションを得ている」と説明した。

ボリビア社会主義ファランヘ党は、冷戦中にナチの戦犯クラウス・バルビーに安全な隠れ家を提供したファシスト・グループ。元ゲシュタポの拷問専門家だったバルビーは、コンドル作戦プログラムを通じてCIAに再利用され、大陸全体の共産主義を根絶させるのを助けた。(ドイツ国家社会主義者のような時代遅れの名前にもかかわらず、この極右の過激グループは暴力的な反左翼であり、社会主義者を殺すことにコミットしていた)

ボリビア・ファランヘ党は、その指導者ウゴ・バンセル・スアレス将軍がフアン・ホセ・トーレス・ゴンザレス将軍の左派政権を追放した1971年に権力を握った。ゴンザレスの政府は、産業を国有化することによってビジネス・リーダーたちを激怒させ、CIAの浸透の道具とみなした「平和部隊」を追い出すことによってワシントンに敵対した。ニクソン政権はすぐに両手を広げてバンセルを歓迎し、中南米における社会主義の広がりに対する重要な防壁として彼の機嫌を取った。(とくに皮肉な1973年の記事がウィキリークスにあり、ヘンリー・キッシンジャー国務長官がノーベル平和賞を祝福してくれたことでバンセルに感謝している)

モラレス時代にも、UJCのような組織やマリンコビッチ、カマチョのような人物を通じて、こうした運動の反乱主義の遺産が根強く残っていた。

タイムズ紙は、マリンコビッチもUJCの活動を支持していると指摘し、ファシスト・グループを「マリンコビッチ氏が率いる委員会の準独立チーム」と説明した。UJC理事会メンバーの一人は米紙のインタビューで次のように語った。「われわれは命をかけてブランコ(・マリンコビッチ)を守る」

マリンコビッチは、サンタクルスの極右組織になじみ深いキリスト教民族主義レトリックの類いを支持しており、たとえば「真実のための十字軍」を呼び求め、神は自分の側にいると主張する。

新興財閥の家族はクロアチア出身で、彼は二重国籍を持つ。マリンコビッチは、彼の家族が同国の強力なファシスト運動ウスタシャに関与していたという噂に長年さらされてきた。

ウスタシャは、第二次世界大戦中ナチス・ドイツの占領者に公然と協力した。クロアチアが旧ユーゴスラビアから独立を宣言した後、彼らの後継者が権力を取り戻した。旧ユーゴスラビアは、マリンコビッチがボリビアに望んでいたのと同じやり方で、NATOの戦争により意図的にバルカン化された旧社会主義国だ。

[写真]ドイツ総統アドルフ・ヒトラーが1941年にウスタシャの創設者アンテ・パヴェリッチと会う

マリンコビッチは、彼の家族がウスタシャの一員だったことを否定している。ニューヨークタイムズとのインタビューでは、彼の父親はナチスと戦ったと主張した。

しかし、彼の支持者の何人かでさえ懐疑的だ。米国政府と密接に連携し、「影のCIA」として知られている民間情報企業Stratforのバルカン半島アナリストは、マリンコビッチに関する大まかな背景プロフィールを作成し、「まだ彼の完全なストーリーは分からないが、私はこの男の両親が第一世代であり(彼の名前はあまりにスラブ的だ)、彼らは第一次世界大戦後にチトーの共産主義者から離れたウスタシャ(ナチスと読む)のシンパだということに大枚を賭けてもいい」と推測した。

Stratforのアナリストは、サンタクルスの牧場にマリンコビッチを訪ねたジャーナリストのクリスチャン・パレンティによる2006年の記事を抜粋している。エボ・モラレスの「土地改革は内戦につながる可能性がある」とマリンコビッチは、テキサス大学ヒューストン校で学んでいたときに身に付けたテキサスなまりの英語でパレンティに警告した。

今日、マリンコビッチはブラジルの極右指導者ジャイル・ボルソナロの熱烈な支持者である。チリの独裁者アウグスト・ピノチェトに関するボルソナロの唯一の不満は、ピノチェトが「十分に殺さなかった」ことだ。

マリンコビッチは、ベネズエラの極右野党の公然の称賛者でもある。「トドス・ソモス・レオポルド」=「われわれはみなレオポルド」と彼は、ベネズエラの選挙で選ばれた左派政権に対する数々のクーデター未遂に関与したレオポルド・ロペスを支持するツイートをした。

マリンコビッチはパレンティとのインタビューで、武装戦闘活動におけるいかなる役割も否定したが、2008年にモラレスと社会主義運動の党関係者を暗殺する試みで中心的な役割を果たしたと非難されている。

彼は、暗殺計画が進む2年足らず前にニューヨークタイムズに語った。「われわれの危機に合法的な国際調停がなければ、敵対が起こるだろう。そして残念なことに、すべてのボリビア人にとって血まみれで痛みを伴うものになるだろう」

暗殺計画は、ボリビア右翼を国際的ファシストと関連付ける

2009年4月、ボリビアの治安組織の特殊部隊が高級ホテルの一室に入り、エボ・モラレス殺害計画に関与していたとされる3人の男を殺害した。他の2人は逃走したままだ。容疑者のうち4人はハンガリーやクロアチアのルーツを持っており、東ヨーロッパの右派政治と結びついていた。もう1人は6か月前にサンタクルスに到着したばかりのアイルランド人右翼、マイケル・ドワイヤーだった。

暗殺策謀者マイケル・ドワイヤーと武器

このグループの首謀者は、ファシズムに転向し、オプス・デイ(スペインのフランシスコ・フランコ独裁政権下に現れた伝統的なカトリックの団体)に所属していたエドゥアルド・ロッサ・フローレスという名の元左翼ジャーナリストだと言われた。実際、暗殺計画でロッサ・フローレスが想定していたコードネームは、亡くなった総統にちなむ「フランコ」だった。

1990年代、ロッサはユーゴスラビアからの分離戦争で、クロアチアの第一国際小隊(PIV)を代表して戦った。クロアチアのジャーナリストは「PIVは悪名高いグループだった。95%は犯罪歴があり、多くはドイツからアイルランドに至るナチやファシスト・グループのメンバーだった」とTimeに語った。

2009年までにロッサはボリビアに戻り、サンタクルスの別の分離運動を代表して十字軍に加わった。そして、サンタクルスのホテルで、明確な収入源がない一方、銃を大量に備蓄したまま殺された。

政府は後に、ロッサと共謀者が武器を持ってポーズをとっている写真を公開した。CIAの二重スパイを務めた元ハンガリー軍諜報将校であるIstvan Belovaiとロッサとの間のメールの公開は、ワシントンが作戦に関与していたという見方を固めた。

ボリビアの武器の隠し場とロッサ、ドワイヤー

マリンコビッチはその後、暗殺計画者らに20万ドルを提供したとして起訴された。このクロアチア系ボリビア人新興財閥は、最初は米国に逃亡し、そこで亡命を認められ、その後ブラジルに移住し、今そこに住む。彼はモラレス殺害計画へのいかなる関与も否定した。

ジャーナリストのマット・ケナードがレポートしたが、この計画を米国に結びつけた別の糸があった。ウゴ・アチャ・メルガルという名のNGOリーダーの参加が疑われている。

ボリビア政府の主任捜査官は「ロッサは自分でここに来たのではなく、連れられてきた」とケナードに語った。「ウゴ・アチャ・メルガルが彼を連れてきた」

人権財団がボリビアを不安定化

アチャはありふれたNGOのトップであっただけではない。彼は人権財団(HRF)のボリビア補助機関を設立した。これは、米国政府のターゲットとなる国々で政権交代(政権転覆)を求める活動家のための「革命の学校」をホストすることで知られる国際右派組織だ。

HRFは、亡くなったベネズエラ新興財閥でCIAのスパイであるトール・ハルヴォルセン・ヘルムの息子トール・ハルヴォルセン・ジュニアによって運営されている。歴戦のベネズエラのクーデター作戦家レオポルド・ロペスの最初のいとこであるハルヴォルセンは、ポリティカル・コレクトネス(被差別者を擁護すること)や他のよく知られた右翼ゴブリン(小鬼)に反対する運動をした元共和党学生活動家だった。

扇動的な右翼映画プロデューサーの短いキャリア(鉱業会社から資金提供を受けてスキャンダラスな「反環境主義」ドキュメンタリーを監督)を経て、ハルヴォルセンは自由主義の推進者およびグローバルな権威主義の敵対者にブランドを変更した。彼は、ピーターティールや保守財団、アムネスティ・インターナショナルを含むNGOなどの右翼の億万長者からの助成金でHRFを立ち上げた。同グループはその後、香港から中東、ラテンアメリカに至る反乱活動のための活動家訓練の最前線にいる。

アチャは米国で亡命を認められたが、HRFはボリビアの政権転覆を推進し続けている。ワイアット・リードが『グレーゾーン』でレポートしたように、HRFの「自由の仲間」であるジャニス・ヴァカ・ダザは、8月にボリビア各地を破壊したアマゾンの火災をモラレスのせいにしてクーデターの初期段階を引き起こし、国際的なモラレス抗議を駆り集めた。

当時、ダザは「環境活動家」そしてボリビアへの国際的な援助を穏健な見せかけで求め懸念を表明する非暴力の学生を装った。彼女のNGOであるRios de Pieを通じて、#SOSBoliviaのハッシュタグ立ち上げを支援。差し迫った外国の援助による政権転覆作戦へシグナルを発した・

地域の右派を集め、クーデターを準備

HRFのダザはヨーロッパと米国のボリビア大使館前で抗議を組織し、フェルナンド・カマチョは舞台裏で来るべきクーデターを祝福するよう中南米各国の右派政権にロビー活動を行った。

5月、カマチョはコロンビアの極右大統領イバン・ドゥケと会談した。カマチョは、10月選挙へのエボ・モラレスの立候補を阻止しようと、米州人権裁判所でモラレス大統領の正当性を掘り崩すための周辺各国の努力を先導する手助けをしていた。

5月、コロンビア大統領イバン・ドゥケと会うカマチョ

同じ月、ボリビアの右翼アジテーター(カマチョ)は、ブラジルのジャイル・ボルソナロ超保守政権の首相であるエルネスト・アラウホとも会った。会合を通して、カマチョはボリビアの政権転覆に対するボルソナロの支援を成功裏に確保した。

この11月10日、アラウホはモラレス追放を熱心に支持し、「ブラジルは同国の民主的立憲的な政権移行を支援する」と宣言した。

ボリビア大統領選の2か月前の8月、カマチョは米国が指名したベネズエラ・クーデター政権の役人と法廷を開いた。この中には、以前ワシントンの右派シンクタンク戦略・国際​​問題研究所(CSIS)で働いていたグアイドのニセ・ベネズエラOAS大使グスタボ・タレが含まれていた。

会合の後、カマチョはコロンビアとブラジルに対するのと同様に、ベネズエラのクーデター屋たちにも感謝の意を表した。

メサとカマチョ:資本主義の利便性の結婚

ボリビアに戻ったカルロス・メサは野党大統領候補として脚光を浴びた。

彼は博識なイメージと中道派政策の提案により、カマチョやマリンコビッチのような火を吐く右翼とは一見異なる政治世界に引き入れられた。彼らにとって、彼は便利な看板役であり、彼らの経済的利益を守ると約束した容認できる候補者だった。

マリンコビッチは選挙の5日前、アルゼンチンの右派系紙に「彼は私のお気に入りではないかもしれないが、エボは嫌なので彼に投票するつもりだ」と語った。

確かに、メサ支持を必要としたと思われるのはカマチョの実際的​​な経済的利益だった。

カマチョ一家は、サンタクルスで天然ガス・カルテルを設立した。ボリビア紙プリメーラ・リネアが伝えたように、ルイス・フェルナンド・カマチョの父ホセ・ルイスは、同市にガスを配給するセルガスと呼ばれる会社の所有者だった。叔父エンリケは、地元のガス生産施設を運営する会社ソクレを支配していた。そして、いとこのクリスティアンは、コントロガスと呼ばれる別の地元のガス販売業者を管理している。

プリメーラ・リネアによると、カマチョ一家は、カルロス・メサを政権に就け、彼らのビジネス帝国の回復を確実にするための政治的武器として親サンタクルス委員会を使っていた。

メサには、自国の人びとを犠牲にして多国籍企業の諸目的を前進させてきた、十分に裏付けられた歴史がある。新自由主義政治家でメディア・パーソナリティの彼は、米国に支援されたゴンサロ「ゴニ」サンチェス・デ・ロサダ大統領が多国籍企業のコンソーシアムによるボリビア天然ガスのチリの港を通じた米国への輸出を認める2003年の政策で大規模な抗議行動を引き起こしたとき、副大統領を務めていた。

米国で訓練されたボリビアの治安部隊は残忍な弾圧で猛烈な抗議に直面した。非武装の抗議者70人の殺害を統轄した後、サンチェス・デ・ロサダはマイアミに逃げ、政権はメサに引き継がれた。

2005年までにメサもまた、民営化された天然ガス諸会社を保護したことで拍車がかかった巨大なデモによって追放された。メサ政権の終焉により、モラレスの選出とその背後にある社会主義および地方の先住民運動の台頭は、地平線のすぐ先にあった。

ウィキリークスが明らかにした米国政府の通信記録は、メサが追放後、アメリカの当局者と定期的なやり取りを続けたことを示している。駐ボリビア米国大使館の2008年のメモは、ワシントンが2009年大統領選の前段で、モラレスを弱体化させ最終的に退陣させることを期待して、野党政治家と共謀していたことを明らかにした。

このメモは、メサが米国大使館の担当者と会い、大統領に立候補する計画があることを非公式に伝えたことを指摘している。通信記録にはこうある:「メサは、彼の党がイデオロギー的に社会民主主義政党に似ており、民主党との結びつきを強めたいと希望している、と私たちに語った。『私たちは共和党に何ら反対ではなく、実際過去にIRI(International Republican Institute=共和党国際研究所)から支援を得たが、民主党とはより多くのイデオロギーを共有していると思う』と彼は付け加えた」

今日、メサはラテンアメリカに焦点を当てたワシントンに拠点を置く新自由主義のシンクタンク、インターアメリカン・ダイアログの社内「専門家」を務めている。ダイアログのトップ資金提供者の一つが、米国国際開発庁(USAID)だ。これは、ウィキリークスで公開された機密外交通信記録から暴露された、「エボ・モラレスの先住民コミュニティビジョンに反対する人々」を含む野党諸グループに戦略的に数百万ドルを振り向けるための国務省の補助機関だ。

ダイアログの他のトップ資金提供者には、シェブロンやエクソンモービルなどの巨大石油会社、メサの政権に対する最初の抗議を引き起こしたベクテル、モラレスの社会主義志向の政策に強く反対している米州開発銀行、さらに不正な開票との疑わしい主張でモラレスの再選勝利を非合法化するのを助けた米州機構(OAS)が含まれる。

仕事を終える

カルロス・メサが10月にエボ・モラレス政権を不正選挙の罪で告発し、全国的な抗議行動を開始したとき、支持者から「マッチョ・カマチョ」と称賛される右翼扇動者が影から現れた。彼の背後には、彼がサンタクルスで率いた筋金入りの分離主義者の衝撃部隊がいた。

カマチョがクーデターの正真正銘の顔として浮上し、サンタクルス青年連合の民兵組織を特徴づける妥協のないレトリックとファシスト・シンボルで勢力を結集するにつれ、メサは遠くに消えていった。

モラレスに対する勝利を宣言したカマチョは、支持者に「仕事を終え、選挙を進めよう。政府の犯罪者の裁きを始めよう。彼らを刑務所にぶち込もう」と強く勧めた。

一方、ワシントンではトランプ政権がボリビアのクーデターを祝う公式声明を発表し、「モラレスの退陣により民主主義は守られる」と宣言した。

マックス・ブルーメンタールは受賞歴のあるジャーナリストで作家、『グレーゾーン』創設者・編集者。ベン・ノートンはジャーナリストで作家、映画製作者、『グレーゾーン』のアシスタント編集者。

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(編集部 浅井健治)
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