2019年12月13日

ケン・ローチ『家族を想うとき』2度も涙してしまいました

ケン・ローチ監督『家族を想うとき』、予定通り公開初日に見てきました。涙もろくなっているのは自覚するところですが、途中2度もこみ上げる涙を抑えきれなくなる映画はめったにありません。私の左隣の女性は後半3分の1は終始すすり上げていましたし、一人置いて右隣の席からは嗚咽といってもいい声がとめどなく聞かれました。間違いなくケン・ローチの最高傑作といっていいと思います。
https://longride.jp/kazoku/

原題は『Sorry We Missed You』。宅配便の不在票の用語で、日本語に意訳すると「荷物をお届けに参りましたが、ご不在でした」となるでしょうか。映画では2回、この言葉が大きく映し出されます−最初は不在票そのものとして、2度目は別の用途で。この英語、別のシチュエーション、別の文脈で使われれば、「あなたが(orきみが、おまえたちがetc)いなくてさびしい」とか「あなたと(orきみと、おまえたちとetc)一緒にいられなくてごめんね」といったニュアンスになるのかもしれません。2度目の不在票は、そのように解釈することもできます(準ネタバレ、失礼)。

原題の持つ含意・暗喩の巧みさにはほど遠い邦題『家族を想うとき』から思い出すのは、「家族」の語をタイトルに含む一連の山田洋次作品です−すばり『家族』(1970年)をはじめ『東京家族』(2013年)、『家族はつらいよ』3部作(2016〜18年)など。私は山田洋次の映画をこよなく愛する者で、『男はつらいよ』シリーズの中期以降の作品は封切直後に、初期の作品もTV録画・DVD等で、ほとんどすべて見ています。寅さん最新作も封切日に見る予定です。

とはいえ、ケン・ローチ映画を見てしまうと、山田洋次の家族の描き方にはどこか現実離れした甘さ、浅さを感じざるを得ません。意図してそのように描くのが山田洋次の山田洋次たるゆえんなのでしょうが、資本と労働の対立、グローバル資本主義による酷薄な社会破壊、人間の尊厳の蹂躪に正面から向き合わなければ、“昔はよかった”のノスタルジアに終わってしまいます。

カタルシスかエンパワーメントか、(ブレイディみかこが近著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で用いた対語を拝借すれば)シンパシーかエンパシーか、の違いとも言えるでしょう。

それにしても、サッチャー以降の新自由主義、規制緩和、緊縮、労働者いじめの非情さをこれほどものの見事に活写した映画が作られる国で、なぜ保守党が勝つのか。不思議でなりません。しかし、もう少し詳しい出口調査の結果を待ちましょう。若い世代の間に社会主義への共感が広がっていることが必ずや明らかになるはずです。

(編集部 浅井健治)
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