2020年01月15日

「日韓ユース平和参加団in済州」帰国

1月10日から13日まで韓国・済州(チェジュ)島を訪れていた「日韓ユース平和参加団in済州」の若者たちが帰国しました。滞在中のその活動は、以下のフェイスブック投稿でつぶさに知ることができます。

https://www.facebook.com/pg/ZENKOofficial/posts/
https://www.facebook.com/wakana.yamauchi.75

私は、まだ見ぬ済州の風景と人びとに想像をめぐらせつつ、それらにじかに触れることのできるユース参加団の面々をうらやましく思いながら、済州島四・三事件を題材にした金石範(キム・ソクポム)『火山島』を読み進めています。

第4巻にこんなくだりがありました(239ページ)。朝鮮半島“本土”から済州がどう見られているか、済州と“本土”とはどういう位置関係にあるかを、主人公の一人、李芳根(イ・バングン)の胸の内に託してこう記しています。(文中、「西北=ソブク」とは大虐殺の主犯格だった「西北青年団」を指す)

−引用ここから−

…少年の頃、本土で、済州島ってどこにあるんだい、ボールを蹴ったらすぐ海へ落っこって蹴球なんかできないんだろうとからかわれたことがある。いま済州島で横暴を極めている「西北」たちの口癖の一つに、“イワシも魚か、済州野郎(チェジュセッキ)も人間か”というのがある。往昔から中央政府に見放された“地痩民貧(チスミンビン)”の虐げられた民の土地、かつて適客(チョクガク、政治犯)たちが険しい水陸の道を艱難辛苦の果てに幾月間も要してソウルから辿り着いた流配の土地。呪われた天刑の地であって、本土人からの蔑視と差別の積み重なった土地である。そしていまはゲリラ蜂起をしている“革命の地”、いや、“暴徒”による反乱の地なのだ。
 ソウルに移住している者の多くが、本籍を済州島から本土に変えておのれの故郷の土地にさよならをし、そして流麗なソウル弁を身につけて(李芳根はそれに吐気を催すのだが)変身する。済州島が本籍では“立身出世”に大きな障害物になるのだ……。…

−引用ここまで−

ユース参加団も「済州4・3平和公園」を訪れ、虐殺現場をいくつか回ったようです。四・三事件が日本の朝鮮植民地支配と深く関わっていた事実を示す場面は『火山島』でも繰り返し描かれています。日本と韓国の若者たちがその歴史から何をくみ取ったのか、それを現在の日韓“つながり直し”への努力にどう結びつけていこうと考えたか、感想と報告を直接聞くのがとても待ち遠しいです。

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 22:19| 報道/活動報告

2020年01月04日

金石範『火山島』第1〜3巻読了しました

済州島四・三事件を題材にした金石範(キム・ソクポム)『火山島』全7巻のうち1983年に出版された第I〜III巻。刊行当時に購入し、書棚の奥に“積読”状態でしたが、12月半ばから読み始め、先ほどようやく読み終えました。圧倒的な読後感で、何からどう語っていいかわかりません。

それに、96〜97年に出た第IV〜VII巻は買いそびれていて、図書館で予約・取り寄せ中です。全篇通読しないでレビューを書くというのは、いかにも不誠実のそしりを免れません。

とりあえずここには本の帯のキャッチコピーを記すにとどめます。

〜八万の人が虐殺された済州島四・三事件を背景に描く若き革命家たちの苦難と決意/ふるさとの島でおきた惨劇をみつめる長編小説 全三巻 ついに完成〜

同じく帯に書かれた金石範の言葉と作中私の一番印象に残った登場人物のセリフを以下、転記しておきます。

《済州島のこと〜「四・三事件」の惨劇に思う 金石範》−ここから−

私は済州島をテーマにしていくつかの作品を書いてきた。私が済州島を書く理由の中でもっとも重いものは、やはり自分がその血塗られたふるさとの島の、涙も乾きはてた人間たちの中の一人だということにあるだろう。文学が人間の存在、全体という限りない幾層もの状況と係わり合ってゆく中での「人間」を追うものとすれば、私はそれを済州島という具体に触れ、その状況とかみ合わせながら作業をつづけようと思う。そしてそれがまたあらゆるものをその中に押し包もうとする闇の力と、それを暴(あば)こうとするものとのたたかいの中の一条の光にもなればと願うのだ。(「朝日新聞」1971年5月10日より) −金石範ここまで−

《作中、銀行やバス会社を経営する実業家の息子で、学生時代に逮捕されたり西大門(ソデムン)刑務所に入ったりしたことがあるものの現在は無為徒食の生活を送る李芳根(イ・バングン)の妹、李有媛(イ・ユウオン=ソウルの女子専門学校音楽科に在学中)が四・三の翌日、兄に向かって語る言葉から》−ここから−

「……このあいだ、漢拏山(ハルラサン)の麓の山村や海辺のY里へ行ってきたでしょう。そこで、私たちの生活とは全然ちがう村の人たちの生活もかいま見ましたね……。ゆうべ、島の人たちが、そう、山や海の村で見たその人たちがゲリラになって立ち上ったのが、私、すごくショックで、心をどこへ置いたらいいか分からないくらいに不安で、私が二つに割れてしまいそうだったの。(中略)私はこのごろ、いったい、私たちのこの満ち足りた生活は何なのかと考えてるの。祖国が二つに永久に分裂しようとしているときに、多くの人々が犠牲になったり、飢えたりしているときに、私たちの何不足のない裕福な生活は何だろうって……(中略)」
(中略)
「私は、私たちの生活が決して正義でないのを知っているの」 彼女は兄をまともに見つめて続けた。「オッパだって、私だって社会的には寄生的な生活をしてるんだわ、うちの家族全体が……。そのくせ、なにか打倒対象にでもなって、それで私たちの生活が破壊されそうで怯えてるってわけ。分かるの、私が怯えているのはそこから来ているのが分かるんです……」 (『火山島』III 220ページ) −李有媛ここまで−

私には彼女のこの言葉は、敗戦国民でありながら、植民地支配が朝鮮半島に残した混乱の責任をとることもなく、着々と自分の生活だけは立て直し、すぐ後には朝鮮戦争特需で濡れ手に粟の復興を成し遂げたわれわれ〈日本人〉に対しても向けられているような気がします。

DSCN8800.jpg

(編集部 浅井健治)


posted by weeklymds at 00:57| 報道/活動報告