先週末発行の『週刊MDS』最新号の7面「読者のひろば」欄に、編集者でありながら読者になりすまし、「K・T」のペンネームで以下の投稿をしました(編集者は一番最初の読者でもあるわけで、「なりすまし」は言い間違いですが)。なお、読者のひろば投稿はすべてウェブ版にはアップされません。
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【ハンセン病の写真展/生の尊厳に向き合う】
ハンセン病を撮り続けた在日朝鮮人写真家、趙根在(チョウ・グンジェ)さん(1933〜97)の写真展に出かけた。
根在さんは20年以上にわたり、全国の療養所で入所者と寝食を共にしながら2万点に及ぶ写真を撮影。今回はその中から30点あまりが展示された。
ひときわ胸に突き刺さったのは「舌読(ぜつどく)」とタイトルされた写真だ。キャプションには「指先に知覚麻痺のある視覚障がい者は唯一残る舌先や唇の感覚を使って点字を覚え、自分自身の力で本を読もうとした。舌読の習得には舌先、唇から文字通り血がにじむほどの努力が必要だった」とある。
生前交流のあった入所者は根在さんの写真について「むきだしの命が、生きるためのたたかいが、血よりも濃いモノクロにより…現実から切り取られている」と語ったそうだ。
命の尊厳、生への叫び−それと向き合うことなしに「差別はいけません」と何度繰り返しても、真の共生社会は訪れないだろう。
貴重な機会を与えてくださった実行委員会のみなさんに心から感謝したい。
(東京 K・T)
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この投稿は、しかし、もし報道記事だったら記事失格でしょう。“5W1H”のほとんどが欠けています。せめてここで補っておきたいと思います。
「趙根在写真展」は3月17〜22日、東京・北区赤羽文化センターで開催されました。主催したのは、赤羽で障がい者のための相談支援事業所を営む関口和幸さんや市民団体「風を紡ぐ会」代表の藤田越子さんらが立ち上げた「趙根在写真展実行委員会」。関口さんは「平和と民主主義をともにつくる会・東京」事務局メンバーでもあります。
展示された写真は、東京・東村山市にある国立ハンセン病資料館から提供されたものです。写真展を見逃してしまったという方は、同資料館で2014年秋・15年春に開催された企画展「この人たちに光を−写真家趙根在が伝えた入所者の姿−」の図録が刊行されていますので、ぜひご覧になってください(都の図書館統合検索で検索すると、都内では15市区町村の図書館に蔵書があります)。
私の投稿中の「生前交流のあった入所者」の言葉は、この図録に収められた多磨全生園入所者・大竹章さんの文章から引用させていただきました。当該の段落の全文は次の通りです。
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変形や奇形、怪異をもって迫力とするような作風と違い、趙さんの写真では、不自由な手足をどう使い、どういう生活をしているか。むきだしの命が、生きるためのたたかいが、血よりも濃いモノクロにより、幾つもの物語として現実から切り取られている。
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同資料館学芸員の金貴粉(キム・キブン)さんが『在日朝鮮人とハンセン病』という本を著しています(2019年3月、発行所:クレイン)。ぱらぱらとページをめくっていて、上記の写真「舌読」に捉えられた入所者が、群馬県の栗生楽泉園に暮らす金夏日(キム・ハイル)さん(1926年生まれ)であることを知りました。夏日さんは歌人としても広く知られているそうです。
点字舌読は1954年に始め、2年後からは朝鮮語の点字にも挑戦したとのこと。「舌読」が撮影されたのは1971年ですから、そこで夏日さんが舐めているのは朝鮮語の点字本に違いありません。こんな短歌も詠んでいます。
朝鮮語の点字学びて祖国の歌くちずさみつついつか眠りし
年どしに朝鮮の歴史点訳されわが本棚にふえゆく楽しさ
金貴粉さんは夏日さんが朝鮮語点字を学んだ理由を「自分自身が何者であるかを朝鮮語の習得によって確認し、祖国とつながることで自身の存在意義を自分自身で認め、自己肯定感を得たかったからではないだろうか」と説明しています。
写真「舌読」が映し出したもの−それは「命の尊厳」「生きることへの叫び」とともに、「奪われた祖国への思い」「民族の自己決定権への渇望」でもあるのでしょう。
(編集部 浅井健治)
2021年04月07日
ハンセン病を撮り続けた趙根在 写真展
posted by weeklymds at 20:25| 報道/活動報告