2018年02月15日

雨以外に何も落ちてこない平和な空を:保育園園長の訴え

2月13日、衆院第二議員会館で「『なんでおそらからおちてくるの?』子どもたちの空を守る父母会院内集会」が開かれました。沖縄選出の野党国会議員でつくる「うりずんの会」などの主催です。昨年12月、米軍ヘリのものと見られる部品が落下した宜野湾市の保育園の園長とお母さん6人が政府要請行動を終えて参加し、発言しました。

以下は、神谷武宏さん(普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園園長、牧師=下の写真一番左)の発言のあらましです。パワーポイントで写真を示しながらの訴えでした。

なお、院内集会で参加者の一人が「本土の私たちが何をしたらいいか」と質問したのに対し、神谷園長は「それはどうぞご自分で考えてください。そういうことを質問すること自体おかしい。こういう現状を見てもそういう質問が出るというのはほんとに情けない。申し訳ないが、そういうふうにしか答えられない」と応じていました。

−ここから−

 緑ヶ丘保育園は普天間バプテスト教会付属保育園として1964年4月に開園した。開園のきっかけはこの地域に保育園がなかったこと。近くに基地があり、どちらかというと貧しい地域で、子どもたちのために、お母さん方のためにと教会の庭を使って保育園が始まった。
 園庭は保育園に欠かせない。園庭で安全に、子どもたちがのびのびと遊ぶ。遊びを通していろんなことを学んでいく。まず園庭を100坪確保した。

 園庭ではいろんなことをして遊ぶ。運転棒、夏にはセミとり。子どもたちは水遊びが大好き。遊びすぎてびしょ濡れになるが、全身が水に濡れたってへっちゃら。シャボン玉で遊びながら泡風呂まで。子どもの笑顔ってすてきですよね。子どもの笑顔に私たちは癒される。園庭を思いっきり駆け回る子どもたち。
 沖縄は夏が長く、よくプールで水遊びをする。最後は、水をむだにしないためにみんなでウォータースライダー。われ一番にここを滑りたいという子どもたち。
 園庭では泥遊びをする。団子を作ったり、思い思いに土と戯れる。泥んこ遊びがエスカレートし、最後は泥まみれに。でも、本当に楽しそうに子どもたちは遊んでいる。
 園庭では運動会が毎年行われる。昨年10月、53回目の運動会を行った。待ちに待った運動会。親に見てほしいという思いを精いっぱい体を使って伝える。親御さんにとっても子どもの成長を垣間見るときでもある。
 他の保育園にあるだろうか、私たちの保育園では雨の日も園庭に出て、雨の中で遊ぶ。子どもたちは思い思いに雨と戯れ、雨を全身に感じながら、雨の恵みを感じとっていく。土砂降りに濡れている子どもたちのすてきな笑顔を見てください。

 昨年12月7日(木)午前10時20分頃、雨ではないものが降ってきた。空から雨以外が降るなんて誰も想定しない。筒状の透明なガラスのようなもので、長さ9・5センチ、直径7・5センチ、厚さ8ミリ、重さ213グラム。ドーンと激しい音を立てて落ちてきた。人と比べると大きさが分かると思う。トタン屋根にこれだけの凹みができるほどの圧力がかかっている。どれだけの高い上空から落ちてきたのか。どれだけの勢いをもって落ちてきたのか。
 当時、園庭には2歳児・3歳児クラスの園児たちが20〜30名ぐらいで遊んでいた。4歳・5歳児クラスの園児たちは園舎の中で、1週間後に迫るクリスマスの準備をしていた。生誕劇の役をみんなで相談して、「今度だれがマリアする?」「だれがヨセフさんする?」「だれが博士する?」「だれが羊飼いする?」「だれが天使する?」と話し合って「じゃあ私がマリア」と決めていく。みんなが楽しみにするクリスマスの準備をしているさなかに、その楽しみを踏みにじるように、この事故が起きた。
 落下物が落ちた屋根の下には1歳児クラスの園児が8人、先生方が2人いた。これから園庭に出て遊ぼうとしていたときだ。ドーンという激しい音に子どもたちも先生方もとても驚き、わぁーっと声を上げた。1人の先生は、同時にヘリの音が聞こえていたので、すぐにヘリから何かが落ちたと感じ、「とてつもない大きなものが落ちてきた。最初ヘリのプロペラが落ちてきたと思うほどの衝撃を感じた」という。激しい音がしたときに、園庭にいた先生が振り向くと、物体が大きく跳ね上がっていた。隣のゲートボール場にいたおじいちゃんたちも、この大きく跳ね上がる物体を見ている。
 この日は朝早くから保育園の上空をオスプレイやCH53などのヘリが飛んでいた。「きょうも朝早くからうるさい日だなぁ」と私も2階にいて感じながら仕事していた。園庭までわずか50センチしか離れていない屋根の上で物体が止まっていた。下には子どもたちがいた。一歩間違えれば、子どもたちや先生方が大変なことになっていた。いつもより早めにお迎えに来ていただくよう連絡したが、仕事されているご父兄がほとんどだから、私たちが園舎の中で子どもたちを預かった。

 先生から「ヘリから何かが落ちました」と声をかけられて私はすぐ屋根の上を見た。赤い何かが落ちている。降りていって写真を撮ろうとして1bぐらいまで近づいた。もわーっとする、熱を帯びた、油のような、エンジンの焦げたような臭いがした。とっさに、これは危険なもの、触ってはいけないものだと察知した。
 まず宜野湾市基地渉外課に電話し、対応を確認。警察への通報とメディアへの連絡。警察にはしっかりと調査するように、メディアにもしっかりと事実を報道するように、と話した。今もメディアに対しては、左も右も関係ない、できるだけ全国の方にこの沖縄の実情を知っていただきたい、そんな思いで対応している。

 報道されていないことがある。警察が調査を終えて帰った後、落下物は米軍大型ヘリCH53Eのプロペラの根元にあるストロンチウム90の放射線を抑制するカバーだと分かった。このことは報道されたが、そのカバーは放射線を含み、周辺に放射するおそれはないか。園長として子どもたちの命を預かっているから、何とかしなければならないと思った。午後から園庭に出て遊ぶことは中止にした。昼寝の後は、子どもたちを園で大事に預からせてもらった。同時に、琉球大学の物理学者である矢ヶ崎(克馬)先生に連絡し、このCH53のストロンチウム90のカバーについて尋ねた。矢ヶ崎先生は、このカバーに放射線が付着し放出するおそれはほぼないだろう、と。私は「ほぼない」では納得ができず不安で、先生と相談しながら、知人を通して測定していただくことになった。丁寧に時間をかけて測定していただいた結果、全く通常の値であることが分かった。周りにいたメディアの方がたと相談し、このことに関しては報道してくれるな、と規制をかけた。風評被害のおそれがあると思ったからだ。測定の結果を受けて翌日の保育園の開園を決めた。

 米軍は翌8日に、落下物自体はCH53大型輸送ヘリの部品であることを認めた。しかし、飛行中の機体から落下した可能性は低い、と説明した。この言葉に私はびっくりした。あのドーンという、トタンが凹むほどの衝撃。大きく跳ね上がる物体を見たという証言がいくつもある。もわーっとする熱を帯びたエンジンの焦げた臭い。米軍は「カバーは全部揃っているからちゃんと回収している」と述べ、「だから落としたはずがない」と答えた。そのことに対して政府は「ああ、そうですか」というような感じですよ。

 この米軍発表があってから誹謗中傷の電話・メールが保育園と教会に来るようになった。これ(パワーポイントの画像)は教会に来た誹謗中傷メールのほんの一部だ。メールは見なければたいしたことない。でも電話はほんとに困る。朝忙しいときに電話が鳴り、受話器をとる。すると、どなるようにして誹謗中傷を言われる。「あなた方の園は基地がある前からあったのか」「あなた方が『ヘリは飛ぶな』と言ったら誰が日本を守るんだ」。そんなことをどなるように、ずーっとしゃべっている。そういうことが12月いっぱいまで続いた。私たちの対応としては(ナンバー)ディプレイの設置とか留守電にするとか。留守電にもいくつか入っていた。今年になっても無言電話が少し入る。これは一つの流行みたいなものか。そんなふうに考えてしまう。
 私たち当事者が米軍からと思われる被害を受け、そしてまたこの誹謗中傷という二重の被害を受けるということが起きている。米軍が事故だと認めないのであれば、これはもう“事件”だ。私たちは事件として扱ってくれと警察に訴えている。これは殺人未遂事件だ。米軍が認めないなら、警察はそういう態度をもってあたるべきだろう。

 事故の翌日、子どもたちはいつものようにほぼ全員元気に登園してくれた。園側に親御さんから「子どもたちを守ってくださってありがとうございました」という暖かい声もあった(と涙声で)。親御さんは子どもの無事を確認し、ほっとした後、「子どもたちにケガなかったからよかったさぁー」では済まされないね、とだんだんワジワジしてくる。怒りの思いが出てくる。
 翌日です。父母会役員が立ち上がって、私たちの声を上げよう、と。「どうしたらいいんですか、園長先生」という相談もあったが、お母さん方自らがお母さん方の手で、お父さん方もいたが、嘆願書の作成に動き出す。3日後、日曜日に緊急父母会を行い、全員一致で嘆願書の作成、署名活動が始まる。

 嘆願書の内容はこうだ。
−−私たちの上を飛ばないでください。緑ヶ丘保育園園児・保護者からのお願い(嘆願書)−−
 12月7日木曜日に米軍ヘリからと見られる部品落下の事故が起こった。今回は子どもたちにケガもなく全員無事だった。しかし、けが人がいなかったからよかったさぁで済まされることではない。一歩間違えれば命に関わりかねない重大事故だ。
 緑ヶ丘保育園は滑走路の延長線上にあり、子どもたちは飛行機のおなかが見えるよというように保育園の真上を米軍機が爆音・騒音とともに何度も飛び交う中で園生活を過ごしているのが現状だ。これは基地があるからあたり前なのでしょうか。子どもたちにとっていい環境なのでしょうか。
 今回の事故で保育園上空が日米で合意された米軍ヘリの飛行ルート外であることが分かった。どうして米軍ヘリが毎日上空を飛ぶことが許されるのでしょうか。子どもたちの命はつねに危険にさらされている。私たちは子どもたちを守るため、こういうことが二度と起こらないよう下記の事項を強く要望する。これらの事項を防衛省ならびに米軍に対し強く求めていただくよう要請を申し上げる。
 要望 @事故の原因究明および再発防止A原因究明までの飛行禁止B普天間基地に離発着する米軍ヘリの保育園上空の飛行禁止。
 子どもたちの命、未来を守ってください。

 そんなにむずかしいことは言っていない。要望の内容はごく常識的な、当然のことを記しているにすぎない。この要望に真摯に向き合っていれば、第二小学校の事故はなかったはずだ。

 12月13日、保育園の落下事故からまだ1週間もたっていない。普天間第二小学校は私の母校でもある。保育園から第二小までは1キロも離れておらず、保育園の父母の中には、下の子が当園に通い、上の子が第二小に通っている方が何人かいる。1週間のあいだにこんなあり得ない苦しみに遭うなんて本当につらくなる。

 2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間基地所属の大型ヘリCH53が墜落・炎上した。この大惨事を踏まえて飛行ルートを新たに整備し、2007年より具体的な飛行ルートを公表している。その資料をもとにお話する。
 黄色い円を描くように飛ぶルート。これは300b上空からオートローテーション機能を使ってのエンジン停止時に降下し、安全に基地内に戻れる範囲を設定している。エンジン停止、300bからこれなら安全に下りるだろうという訓練だ。こういう訓練を普天間基地でやっている。みなさんのところでこういう訓練、しますか。
 青い点線が飛行ルートになっている。これを見ると、緑ヶ丘保育園、普天間第二小学校はそのルートから十分に外れていることになる。防衛局は飛行ルートをチェックするために各所にカメラを設置し、観測をしている。防衛局が2017年9月に公表したデータには、2016年4月から2017年3月までの毎月の観測データがある。2016年6月の飛行状況データを見ると、飛行ルートではない上空を飛んでいる。緑ヶ丘保育園の上空を塗りつぶすかのように飛行機が、ジェット機が、ヘリが、オスプレイが飛んでいることが分かる。1か月後の2016年7月の飛行状況データ、12月の飛行状況データ。何にも変わっていませんよ。これが現状です。米軍は彼らが言っているルールを全く守っていない。

 緑ヶ丘保育園の父母会はそういう学びをしつつ嘆願書を作成し、署名活動を行っている。米軍はルールを守らない。大人としての約束を守らない。日本政府は沖縄で起きている人間の命の尊厳の危機に向き合わない。だからといって私たちは泣き寝入りするわけにはいかない。子どもたちの命を守るために、また「好きで選んで入れていただいた緑ヶ丘保育園を守りたい」とおっしゃって立ち上がっている。はだしで駆け回ることができる園庭を守りたい。保育園で思いっきりこれからも遊ばせたい。そうおっしゃってお母さん方の闘いが始まった。
 署名活動をして10日が過ぎて第1期の締め切りの作業をした。2万6372筆の署名が集まった。お母さん方は街頭署名も始めた。週4〜5回、午前午後と分けて父母の方がたが交代しながら、仕事の合間、家庭の合間をみて署名活動をしている。全国から多くの署名が寄せられた。1月31日の署名数は10万456筆。署名は2月11日で終了し、署名活動62日間で12万6907筆になった。お寄せくださった全国のみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げる。ありがとうございました。

 嘆願書を携えて各所を訪ねた。宜野湾市の佐喜真市長、市議会議長、県議会議長。沖縄防衛局は2度訪ねて2万6千あまりの署名を手渡している。外務省沖縄事務所、米国領事館。県庁では翁長知事に直接嘆願書と署名を手渡した。県庁は3度訪ねている。9日にも翁長知事に面会し、私たちの政府要請行動を後押ししてくださった。
 12月29日に宜野湾市市民大会を開催した。緑ヶ丘保育園も主催者側に加わり、6団体が中心になって盛り上げ、わずか1週間足らずの準備で600人あまりが集った。父母会を代表して知念有希子副会長があいさつ。「安心して安全なあたり前の空の下で子どもたちを遊ばせたいだけ。子どもたちに『大丈夫だよ。空からは雨しか降ってこないよ』と言えるように飛行禁止を求めていく」と語り、多くの参加者の共感を得、涙を誘った。

 保育園・普天間第二小学校の落下事故から次から次に不時着事故が相次いでいる。先週8日にもオスプレイが落下事故を起こした。これはもう異常事態だ。沖縄は無法地帯ともいえる。
 今回の米軍による落下物事故の数日後に、保育園に訪ねてきた方がいる。1959年6月30日に起きた宮森小学校ジェット機事故の犠牲者の遺族の方だ。その方が「大変でしたね」と声をかけてくださった。きっとこのような米軍による事件・事故が起こるたびに、あの58年前の悲しみ、苦しみがえぐられるように思い起こされるのであろう。その方のお話の中で、宮森小の事故後米軍が、亡くなった家族の前で賠償金の話をし、1家族に1000ドルを支払う、と言ったそうだ。すると1人の母親がこう答えた。「あなたの息子をここに連れてきなさい。あなたの息子を殺して私が賠償金1000ドル、あなたに払うさぁ」。そう叫んだそうだ。米兵は怒って銃を空に向かってドンと撃った。母親の悲しみはどれほどのものか。米軍の傲慢さはどれだけのものか。この状況は当時も今も何も変わっていない。

 母親の子に対する思いは何も変わっていないからこそ、これだけの行動を保育園のお母さん方はしている。米軍の傲慢さは何も変わっていない。これだけの事件・事故を起こし続けても、詫びることもなく、隠蔽さえしようとしない。落下物事故をいまだに認めない。沖縄がいまだ占領地であるかのように感じてならない。しかし、沖縄もまた日本国憲法のもとにあるはずだ。基本的人権、命の尊厳は保障されているはずだ。人間が人間らしく、安全に生活できる保障があるはずだ。
 東京の人たちが米軍基地の脅威にさらされていますか。なぜ沖縄だけが米軍基地からの脅威にさらされ続けなければならないのか。これは不平等だ。
 どうぞ沖縄の現状に向き合ってください。沖縄の基地問題は決して沖縄の問題ではないはずだ。日米安保は日本国民の8割以上が賛成だ。しかし、その日米安保の弊害はどこで起きているか。日米地位協定の弊害を東京に住んでいる人は感じていますか。沖縄の問題は日本の問題であり、あなたの、あなた方の問題です。どうか平和な空を返してください。雨以外に何も落ちてこない平和な空を保障してください。日本政府は日本国憲法にのっとって国民の命に向き合ってください。沖縄の人びとの命にも向き合ってください。
 ここに来られている方がたはきっとそのことをよく理解されていることだと存じ上げている。どうぞ東京でも声を上げていきましょう。声を上げ続けていきましょう。

−ここまで−

(編集部 浅井健治)
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