2019年10月07日

週刊MDS最新号 金城実さん寄稿を読む

週刊MDS最新号(10月11日付第1595号)8面に彫刻家・金城実さんの寄稿が掲載されています。つねに自らと自らの属する集団(ウチナーンチュであったり芸術家団体であったり)への冷徹な自己批判の眼差しを絶やさない金城さんの姿勢、語り口をぜひ心ゆくまで味わってください。

寄稿の末尾近くで、「恨(ハン)」に関連して"sympathy"と"empathy"の違いに触れられています。この二つの英単語にまつわる話をつい最近、ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2019年6月、新潮社刊)で読んだばかりだったので、驚きました。金城さんは植民地人民の「恨」について、みかこさんは息子が通うイギリスの公立小学校の「公民教育」について、それぞれ語る中での同じ二つの言葉ですから、全く別の脈絡の中で使われているようでいて、不思議なことにどこか共鳴する意味あいがあることに気づかないわけにはいきません。

みかこさんの本から一部、断片的に引用します(前掲書72〜76ページ、「…」は省略個所)。

−ここから−

 英国の公立学校教育では、…シティズンシップ・エデュケーション(日本語で…「政治教育」「公民教育」「市民教育」…)の導入が義務づけられている。

「試験って、どんな問題が出るの?」と息子に聞いてみると、彼は答えた。
「めっちゃ簡単。…最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。…」
 …息子の脇で、配偶者が言った。
「…で、お前、何て答えを書いたんだ?」
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
 自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。日本語にすれば、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。

 エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
 両者の違いは…、オックスフォード英英辞典のサイト…によれば、シンパシー(sympathy)は「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」「2.…」「3.…」と書かれている。一方、エンパシー(empathy)は、「他人の感情や経験などを理解する能力」とシンプルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。…
 ケンブリッジ英英辞典のサイト…に行くと、エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている。
 つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは…自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。
 …ありとあらゆる分断と対立が深刻化している英国で、11歳の子どもたちがエンパシーについて学んでいるというのは特筆に値する。

−ここまで−

 20世紀、帝国主義・植民地主義の時代のシンパシーとエンパシー。21世紀、グローバル資本主義の猛威が吹き荒れる時代のシンパシーとエンパシー。どうやってシンパシーにとどまらないエンパシー=他者を理解する能力をかちえるか。金城さんの彫刻とみかこさんの本から深く学びとりたいと思います。

(編集部 浅井健治)
posted by weeklymds at 19:39| 報道/活動報告