2019年10月13日

上田電鉄別所線鉄橋が崩落

台風19号の影響で、長野県上田市の北陸新幹線上田駅と「信州の鎌倉」別所温泉とを結ぶ上田電鉄の千曲川鉄橋が崩落してしまいました。
https://www.asahi.com/articles/ASMBF2CGGMBFUOOB005.html

上田電鉄別所線はわが青春の記念碑です。連れ合いの実家が同線「八木沢」駅近くにあります。45年以上前、上野から当時の国鉄信越線夜行急行に乗って軽井沢で夜明けを迎え、上田駅で別所線「丸窓電車」に乗り換えてこの鉄橋を渡り、初めて同家を訪ねたことでした。

別所線沿線には数々の観光スポットがあります。国宝「八角三重塔」の安楽寺、重要文化財「石造多宝塔」の常楽寺、おはぎがおいしい前山寺(ここの三重の塔もすばらしい。私はこちらのほうが好きです)、その近くの志半ばで戦場に散った画学生たちの作品を展示した「無言館」、信濃デッサン館(塩田平を見下ろすすてきな喫茶室がありましたが、今は無期限休館中か)、生島足島神社、中禅寺、龍光院、別所温泉の「石湯」「大湯」「大師湯」、北向観音とその境内の縁結びの木「愛染カツラ」…などなど。

こうした場所を車を使わず訪れるには、必ず別所線の電車に乗って千曲川の鉄橋を越えなければなりません。その鉄橋が無残にも崩れ落ち、復旧の見通しも立たないとは。心の中にとてつもなく大きな穴が開いてしまったようです。

別所温泉地区、安楽寺に向かう一角に、戦前の労農党代議士山本宣治の記念碑が置かれています。『長野県上小地方農民運動史』(「上小(じょうしょう)」は「上田」と「小県(ちいさがた)郡」を合わせたこの地方の呼び名)という本に載っていた記念碑の碑文は、以下の通りです。

−ここから−

山本宣治講演記念碑の再建について

上田市周辺の貧農小作人の組織だった上小農民組合連合会は一九二九年(昭和四年)三月一日、労働農民党の代議士山本宣治を迎えて上田市公会堂で講演会を開きました。当時労働者農民が選出した代議士までが軍部に屈服して「山宣ひとり孤塁を守っていた」時でしたので、不況と戦争による極度の社会不安のなかに生きていた多くの労働者農民がこの講演会に集りました。山宣は革命的な代議士の議会活動について具体的に話しましたが、臨席警官の「中止」によって中途で打ち切られました。しかしこの時は山宣が第五六回帝国議会で極反動の弾圧法「治安維持法」を死刑にまで改悪する「緊急勅令」の「事後承諾案」に対する反対演説の草稿を決死の覚悟で準備していた時でしたので、その講演はこの地方の労働者農民に大きな感動を与えました。山宣はその「事後承諾案」が議会に上程された三月五日の夜、東京神田の旅館で田中軍治内閣の手先に虐殺されました。上田での講演の四日後のことでした。

山宣虐殺は全国勤労者の激しい怒りをまきおこしました。上小農民組合連合会でも直ちに上田市公会堂で山宣追悼会を開き、東京の山宣労農葬に参加して帰ってきたタカクラ・テルの報告を聞きました。その報告もやはり臨席警官の「中止」で打ち切られましたが、上小農民組合連合会はその席上、山宣の一周忌までにその講演記念碑を建てることを満場一致で決定し、責任者を選出しました。こうして山宣の死はこの地方の民主運動に一層大きな影響を与え、労働者農民運動の新しい高まりの重要な原因の一つになりました。

しかし記念碑の建設には非常に大きな困難がありました。費用や材料は同志たちの特別の努力で予定どおり解決できましたが、軍事色一色の当時、建設地の承諾をえられる場所がどこにもなかったからです。最後に別所村のタカクラ・テルの借家の一部に家主の斎藤房雄氏の承諾をえてやっと建設地を決定できました。そして山宣一周忌の一九三〇年(昭和五年)五月一日、多数の警官に取り囲まれながら赤旗を林立させて山本宣治講演記念碑の除幕式を決行しました。碑面には山宣の愛誦句で一生の方針をも示した「人生は短く科学は長い」のラテン語“Vita Brevis Scienta Longa(ヴィタ・ブレビス・スキエンタ・ロンガ)”をきざみました。

一九三三年(昭和八年)長野県全域にわたる「二・四事件」の大弾圧があり、この地方でも多くの労働者農民が逮捕投獄されました。タカクラ・テルも投獄され、山宣記念碑も警察がこなごなに取りこわすよう家主の斎藤房雄氏に命じました。しかしさいわいにも斎藤氏は警察へは碑は完全にこわしたと始末書をだして、碑と台石はひそかに自宅(柏屋別荘旅館)へ運んで庭の一隅に埋め、今日まで保存しました。

今日ここに再建できた山本宣治講演記念碑はこうして造られ、こうしてこわされ、こうして保存されてきたものです。明らかにこの山宣記念碑は東信地方の民主主義運動の歴史の重要な記念碑の役わりをも果たしており、また今日これが再建できた事実は日本民主主義運動の偉大な発展をも具体的に示しています。この記念碑の再建に協力してくださり、さまざまの援助を与えてくださった方方に心からお礼を申しあげます。同時に日本民主主義運動のためにいっそう献身することをここにあらためて誓います。

一九七一年一〇月八日

山本宣治講演記念碑再建実行委員会
撰文 タカクラ・テル
書 山本虎雄

−ここまで−
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(前山寺・三重塔)

(編集部・浅井健治)
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